黒い心

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黒い心

c4012a4b-4d1d-4f94-babb-f2f560fdd332自分の前世の苦痛体験を振り返るという行為は、私としても古傷を抉るような苦々しい感情が喚起させられる。 小さな頃の記憶というものは大抵は曖昧だ。 他者から向けられる悪意に満ちた表情ですらも、「歪んだ表情の木彫りの面」か何かを見詰めるような「不思議な心持ち」で、それを眺めていた。 自分に向けられた悪意に満ちた表情に「心を鷲掴みにされる」ようになるまでに、私は随分と時間がかかっていたのだと思う。 虐待自体は乳幼児期から行われていた。 なのに私が自分の待遇が虐待だと気付いたのは小学生に入ってからだった。 「他の子達の家庭環境と、我が家の家庭環境が余りにも違う」事を目の当たりにして初めて、私は自分が虐待されて育ってきた事に気付いたのだった。 学校から家に帰ってきても大抵いつも両親はいない。 大抵パチンコに行っていた。 両親は定職に就いておらず、それでいてパチンコに狂っていた。 勝って帰ってきて上機嫌の時も、私を貶すような憎まれ口をきいて、気紛れに犬に餌でも投げ寄越すような感じで接してきていた。 パチンコに負けて不機嫌な時などは目を合わせるだけで叩かれた。 小さい頃には暴力をうける度に、怪我を負わされる度に大声で泣き喚いていた。 だけど私はある日を境に泣き声をあげなくなった。 それはそれで可愛気がなかった。 「お前みたいな足手纏いがいなければ」 「親をバカにするような目付きをしやがって」 そんな事を言っては、何かと 「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」と恩に着せては 「お前は飯抜きだ!」 と言い出して、本当に何日も食べ物をくれなかった。 小学校は給食があったし、クラスメイトは私の事を残飯処理機のように思っていた。 周り中から「人間の尊厳」を否定されていたのだとしても、取り敢えず飢え死にはせずに済む環境だった。 基本的に私は万年イジメられっ子だった。 だけどたまに親切な子がいて、そうした子達はまるで友達であるかのように誕生パーティなんかにも呼んでくれた。 そんな感じの優しい子の家は大抵、 優しいお母さんがいた。 とても優しくて良い匂いがする人達で、私をイジメたりしないのに… そんな優しい人達と接した後は 意地悪な子達に嫌な事を言われたり嘲笑われたりした時よりも 何故か余計に哀しくなった。 何故か涙が零れる。 その涙の意味を私は大人になるまで気づかなかった。 子供の頃の私は、作文が大の苦手だった。 普段の生活の中でも「理論的に考えながら、物事をとらえる」といった脳の使い方を一切していなかった。 なので暗記や勉強は出来るものの、自分の感情を自分で理解したり、それを言葉にしたりする事が出来ていなかった。 大人になってから 「親切な人と接した後に、何故か絶望して死にたくなる位、惨めな気持ちに囚われる心理」を分析してみた結果。 やっと「病気の野良犬でも見るような目で憐れまれてた事が、本当は屈辱だった」のだと、自分の本心に気付いたのだった。 何がいけないのか分からないけど、何故か私は何処に行ってもイジメられた。 これ以上酷い目に遭わないように「プライドなんて無いのだ」と自分自身に思い込ませる。 そういう自己保身術を無自覚のまま自分に暗示として施していた。 だけど、そうした「プライド無き人格」の自己暗示は、ふとしたキッカケで思いがけない時に解ける事があった。 「私も、他の人達と同じように人間なんだよな…」 という事実を思い出すと、世界の全てを滅ぼしてやりたくなるくらいのドス黒い憎しみが私の中に溢れてきて、どうしようもなく 「自分より弱いやつの命を奪いたい」 といった殺戮衝動が込み上げてきていた。 捕まえたトンボの翅を毟ったり 蟻を次々と指で潰して廻ったり 毛虫を踏み潰して廻ったり。 「虫」は主に 私の殺戮欲を満たす格好の獲物だった。 しかし一方で野良の仔猫を箒で叩き回して殺すといった「野良の小動物」も又、 目撃者がいない場所においては、スリリングな獲物であった。 虫を殺す事に文句を言う人間は少ないが小動物に関しては「虐待=犯罪」といった意識を持つ偽善者が多いのだという事を私は本能的に知っていた。 おかしなものだ。 私を「病気の野良犬」のように蔑み、事あるごとにイヤガラセしたり、嫌悪感剥き出して嫌味を言って嘲弄している連中の大半が「学校のウサギ小屋のウサギを虐待するヤツはクズだ」だのとほざくのだ。 人間達のそうした矛盾を私は知っていた。 そしてその手の人間が自己矛盾に向き合う気などさらさら無いのだという事も知っていた。 なので小動物へ向ける殺戮欲・嗜虐心は徹底的に「隠蔽」して生きていた。 自己矛盾を抱えた連中へと鏡を見せつけて自己矛盾に気づかせようとするような、そんな反抗心も愚かさも、私は持ち合わせてはいなかったのだ。 多くの人間が「好き=善、嫌い=悪」という判定基準を持ち、そのダブルスタンダードぶりに無自覚で、それでいて、そのダブルスタンダードな判定基準に基づく正義感を振りかざして「義憤」と称した自己満足なイジメを行っているのだ。 私は、私をイジメていたクラスメイト達が道徳の授業中に、教材の[御涙頂戴物語]を読んで「差別はいけない」 と言い出して、涙まで流して正義を力説するのを何度となく目にしてきた。 私はそうした様子を見せつけられながら「自己客観性の無い情緒主義は偽善と矛盾の生みの親である」と悟ってしまったのだった。 兎にも角にも「家でも虐待され学校でもイジメられる」。 それが私の子供時代の日常だった訳だが。 小学生高学年の或る日の事。 休み時間にトイレに行ったら満室だった。 なので渡り廊下を通って隣の校舎のトイレに行こうとしていた。 その時に渡り廊下に弱った蝶がいた。 私の足元の直ぐ傍をヨタヨタと歩いていた。 その蝶が何を思ったのが、私の上靴の爪先部分の上に這い上がってきた。 私は「気持ち悪いな」と思って、咄嗟に上靴を脱いで、上靴のかかと部分を手で持ち、蝶を振り落とした後に、上靴の靴裏部分で蝶を叩き潰して殺した。 それをクラスメイト達に見られていた。 私の中には 「蝶は虫だ。虫は殺しても文句は言われない」 という刷り込みがあった。 その出来事の何が問題なのか、私には全く意味が分からなかった。 それなのに、それ以降[優しい人達]の誰一人として私に近づこうとはしなくなり、私は完全に孤立した。 ワケが分からなかった。 偶に声をかけてくれていた[優しい人達]から完全に見離された事でイジメは陰湿化・露骨化していった。 小中高と学生時代は常に誰かしらからイジメられていたのだが 持ち物を隠されたり捨てられたり壊されたりした時には 「イジメられて物が無くなった」 といった事を親にも話す必要があった。 新しく買ってもらわなければならないからだ。 そんな時には「お前は我が家の恥だ」と罵られて、顰め面を向けられ「金がもったいない」と説教をされた。 私に対して差別しない公正な人間が そこに居たとするなら 「他人の持ち物を隠したり捨てたり壊したりする方が悪いし、やられた側は被害者だ」 と、普通の事を普通に言ってくれた筈である。 だが私の人生には、そんな普通の事を普通に言ってくれる公正な人は現れなかった。 当時の風潮もあったのだろうが… 「イジメられる方にも問題がある」 という考え方が当たり前のように罷り通っていた。 イジメっ子側は無罪放免で野放しだった一方で イジメられっ子は「問題がある人間、ダメ人間」という烙印を押されて、尚且つ 「あんな風にはなりたくない」 と忌避・疎外される事がままあった。 私もそのパターンだった。 高校の時には、流石に義務教育ではないので「逃げ場の無い狭い教室に閉じ込められて3年間耐える必要性が本当にあるのかどうか」私には分からなかった。 なので「逃げたい」という欲求にとうとう負けて中退した。 親は「金が無駄になった!バカが!」と激昂した。 「イジメられるようなダメ人間ってだけでも家の恥のクセに。今度は学校にも行かない、高校辞めて中卒になるとか、お前世の中ナメてんのか?いい加減にしとけ!お前なんかこの家に要らんわ!出て行け!」と。 それでも「我が子を追い出した」と親戚や近所にバレたら、更に自分が恥をかくと思ったのか。 「住み込みで働けるような仕事を県外で探せ」と、 発言が後から少し緩くなって「直ぐに追い出される」といった事はなかった。 そして私は親の命令通りに 「住み込みで働ける県外の職場」を探し、美容師見習いの仕事に就く事になった。 当時としては美容師見習いとかいう仕事はグレた人が多かった。 未成年なのに暑化粧して、 安物のコロンの匂いをプンプン漂わせている「先輩」達に、私のような万年イジメられっ子が可愛がられる訳もなく。 やはり風当たりは強かった。 ただ学生と社会人の違いはあった。 社会人は学校という閉鎖空間とは異なるので、「イジメる」という行為が客観的に「醜い」という評価に繋がるので、多少は抑制されるのだ。 なので職場には「馴染む」とまでは行かないまでも、客にまで丸分かりになるような露骨なイジメは影を潜めていた。 そして何処にでも親切な人はいる。 実際には「親切」というより「マイペース」で生きてる人達と言うべきかも知れないが。 取り敢えず、そうした「私の事をイジメない人達」に追従する事で、私は社会適応しているかの如く擬態する事に長けていった。 若い時分の「遊び」は、そうして覚えたといっても過言ではない。 基本的に社会の底辺において「私の事をイジメないタイプ」の人には、色ボケしてる人が多かった。 なので暇な時には一緒に[男漁り]をする事が多かった。 ナンパ・スポットにワザワザ出掛けたり、知り合いに「彼女いないお友達とかいません?」などと話を振って網を張り巡らせるのだ。 どうせ結婚する訳でも無いんだし、どうせ私なんて結婚出来ないだろうし、という思いがあったので 「男漁り=恥ずかしい」 といった意識は無かった。 生理不順が慢性化していた為に妊娠しにくいだろうとも思っていた。 だけどそれが間違いだった事を悟り、 [できちゃった婚]をする事になった。 旦那となった男は初めは優しかった。 だけど私が万年イジメられっ子だった事や実家で虐待されていた事を知ると、何故か暴力を振るうようになった。 旦那の本心なんて私には知りようがなかったのだが、さしずめ「誰からも大事にされてないようなヤツなら、俺が粗末に扱っても、何処からも文句もでまい」といった意識が働いていたのだろう、と思う。 その手の「皆が踏みつけてるものは自分も踏みつけて良い筈だ」といった心理で、 被害者を更に痛めつけるようなセカンドレイプ心理は、実に世の中ではありふれて存在している。 後年、携帯電話やインターネットが普及して、多くの人達が各々の内面の声をネット上で垂れ流しにするようになった訳だが。 いちいちセカンドレイプ心理らしきものを他人の中に見立てては激昂し、被害者意識を振りかざすような被害妄想な感じの人達がネット内で目立ち始めた。 そういった人達がフェミニストや反差別主義者を自称しているのを目にして 私は内心 「コイツら、どんだけ被差別免疫無いんだよ? いちいち大袈裟なんだけど。 やっぱり政治的駆け引きの一環とか、人権利権屋の回し者な訳?」 と思った。 「大袈裟な痛がりの偽善と独善に塗れた理想主義」 は私の心に共感を齎しはしなかったのだ。 寧ろ余りの滑稽さと打算の厭らしさに、鼻から笑いが漏れるのを禁じ得なかった。 私は「人間不信ここに極まれり」という位に「人間不信」を拗らせていたのだ。 それというのも結婚して子供を二人産み育てたが最初の子は生まれながらの障害児だったのだ。 「子育てとはかくも過酷なりしものか」と骨身に沁みて思い知った。 最初の子は生まれながらに身体の障害だけでなく、先天的自閉症という精神障害も負っていたのだ。 何かにつけ自分の頭を床や壁に叩きつけては大絶叫して、怒りと精神恐慌を撒き散らす子だった。 こちらの精神的ストレスは普通に生きてるだけで日々MAX状態で 「生きる喜び」のようなものは常に欠乏状態だった。 そのうち旦那が鬱になった。 ある朝、旦那が虚ろになってた。 浜に打ち上げられた死んだ魚みたいや目をして、妙に紫がかった血の気の失せた顔色をして、目を見開いて空中を見続け、ボンヤリしていた。 精神科を受診させて長期投薬を受けた。 暫くしてから「それまでの状態に近い」ように見えるまでに回復したかに見えたが。 やはり何かが違っていた。 記憶の混乱が見られ、起きてない出来事を起きた事だと思い込んでいたり、起きた出来事を起きていないと思い込んでいたりするのだ。 旦那は鬱になった後の数年後も精神状態の改善が見られず、精神障害者手帳の交付を受けた。 結局のところ私は障害者を家庭内に二人も抱えて暮らす内に、色んな意味で「擦り切れていった」のだと思う。 体調不良を感じてはいても、なかなか病院へ出向く気になれなかった。 そして病院にも掛からずにいるうちに、どんどん具合は悪くなっていった。 その頃には専業主婦だったので、自分のペースで家事をしていて、家族は私の状態に誰も気付いていなかった。 本当はお風呂に入る体力も無い状態だった中で入浴し、溺死した。 「未必の故意」的な自殺に近い死に方だったと思う。 「長生きしたい」と思うようなモチベーションが自分の中に見出せなかったので、それも仕方がない。 こうした「社会の底辺で始まり、社会の底辺で終わった」私の前世の人生は 私を魂レベルでニヒリストにしてしまっていた。 本当に可愛気がない。 一応、また女に産まれてしまったのだけど。 性格は男に近いのかも知れない。 こうした人間性からして、私はツカサさんのハーレム計画にはそぐわないと思われる。 こういった事をツラツラと語り、 私はツカサさん、レイカさん、ケントさんを改めて見詰め返した。 私は自分の中身の「虚無的で黒い面」について、正直に語ったのだ。 五月蝿く騒ぎ立てて気紛れと激情のままに他者を攻撃する人種とは真逆の 静かに殺意を燻らせて、密かに虫や小動物を血祭りに上げて精神の均衡を保ち、負の念を隠蔽して淡々と暮らしている人種なのだという事を。 それが前世に引き続き、今世でも、【覚醒】に伴って自分のアイデンティティのベースとなっている事を。 こうした「黒さ」は、どんなに隠しても、どうせバレる。 妙に美化された人物像を偶像化され、それに煽てられて自分の本心を欺いて生きる事は、自分自身の意志の力を弱める事になる。 「これが自分なのだ」と周りに示して受け入れられるなら良し。 受け入れてもらえなくても 「こいつには何を言っても無駄だ」 と矯正する気を無くして、諦観と許容の心持ちを持ってもらえるなら、それがこちらの生き易さに繋がる。 自分の人生の環境整備の為には、早目に自分の生態を自己申告しておくに限るのだ。 こうした話を聞いて、彼らが私に対して「共感しない」だろう事は分かっている。 なので彼らが「諦観と許容」の心理へ早目に至れるように、後は悪びれる事なく自分の本質である「透徹なニヒリズム」を誠実に表明するしかないのだ。 話し終えた私に対して唯一共感を示したのは、意外にもレイカさんだった。 「何かこう、イオリさんの話を聞きながら[世の中に対する底無しの憎しみ]みたいなのを感じたんだけど。 それって私にも解る気がするのよ。 前世での私の借金死ぬまでに返し切れてなかったから。 その後、母や姉に物凄く迷惑をかけてしまったと思うのね。 それが何時までも心残りでね…。 それを思う度に、私を陥れたあの女の事が憎くて憎くて堪らない、って怨念が込み上げてくるの。 [本来の魂の記憶]を思い出したからには、参入者の体験は全て仮想体験みたいなものだって事は充分理解してる筈なのに。 それでも迷いの無い悪意で他人を苦しめて喜ぶ類の輩に対しては、どうしても怨念めいた復讐心が立ち昇ってくるのよね…」 とレイカさんが呟いた。 それに対して私は自分の思っている事を更に具体的に話した。 「ううん。私が復讐心を持ってるのは、世の中に対してじゃなく【地球世界】に対してなんですよ。 あの世界では[カルマ清算の為の生]が過酷過ぎて発狂した参入者達の魂まで壊れてしまい、肉体の死後も[本来の魂の記憶]を思い出せずに悪霊化してしまう事態が頻繁に起こってるし。 そういう事故が更に次なる事故を誘発して、悪霊化する魂は増え続けてる状態じゃないですか。 [カルマ清算の為の生]の悲惨さは、そうした悪霊による干渉で加速してる傾向があると思うんですよ。 私はね。あの世界に対する憎しみを『無かったことにする』事で『アイツらには私を傷つける力は無いんだ』って事を自分自身に示したいんです。 そして『この世界で幸せになる』事が、あの世界への復讐になると考えてるんです。 なので私は、どちらかと言えばツカサさんのハーレム願望には賛成です。 私がハーレム形成要員になってキャッキャウフフってツカサさんの幸せを盛り立てていってあげられるのかどうかは別として。 地球出身者である我々はこの世界に適応して、この世界で幸せにならなくちゃいけないんです。 それが我々の魂に課せられた最重要のミッションでもあるとさえ思ってます」 それに対してツカサさんは 「ごめんなさい!俺、そんな壮大な復讐計画とか一切考えた事もありませんでした! 単にハーレムは男の浪漫なんです!」 と答えて両手を合わせて頭を下げた。 「知ってた〜」 と、すかさずケントさんがツッコミを入れた。 ケントさんのツッコミにもめげずにツカサさんは言葉を続ける。 「でも今の話を聞いて、俺は今まで完全にイオリさんを見誤っていたなって思いました。 浮ついた感じがなくて落ち着いてる性格だから。 きっと俺達なんかより、ずっと普通に近い人生を送ってきてて、普通よりもちょっとだけ辛い事が重なってたって感じの前世だったんだろうなって勝手に思ってました。 んで前世で精神科医してた友人が美人の元患者さんと結婚してたのを思い出して。 『心の傷を埋めるお手伝いをする事で惚れてもらえるチャンスもありそうだな』とか。 結構気軽に考えていて完全にナメてました。 ホントすみません。ごめんなさい」 ツカサさんが平謝りするのが少しイタイ。 「それじゃあ、助手推薦云々の話は…」 と疑問を呈すると 「あ、それはお願いしたいです。 俺からするとイオリさんは頼り甲斐があります。 でもハーレム要員へのお誘い云々の方は、俺の人間性と懐がもっと広くならないと。 まだまだ俺の方に包容力が足りないかなぁ〜って思いますので、数年は保留でお願いします」 との答えだった。 こうして本部への報告書は、私をこの研究施設のツカサ・サノ研究員の助手に推挙する旨の報告が盛り込まれたまま提出される事になったのであった…。
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