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チラリと私を見た春臣くんが肩をすくめる。
「ま、そういうこと。あんま深く考えるなって。ほら」
フラペチーノのストローが唇に押し当てられる。
ぼんやりと受け取ってそれを吸えば苦さより甘さの勝つコーヒーが流れ込んでくる。
「千咲、ここにさっきの男が現れたとして、見分けつくか?」
「え、あ、多分……」
駅のほうに向き直る。こうしてみると人が歩くスピードというのは結構速い。でも店の出入り口に絞れば人の見分けはなんとかなりそうだった。
「じゃあ犯人の特徴を言ってみて」
「え、えーと……」
正直、犯人を見たのは一瞬で、特徴というほどのものはつかめていない気もするが、必死に後ろ姿の映像を思い浮かべる。
「男で、結構痩せてて……若い、かな?」
「じゃあ服装は?」
「えーと、ジーンズに……グレーのTシャツ?」
「やっぱりな。全然違う」
春臣くんがため息をつく。
「性別と年齢はあってるけど、服装が違う。あいつが着てたのは黒いジーンズと白いシャツ。あとベルトが趣味の悪い赤」
「た、確かに全然違うけど……なんで春臣くんが正しいって言えるの?」
「俺は少なくとも列に並んでる間も見てたし」
自分の記憶のポンコツぶりに落ち込んでいると春臣くんが珍しくフォローしてくれる。
「まあ目撃者の記憶なんて結構あいまいなもんだって。それより、探すなら正しい犯人の情報覚えろよ」
軽いでこぴんを額に受け、改めて店の入り口に目をこらす。
そのままお互い飲み物一杯だけで粘り続けて、いよいよケーキの引き換え時間が近づいてくる。
そのとき、後ろの席に人が座る気配があった。
確か後ろは二人がけのテーブル席だったはずだ。気配も一人じゃない。
「もう会わないって言ったよね」
不機嫌な女性の声がして体が強張った。
一言だけでわかった。少し鼻にかかった高くて特徴のある声は高岡さんだ。
ゼミで別れ話をすると言っていたけれど、その現場に居合わせているらしい。
到底振り向くことはできない。石のように固まって前を向くけれど、すべての神経は後ろに集中してしまう。
「千咲、どうし――もごっ」
「しーっ、名前、しーっ」
少し珍しい名前なので、私だとばれる可能性がある。
春臣くんの口を思わず手で覆うが、じたばた暴れられて手を払われた。
「あっ」
振り向いた春臣くんが驚愕の声を上げる。
ただ事じゃない声に思わず振り向いて、私まで声を上げそうになった。
高岡さんの向かいに座っている男は、黒いジーンズに白いTシャツ、そして赤いベルト。
脳内の映像と目の前の男性が急にかちりとはまる。そこにいたのは私の券を奪った犯人だった。
怒りに燃えて立ち上がろうとする春臣くんを必死で止めた。
「なんでだよっ」
「いっ、今はまずいのっ」
春臣くんの気持ちも分かるが、うしろも修羅場なのだ。しかも知り合いだ。そういえば明日もゼミの集まりがある。この現場に居合わせたことがばれたら気まずい。
おそらく高岡さんたちは話に集中していて、まだこちらには気づいていない。
なんとかおとなしくして、このままばれずに終わりたい。私は縮こまって時が経つのを祈る。
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