終章 天狗様、帰還す

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「兄者、この度のこと、心よりお喜び申し上げる」 「うん、ありがとう。治朗には本当に、色々と世話になったね」 「なんの。兄者のご苦労を思えば、俺など……」  そんな互いに頭を下げあう太郎と治朗の間に、法起坊が強引に割って入った。 「固いのぅ、お前ら。それでも兄弟分か? もっと軽い会話はできんのか、治朗」 「お、俺ですか?」 「お前が16年面倒見て守ってきた藍ちゃんを、こいつが横からかっさらっていくんだぞ? 一言なりとも言っとくことはあるんじゃないのか?」  法起坊はどうも、人間の男とその結婚相手の父親が、結婚の挨拶の時に醸し出す緊張感を出せと言いたいらしい。自分が面白がるために。  が、治朗は”一言”と言われて、法起坊の期待するものとは別の”一言”を紡ぎだした。 「兄者、これまで数々、無礼なことを申しました。どうか、お許しください」 「え、うん。別に怒ってないよ。むしろ何のこと?」 「それは……例のかくれんぼ騒動の時や、その後にも前にも、色々と……」 「色々と? そんなに色々あったっけ?」  その言葉に、治朗はほっとした反面、ショックを受けた。自分の関連したことは何一つ思い出してくれないのか、と。 「あ、そういえば賭けをしてたよね」 「……賭け?」 「ほら、藍は僕と治朗のどっちを選ぶかなって話」  ああ、という呟きが治朗の口から洩れた。はっきり言って、すっかり忘れていた。  あの時は、藍と離れがたく思っている自分に気づき、戸惑っている頃だった。敬愛する太郎のことを少しでも助けたいと思いながら、藍が幸せになることも願っていた。  太郎が藍と結ばれることに躊躇して、その結果彼女が傷つくなら、いっそ引き離した方がいいのでは……そう思った瞬間もあった。  だがそんなことは、杞憂に終わった。自分が守らねばと思っていた少女は、いつの間にか自分で自分の道を選び、切り拓く力を身に着けていた。それどころか、自分の何倍も長く生き、苦しみ足掻いてきた人の身も心も体を張って救った。  もはや自分にできることなど、ないだろう。誰あろう治朗自身が、彼女の選択を誇らしく思っているのだから。 「……勝負は、僕の勝ちだね」  太郎は少し得意げに笑った。昔から、治朗は太郎に勝てた例がなかった。体を張った勝負をしても、何かしら策を講じられていつの間にか自分が不利に陥っていたものだ。絶対に自分が勝つと思っていた勝負ですら、いつも……。そしてその度、太郎はこうしたちょっとだけ得意げな笑みを浮かべるものだった。  またか、と思うと同時に、治朗はこうも思った。  いい加減、この顔は見飽きたと―― 「果たしてそうでしょうか?」 「…………え?」  太郎の笑みが、崩れた。それを見て、今度は治朗がニンマリと笑った。 「ど、どういうこと? だって藍は僕と……」 「ええ、”恋人”……いずれは”夫”として選びましたね」 「そうだよ。だから……」  太郎の顔が引きつりだした。治朗はできるだけ笑い出すのをこらえて、言った。 「ですが……俺は、藍の”父”として、”兄”として、そして”親友”として選ばれました。3つ(・・)もです。これは……俺の勝ちではありませんか?」 「……はあぁぁぁ!?」  太郎の大声に、部屋にいた全員が振り返った。それでも太郎はわなわな震えて治朗を睨もうとする……が、狼狽えてできない。 「な、なんで!? だって普通、選ばれるって言ったら……」 「兄者はあの時、”恋人”として選ばれた方が勝ちとは言いませんでした。だったらこの場合、数が物を言うのではないですか?」 「そ、そんな……!」 「ははははは! こりゃ一本とられたな、太郎」  太郎の慌てふためく様を見て寄ってきた皆も、話を聞いたら治朗に軍配を上げた。これは、治朗の初勝利かもしれない。  関わるまいと決めてきた人間が、どう接すればよいか分からず戸惑った小さな赤ん坊が、一度言い出したら絶対に曲げずに困らせてきた少女が、その初めての勝利をもたらしてくれた。  そんな少女を手元から送り出すかすかな痛みを、治朗は勝利の美酒で呑み込んだのだった。
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