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初めての出勤日は、面接の日から3日後だった。
朝10時に会社まで来るように言われていたけれど、初日だから少し早めに行ったほうがいいだろうと10分前に着くように家を出る。
「おはようございます……」
ガラガラと引き戸を開けると、待ち構えていたらしきブルちゃんが「わふっ!」と飛びついてきてくれた。
「ブルちゃん、おはよう~!」
初めて会った時はちょっと嫌な奴とすら思ったのに、まよはもうすっかりブルちゃんの虜になってしまっている。
「おはようまよちゃん」
奥からおばあさんが出てきて、はい、と包みを渡してくれた。
「まよちゃんの制服だよ。Mサイズで良かったよね?」
「はい、ありがとうございます」
さっそく奥の部屋を借りて着替えてみた。
胸に「ハウスキーパー・ひまわり」と刺繍されたデニム地のエプロンと真っ白なシャツに身が引き締まる思いがする。
今日からこの制服を着て、ハウスキーパーとしてお客さんの家で働くのだ。
採用してくれたおばあさんに迷惑をかけないようにするためにも、しっかりやらなければ。
年代物の姿見の前で拳を握りしめていると、後ろで「ブハッ」と噴き出す音がした。
ハッとして振り返ると、そこに髪を金色に染めた派手なヤンキー兄ちゃんが立っている。
「なになに~? そんなとこで握りこぶしなんか作っちゃって、自分に気合入れてんの?」
「えっ、あ、あの」
「君、まよちゃんでしょ? 金山社長から聞いてるよ」
そう言われて、まよは初めてあのおばあさんの名前が金山だということを知る。
ヤンキー兄ちゃんはそれからたっぷり5分ほど笑い続け、それからようやく改めてこちらに向き直った。
「ごめんごめん。俺、ここで働いてる時任明夫。ちなみにピッチピチの30歳」
30歳という年齢の男がピッチピチかどうかははなはだ疑問だが、目の前の時任という男は確かに頬がつやつやと輝いて健康そうだ。
「よろしくね、まよちゃん!」
そう言ってなれなれしく肩を叩くと、時任は鼻歌を歌いながら着替え始める。
「きゃっ!」
「おっと、悪い。ここの人ガサツなおばちゃんばっかでさ、俺が目の前で着替えててもなんも気にしない人ばっかだから。いや~、その反応新鮮でいいな~」
ニヤッとからかうように笑う時任をじろりと睨み、まよは慌ててその場を離れた。
全く、なんなんだあの男は。
玄関のほうに戻ると、金山社長がブルちゃんの前足を手にとってダンスを踊っていた。
「あ、ほれ。あ、ほれ。ほれほれほれ」
金山社長はとても楽しそうだが、ぶんぶん振り回されるブルちゃんは露骨に迷惑顔である。
「フレンチブルドッグって犬種は太りやすいからね。ブルちゃんが少しでも長生きできるよう、こうして運動させなくちゃならないのさ」
「じゃあ、普段の散歩もかなり長く歩かせるんですか?」
「それがねぇ。病院の先生が言うには、あんまり股関節の丈夫な犬じゃないから、長時間歩かせると良くないんだとさ」
「はぁ……ブルちゃんって、デリケートな子なんですね」
「そう。娘からもらい受けた大切な子だからね。なにかあったら大変だよ」
ダンスから解放されたブルちゃんは、やれやれといった様子で小上がりにジャンプして上がり、後ろ足でバリバリと耳を掻き始めた。
そこへ着替えを済ませた時任がやってきて、「おっす、ブル公!」と片手を上げる。
しかし、ブルちゃんはそれをふんっと無視した。
「なんだよ、ブル公~。お前、いつになったら俺に慣れるんだ?」
情けなさそうな声を出しながらじりじりとブルちゃんに近付いていくが、ブルちゃんは耳をかくのに忙しくて相手にしない。
そこを無理に抱きかかえようとした時任だったが、素早く身を翻したブルちゃんにさっと避けられ、さらにたくましいお尻を顔に突き付けられたかと思うと特大のおならを一発お見舞いされてしまった。
「うわっ。くっせぇ~!!!」
畳にひっくり返って悶絶している時任の姿に、まよも金山社長も笑いが止まらない。
「あんたはブルちゃんをかまいすぎるのさ。この子はあんまりベタベタされるのが好きじゃないからね」
「そんなぁ。こんなにかわいいんだから、ベタベタしたいと思うのは当然じゃないっすか」
「重すぎる愛は嫌われる。あんた、それで嫁さんにも愛想尽かされたんだろ」
「社長~!」
「さぁさぁ、仕事だよ。まよちゃん、とりあえず1ヶ月はトレーニング期間ってことにするからね。今日からこの時任にくっついてお客さんの家を回ってくれる?」
「は、はい」
このチャラそうな男と行動を共にするのかと思うと少し、いやかなり気が重かったが、仕事なのだからやるしかない。
1日も早く一人前のハウスキーパーになるべく、まよは時任から見えないようにもう一度小さく握りこぶしを作って自分に気合いを入れた。
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