剣葬

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 京の都へ続く街道にある樹齢1000年とも言われる杉の木の下で、浪人が斬り殺された。  脇腹を斬られ、腸が飛び出している。夕暮れ時の長い杉の影が、浪人の肉体を闇の中へ引きずり込むようである。  幸の薄い女が傍らに立っている。広がる血だまりが真っ白い足袋を侵食していくように赤黒く染めていく。女はそれを意に返すそぶりを見せずに、屍へ変わりゆく浪人を見つめている。その女は浪人の妻であった。  剣一筋に生きた夫の武者修行に連れ添い、いつか夫が流派を立ち上げ、どこぞの大名にでも召し抱えられることを望んでいた。けれど、それが叶わぬ願いなのは、とうの昔に悟っていた。  徳川が導いた太平の世に、人を殺す術(すべ)よりも人の世を生きる世渡りこそが居場所を与えてくれる。それが浪人には決定的に欠けていた。  女はしゃがみ込み、浪人の胸に耳を当てる。鳴らない心臓に顔を上げ、光を失った夫の瞳に瞼をかぶせた。そして、立ち上がって視線を向けたのは、夫を斬った相手。 「ありがとうございます」  深々と頭を下げて伝えた言葉が感謝だった。この時代に剣生きると決めた多くの男たちは、戦乱を終えた社会に適応できなかった不適合格者。そんな男たちの末路は飢え死にか、病か盗賊たちによって集団で殺されるかだ。  自分が見ることすら叶わなかった剣の高みに、到達した相手に斬り殺された浪人の最期は幸福と言えた。  女は夫の脇差を抜き取ると己に胸に突き刺した。その折り重なる二人の亡骸に手を合わせ、合掌する男の名前は瀬田信綱(せた のぶつな)  20歳という若さでありながら、磨き抜かれた剣技は、斬り殺したすべての相手を感謝へ導くのであった。その信綱が京へたどり着いた。
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