色なき風の頃

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庭のテラス席は満席で、パラソルが立てられた席と、木の下に二つ。 僕は鈴懸か何か、大きな葉が茂る木の下に座った。 少し先のテーブルには、サラリーマン風の男がパソコンを開いている。 女性たちの声が時折流れて来るが、陰を作る木の下は心地良かった。 雑誌を広げ、サロン紹介の記事を見ながら、桜間先輩の美容室へ寄って来れば良かったかと思う。 美容学校でしか接点のなかった桜間さんが、一人さんと一緒に住むほどに近しい人…恋人だとは考えもしなかったし…二人の関係を聞いてみたい。下世話なことか…。 紅いガラス。歪な形が、光を集めて綺麗なハートに見える。 ボールでも指輪でもない。 この紅いガラスを持っていれば、涼也と繋がっていられるのだろうか。 「お待たせ致しました」 オーダーを運んで来た彼が、ティーポットのカバーを外しながら、僕の手元に目を留めた。 「それ…どうされたのですか?」 「え?ああ、貰い物…か、預かり物ですけど、何か」 「いえ。綺麗だなと思って。すみません。失礼しました。ごゆっくりどうぞ」 彼はそう言って会釈をすると戻って行った。 同じくらいの年か。大人しそうな、フロントから喫茶のウェイターもやるのか?静かな時間が流れているように見えるけど、大忙しなのかもしれない。 雑誌を閉じて、スケッチブックを広げる。 二杯目の紅茶はすっかり温くなっていた。 涼也の顔…本当にこんな顔だったのかよくわからない。 いつまでの顔を覚えているのか、 いつから思い出せないのか、 このホテルに来たのも、突然訪ねて来たのも、この紅いガラスさえ夢のような気がする。 いっそ、何もなかったと思えばいい。
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