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不本意ながら時任の運転する社名入りの軽ワゴンに乗り、到着した初めての勤務先には、「中山」という立派な表札がかかっていた。
個人宅にしては大きすぎる門の端についているインターホンを慣れた様子で時任が鳴らすと、しばらくして門がガーッと自動で開いた。
「家の中からモニターで来訪者を確認して、中からああやって門を開けてくれるのさ」
車に戻ってきた時任は、そう言ってハンドルを切ると、車をお屋敷の中に入れた。
隅のほうの邪魔にならない場所に車を停めると、「さぁ、いこっか」と馴れ馴れしく私の背中に触れる。
「ちょっと、気安く触らないでください」
「あぁ、ごめんごめん。そういえば君ってそういうちょっとお堅いキャラだったっけ」
バカにしたようにぷぷっと笑われて面白くない。
本当にいけ好かない男だ、こいつは。
玄関の前に立つと、こちらが何のアクションも起こさないうちにまた自動で扉が開いた。
「あの、これもやっぱりモニターで確認を?」
「ん、そう」
なんだか監視されているようで落ち着かないが、これだけの規模のお宅となるとセキュリティも頑丈にせざるを得ないのだろう。
長い廊下をずんずん進んでいくと、やがて突き当りに重厚な扉が姿を現した。
「おはようございます! ハウス・キーパーひまわりです!」
時任が大声を張り上げると、中から扉が開いて神経質そうなおじいさんがぬっと顔を出す。
「おはようございます。今日はお連れの方がいらっしゃるということでしたね」
「はい。この子です」
時任にぽんと背中を押されて一歩前に出たまよは、慌てておじいさんに挨拶をした。
「ふむ……」
緊張でコチコチに固まっているまよをしばらくジロジロ見ていたおじいさんは、「ま、いいでしょう」とつぶやくと2人を奥に通してくれた。
何がいいのかと訝っているまよの耳に、時任がおかしそうに「よかったね。あんた、執事の訪問者チェックをパスしたぜ」と囁いた。
「訪問者チェック?」
「そう。あのじいさん、大切な主に変な輩が近付かないようにああして見張ってるんだ。以前にも俺と一緒にこの家に来た新人ハウスキーパーがいたんだけど、じいさんに気に入られなくて追い返されちまった」
「ひぇぇ……」
自分のどこを気に入ってもらえたのかはよく分からないが、とりあえず第一歩は順調に踏み出せたらしいことに安堵する。
おじいさんに通された部屋はリビングルームになっていて、そこに置かれたソファに温厚そうな小太りの男性とモデルのように美しい女の人、そして絵に描いたようにおぼっちゃん然とした男の子が座っていた。
「旦那様。新しいハウスキーパーを連れてまいりました」
執事がそう言ってうやうやしく頭を下げると、小太りの男性がよいしょと立ち上がり、こちらに向かって笑顔を見せた。
「はじめまして。龍泉寺保です。こっちは妻の三波、そしてこの子が息子の慎吾」
奥さんと息子さんも、それぞれに笑顔で挨拶してくれた。
私も3人に自己紹介をして、この家が初めての勤務先だと説明する。
「よろしくね、まよさん。今までは時任君だけだったから、こうして女性の方が来てくれて嬉しいわ」
「やだな~奥さん。それじゃまるで俺だけじゃ役不足みたいじゃないですか~」
「あら、だって時任君は男性だからあまりデリケートな相談はできないんですもの」
「まぁ、それもそうっすね」
「おほほ」
男の子は、大人たちの会話をにこにこしながら聞いている。
なんというか、さすがにお金持ちのおぼっちゃんらしく、おっとりして賢そうな子だ。
「まよさん、お勉強のほうはお得意かしら?」
奥さんにいきなりそう聞かれ、まよはぐっと言葉に詰まる。
なんせ、小中高を通して成績は下から数えたほうが早いぐらいだったから、得意かどうかと聞かれたら間違いなくそうじゃないと言い切れる。
「いえね、なかなか息子に合う家庭教師が見つからなくって。もしよろしければ、まよさんにお勉強もみてもらえないかと思ったものだから。もちろん、料金は別にお支払いするわ」
意外とぐいぐい来る奥さんだなと面食らっていると、旦那さんが苦笑いしながら妻を諫めた。
「まぁまぁ、こちらさん困ってしまっているよ」
すると奥さんは、はっと気が付いたように顔を赤らめた。
「あら、ごめんなさい私ったら。ここのところ息子の成績が芳しくないものだから焦ってしまって」
「まぁ、慎吾もまだ小学生なんだしそんなに焦ることはないよ。ねぇ、まよさん」
「は、はぁ」
「とりあえず今日は初日ということで、家の中をざっと案内させていただきましょうか。平野」
執事のおじいさんが「はい、旦那様」と返事をして私を廊下へと連れ出した。
そして、ぐっと声量を落としてこそっと問いかける。
「どうですかな、ご家族の印象は?」
「はい、あの、とっても親切で仲の良さそうなご家族ですね」
まよは褒めたつもりだったのだが、おじいちゃんは皮肉な調子で「親切、仲のいい、ねぇ……」と言ったきり、口をつぐんでしまった。
何か悪いことを言っただろうかと気にしながら後をついていくまよに、しばらくしてからおじいさんは言った。
「まよさん。人間の本性というものは少し会話したぐらいじゃなかなか分からないものです。奥さんとおぼっちゃんにはくれぐれも気を付けなされよ」
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