終章 天狗様、帰還す

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 この人は、千年の時をかけて私を見つけた。  私は、千年の時の果てにこの人と出会った。  奇跡のような出会いを嬉しく思う反面、どこか手放しで喜べない自分もいた。それは、太郎さんも同じだったみたいだ。  私たちは、千年前のあの日に、藍姫を置き去りにしてきてしまった。皆に迎えてもらって嬉しかったけれど、そのことはずっと心の隅っこに引っ掛かったままだった。 「あの、太郎さん。藍姫は……?」 「……うん」  太郎さんは、なにやら口ごもっていた。忘れていることを思い出そうとしているんじゃない。言葉を、慎重に選んでいる風だった。  そんな様子から、薄々、あの後のことが想像できた。 「藍姫は、あの後やっぱり死んでしまったんですね」 「……うん。もう間に合わなかった」  消え入りそうな声だった。きっと、悔やんでいるんだろう。彼女が死に行く様を見ているしかできなかったことを。 「その時、あの男は……?」  太郎さんは静かに首を振った。 「当時の僕が目を覚ましたときにはもういなかった。おそらく、僕が術を仕掛けるのを見て逃げていたんだろう」 「……藍姫を置いて?」 「そうなるね」  ぎゅっと、胸が無造作に鷲掴みされたような痛みが走った。これは私の彼女に対する憐みだろうか。それとも、私の中にほんの少し残っている彼女の意識が感じた哀しみだろうか。 「……ちょっとだけ調べたんですけど、賀茂忠行に娘はいないことになってたんですけど……どうしてなんですか?」 「わからない。けど、おそらく……忘れてしまったんだと思う」 「そんな……!」 「あの男は、あの後人が変わったように穏やかになっていたよ。だけど、娘の名を口にすることは一度もなかったらしい。あの時の出来事がきっかけで記憶から消えてどの記録にも残らなかったか、あるいは怒りの余りいないことにしたか……真相はわからない」 「……そんなのって、ひどい……」 「そもそも女性の名前が残らない時代だったからね。もしあんなことがなかったとしても、同じことになっていたかもしれない」 「存在したことすら認めてもらえないなんて、そんなの……ひどい」  藍姫は、最後の瞬間まで、ずっとずっと望んでいたものを得ることはできなかったんだ。 「藍姫は……可哀そうな人だった」 「……はい」  太郎さんは、ぽつりと呟いた。私も、会って話した彼女を思い出して、呟いた。 「才能に恵まれ、人格に恵まれ、美貌に恵まれ……きっと望めば何でも手に入った。だけど、彼女が望んだものはたった一つで……それは、絶対に手に入ることはなかった」 「……藍姫は、言っていました。父親の本心を知って絶望したけど、同時にまだ愛される道があるって思ったんだって。同じ叶わない想いなら、太郎さんを……その……」 「……『貴方を愛すれば良かった』……そう言っていたよ」 「そう……ですか」  悲しい人だった。  とっても綺麗で、朗らかに笑うのに。あんなに優しいのに。あんなに聡明なのに。あんなに愛情深いのに……一番大きな愛情を捧げた相手は、それを搾取することしか考えていなかった。その結果、藍姫は自分の中のどうしようもない想いの深さに、心を苛まれ続けた。  言葉の通り、太郎さんを好きになっていたら、きっともっと違う結果になっていたんだろうと思う。私なんかがそんなことを言ってはいけないけど、そう思ってしまう。 「あの、お墓……とかは?」 「愛宕山にある。都には戻れそうになかったから」 「そうですか……じゃあ、私、行ってみたいです」 「うん、そうだね」  藍姫がいたあの真っ暗な場所には、もう行ってはいけないと言われてしまった。彼女が眠る場所なら、行ってもいいだろうか? そこに行けば、もう一度彼女に会えるだろうか?  なんて、なんだかあべこべなことを考えてしまった。
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