lesson.1

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新興住宅地、都心から私鉄急行で一時間、そこから網の目のように広がるバス路線。新しい家がいっぱい建って行く、ちょっと前は畑が広がっていたと母は言っていた、大きな道路のわきにはいろんなビルや飲食店が出来始めている。 降りるバス停のアナウンス、ボタンを押そうとした。先に音がした、一瞬遅れて手を離した。 停留所、何人かの人が降りる、ギターを抱え一番最後から降りた。 ふー、大きなため息、重なるように後ろから声がした。 「じゃま」 どんと肩が触れた、まだいた。 「すみません」 横を通り過ぎるあいつがいた、行き先の方に足を向けると目線に入る、今邪魔と言われた人を追いかけている。 二人の後ろ姿笑いながら話してる?(あいつも、こっち~?)さっさと行こう。時計を見た(まずい時間が)脇目もふらず走りだした、信号が変わるもお構いなしで走った。ハードケースの中でギターがカタカタと鳴っていた。 「遅刻!」 怒鳴られ首をひっこめた。 「早くチューニングはじめろ!」 この人は私の叔父、秋山翔、父の弟、そしてここは叔父夫婦が経営している楽器店。 隣は自宅兼音楽教室、元はこっちが本業だった。奥さんのさよ子さんはピアノ、キーボードを教えている先生、叔父はここ秋山楽器店のオーナー、私の専属の講師をしている。 遅くなりましたが、私、山田知佳(ちか)高校二年、クラシックギターを習っています。 これは学校には内緒、訳あって、誰にも知られないようにやっています。目標があってクラブ活動なんかに力を入れていない進学校を選びました。母は昼間スーパー、夜はコンビニで働いている(本当に感謝しています)弟、雅之(まさゆき)は中学二年の野球少年、彼は私のためにいろんなことを犠牲にしてきたかわいい優秀な弟である、友達はいつも兄だというほどしっかり者だ。 銀行員だった父は交通事故で私が小学校へ入るとすぐに天国へ行ってしまった。そのため、母の旧姓になった秋山から山田へ。 叔父と私は十歳しか離れてない、小さい時から兄のように慕っていた、G大に行った変わり者と親戚の中では一目置かれた存在。一時は音楽で食べようとバンドを組み歌手デビューを果たした、奥さんは元グループにいた仲間、きれいな人で、音楽教室の夜の予約は伯父様たちがいっぱいで大変だ。写真の中の父もいい男、その弟だものイケメン決定、私は鼻が高い。音楽教室の二階はもはや第二の我が家、私たち兄弟は小さい時から泊めてもらったり、ご飯をごちそうになったりしていた。 今日も今日とて練習後ちゃっかり自分ちのようにくつろいで朝ご飯をいただいておりました。 「知佳ちゃん、コンクール今回で終わりなのよね、いいの?」 「うん」 「来年は受験、三年生か、早いな、大学は?」 「行かなきゃダメかな?」 「義姉さんは?」 「どっちでもいいって何も言わない、けど、もうお金かけられない」 「奨学金受ければ?おかわりは?」 「もういい、ごちそうさま。そこまでして受けたいと思わない、就職でいいと思ってる、でもこれは受けたい!ラストチャンス、全国一位とりたいし」 「海外留学だもんなー、行ってみたいよね、去年は三位かー頑張るしかないか」 「お店行ってきます。空いてるスタジオ借りるね」 雅之も来年受験、推薦で行ける可能性が高い。甲子園の期待の星だと自慢している。だから私だけがお金をかけられる訳がない。 人生は葛藤の毎日、目の間に立ちはだかる大きな壁。それを乗り越えられたとき、自分に勝利できたと思えるのではないだろうか。 中学の時から毎年出ているコンクール、でもこれも今年で最後、そう決めていた。 でも、私には、まだ、乗り越えられるどころか、その壁の正体すら見えていなかった。 スタジオや教室の空いている時間を利用して時間いっぱい弾く、コンクールへ向けての練習。ただで練習をさせてもらってる代わりに、ここでアルバイトをしている、掃除から、予約状況を電話で受け取ったり、まあ雑用だよね、それでもアルバイトを雇うよりは人件費がかからない分いい用に使われているような気もする、しかたがないかぁ。 今、アルバイトは二人雇っている、ピアノの講師補佐の佐藤(さとう)美香(みか)ちゃん、短大生、高校生の時からきている。それと楽器店とスタジオの管理をしてる高原(たかはら)清隆(きよたか)さん、優男(やさおとこ)を気取っているのか、かっこつけ、でも彼もいい男かもな、ファンはいるみたいだし、彼女は?んーどうだか?二十二才の彼も詰襟を着ていた時から知っている。この二人はもう家族みたいなものだった。 「ヨウ、ジャリ、コンクール出んのか?」 まったくいつになったら名前で呼んでくれるのやら、畳み掛けるような会話が兄弟喧嘩のように、スタジオ前の廊下で始まる。 「また痴話げんか?」 下から上がってきた美香ちゃんが呆れた顔で言う。私はここぞとばかりに甘えた声で言う。 「美香ちゃーん聞いてよこの人ね、まだ名前で呼んでくれないんだよ、六年よ六年」 「まったく、早く社員にしてもらえばいいのに」 「だって、それじゃ、めえいっぱい稼げねえだろ、だからこのままがいいの」 社員の話はここ二、三年、会社としてやっていきたいと叔父はキヨ君に話をしていた。
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