憂鬱とシフォンケーキ

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「ていうか、正直うざいよ。私のSNS監視して、他の男と飲むなとか」 「だってそれは、心配で……男と二人きりで会ってたりするから」  別れ話と言っていたくらいだから高岡さんはもう彼に気持ちはないんだろう。とはいえ、男性のほうはまだ高岡さんのことを好きなのだろうし、心配する気持ちも分かる。  少しだけ男性のほうに同情していたけれど、だんだんと雲行きが怪しくなっていく。 「彼氏面すんなって言ってんの! 一回ご飯いったくらいでさあ!」  ――え、付き合ってないの?  思わず声に出すところだった。   そうだ、高岡さんは「彼氏でもないやつ」に別れ話をすると言っていた。こういうことだったのか。 「だ、だってあのときはすごく楽しかったって……」 「バイト先の先輩に紹介されたんだよ? 悪く言えるわけないじゃん。でも、しつこすぎ。もう会わないって言ってる時点で脈なしだって気づいてよ」 「それは……」 「告白されたらこっちだって振りようがあるのにさ、なにも言わずにネットストーカーとか」 「じゃ、じゃあ告白したら良かったの……」 「話になんないわ。帰るから。もう連絡してこないで」  椅子を引く音がして、男性が慌てて何か取り出す。 「ま、待って。これ、前から食べたいって言ってたよね。もうすぐで時間だから」 「出た」  目線だけで後ろを見ていた春臣くんがつぶやく。  私も最低限の動作で後ろを確認した。  男がテーブルの上に出しているのは、くしゃくしゃになった整理券だった。 「いらない」  それで高岡さんの気持ちを引き留められるはずもなく、彼女が立ち上がる。 「た、食べたいって言ってただろ!? ツイッターに書いてたし、インスタでもよくスイーツ食べてるよね!? これっ、インスタに載せたら絶対自慢できるって」  男の声はだんだんと大きく、キイキイと耳に響くようになる。  何事かと見に来た女性の店員さんも異様な空気に呑まれて立ち尽くしている。  さっきまで野次馬的に見ていたお客さんたちも、固唾を呑んで見守っている。  男は爆発寸前の爆弾のような危うい空気を醸し出していた。  高岡さんは眉間を押さえてうつむいてしまった。 「なるほどね。待ち合わせの時間より早くケーキを受け取れそうだから、遅い時間の整理券が欲しかったのか。女を少しでも長く引き止めるために」  それが真相なのだろうけど、そんなことはどうでもよくて、男性の耳に入って逆上されたらと思うとこわかった。  なだめようと差し伸べた手をするりと抜けて春臣くんは男性の前に立つ。そしてテーブルに整理券を叩きつけた。 「あんたの本当の整理券はこれだろ。人に怪我させて盗んだ券で女口説くんじゃねーよ」 「……さいってー」  高岡さんがそう言い残して店を出て行く。男はうつむいたままだ。  これで、一区切り。この空気は終わり。示し合わせたように客が話し出す。  春臣くん、お店を出よう。そう声をかける前に春臣くんが口を開いていた。 「そんなんだから振られるんだよ。券が欲しけりゃ交渉しろよ。それくらいできねえのかよ、このコミュ障」  あ、やばい。瞬時に察した。明らかに、言い過ぎている。  無気力にうなだれていた男が顔を上げた。ぶわっ、と全身から怒りがにじみ出ている。  ぶつけようのなかった高岡さんへの怒り、失ったむなしさ、みたいなものすべてのエネルギーが一つの場所に向かって放出されようとしている。  怒りの焦点がぴたりと定まったのだ。  男がプラスチック容器に入ったコーヒーを振りかぶる。  私は気づいたときには春臣くんをかばうように抱きしめていた。  ――バシャッ。  背中に冷たい液体が広がる。  誰かの悲鳴が上がった。男が私の横を足早に走り去っていく。 「大丈夫だった?」  春臣くんの肩に手を置いたまま身体を離すと、白い肌はいつもより蒼白になっていた。  小刻みに震える唇が小さく動く。 「ごめん、千咲ごめん……」  泣き出しそうな顔だった。  春臣くんのしたことは明らかにやり過ぎだった。人には踏み越えてはいけない境界みたいなものがあるってことを知らなかったのだと思う。  けれど、すぐに謝った春臣くんは、そのことを理解したのだろう。  テーブルには引き換え時間のきた整理券が残されている。 「これ一緒に食べよう!」  皺の寄った券を掴んだ。  春臣くんは私のために怒ってくれたんだ。  謝罪はもういらない。ただ、その勇姿を褒めるためには甘いものと一緒に、なんて都合がいいかな?  ぎこちなく頷く彼に、大げさに笑ってみせた。
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