魂移し(たまうつし)

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魂移し(たまうつし)

「この男でしたら覚えております。変わった願いをした男がいましたからね…」 「その願いって一体どんなものだったの?」 「自分の魂を別人に移して欲しいというものでした。 自分が成り代りたい対象の魂を吸い取って肉体から追い出して欲しいと言われました」 「そんな事をすれば、吸魂鬼(ドッペルゲンガー)が吸魂した時みたいに、ある程度吸った時点で人間は急死するんじゃない? 残りの魂を保護する為に参入待機空間に強制送還でしょう?」 私が素朴な疑問を呈した。 「私もどうなるのか興味があったので了承したのです。 願いをした側の男の魂を吸い出す傍らですぐさま対象の中に注入し、注入される側の対象の中に元々あった魂を頂いた訳ですが。 元々入っていた魂をある程度ーー四割程度でしょうかーー頂いた時点で残りの魂は【世界】から強制退去されました。 そして肉体の方は死ぬでもなく、別人の魂が宿った訳です」 とマータールは淡々と告げた。 「それなら、この映像のセケルの肉体の中にはセケルではない魂が入ってるって事なんだね?」 私が確認すると 「そうです。中に入っているのは、主人(あるじ)様を殺そうとした事のあるアイナバアルと同じ孤児院で育った者で、ニムロドという男です」 とマータールが断言した。 「本物のセケルの魂は未だ貴方の中に在る?」 と私が訊くと 「いえ。元々そこまで生に執着してなかったのか、既に主人(あるじ)様から攻撃を受けた時に分解され霧散しています」 「でも本物のセケルの魂の六割は参入待機空間へ強制退去されてるから無事なんだよね?」 ニムロドに社会的立場のみでなく肉体まで乗っ取られて殺された本物のセケルが憐れに思える。 「おそらくは、としか申し上げられません」 流石に参入待機空間の様子は収容されている当の魂と【管理者】以外の者が知ることは出来ない領域なのだ。 「それで?貴方を創造したアルハーダシュの魂と魔法行使媒体は未だ貴方の中に残ってるんだよね?」 私は(かなり削いだからなぁ)と心配になって訊いたら 「はい。残ってます。…ただアイナバアルの魂が生への執着を強く持っていますので、私の中で増殖しています。 そのうちまた主人(あるじ)様に自我を上書きして頂いた方が良いかと思います」 と答えてくれた。 「アイナバアルは未だ貴方の中に居るんだね…。 その場合は参入待機空間に居るはずの魂との連携はどうなってるんだろうね?」 私は興味を惹かれて訊いた。 「分かりかねます。私自身から見れば『別人格』の存在のようなものですので。 アイナバアルの魂に関しては、当人が私の中で前面に出てきてる時にお尋ね下さい」 とマータールは答えた。 「それなら、今、アイナバアルと話せる?」 「…はい。問題ないようです」 「念の為に訊くけど。いきなり襲いかかったりしないよね?」 「はい。自我の上書きの影響はアイナバアルの魂が最も強く受けていますので、主人(あるじ)様に牙を剥く事はないかと存じます」 との事だ。 アイナバアルがどう変化しているのか?にも興味はあるが。 それ以上に「世界の内部に囚われている魂と参入待機空間に居る筈の魂との連携が有るのか無いのか」という問題に関する情報は是非とも欲しい。 「それではアイナバアルと代わってみて」 と私が指示すると マータールの動きが停止した。 まるでパソコンのシャットダウンみたいだと思った。 そして別の魂が起動する。 それにつれてマータールの顔がアイナバアルの顔へと変化していく。 確かにアイナバアルの魂なのだろう。 アイナバアルの顔だ。 だけど以前とは随分違う。 『憑き物が落ちた』という言葉がピッタリと当てはまるような表情や雰囲気の変貌ぶりだった。 ちゃんと起動したという事なのか それまで微動だにしなかったのが (おもむ)ろに視線を上げ その目が私の姿を捉えた。 「久しぶりだね、アイナバアル。私が判る?」 私が訊くと 「はい。マートル様」 「私の名前が判るの?」 「はい。エイドーーマータールの体験は私の中で共有されてます。 おそらく俺がこうして貴女と話している体験もマータールと共有されています。 無礼な事を言ったりしたら、すぐさま半物質体の使用権を奪い返されます」 アイナバアルは従順に答えた。 「それなら、早速だけど訊きたい事があるんだけど。 それもマータールとの会話の流れから理解できてるよね?」 「はい。参入待機空間に居る魂の本体と此処にいる分体との間に相関性があるかどうかですよね?」 「その通り」 私は自分の顔に笑みが浮かぶのを感じた。 「結論から言うと、相関性は有ります。 ですが連携と言える程の密な関わりは有りません。 そうした相関性でさえもマートル様が自我の上書きを行った事でやっと感じ取れるようになった繋がりです。 バルアダンに施されていたマータール自我の方はもっとずっと【世界】内部に深く囚われていた感じでした。 なので参入待機空間というものが存在しているという概念自体が有りませんでした。 だから当然俺の方でも参入待機空間にいる方の自分を感じ取る余地が無かったのだと思います」 アイナバアルが淡々と述べた。 ここでもやはり「概念がない」事が大きな意味を持ってくる。 しかし今のアイナバアルの状態というのは地球のスピリチュアルでいうところの『高次之自分(ハイヤーセルフ)に導かれてる状態』に近いのではないかという気がする。 「それなら今後、参入待機空間にいる本体との相関性が密になっていけば、そこから指示や情報が得られるようになる可能性は有ると思う?」 私が興奮を隠しきれずに訊くと アイナバアルはフッと一瞬だけ笑顔になり 「それがお望みなら、そうなるように努力します」 と答えてくれた。 本当に自我の上書きは万能である。 それ以前の事も記憶として覚えている筈なのに、凶悪な悪党の人間性が180度変化してしまえるのだ。 「頼みます。是非とも参入待機空間にいる本体から情報を得て、それを私に報告しなさい」 私が指示を出すと 「承知しました」 との良い返事が返ってきた。 そしてアイナバアルの魂がシャットダウンされて暫く半物質体が停止した後に、再びマータールが起動した。 「ありがとう。随分と助かった。 あとは貴方にニムロドの事を教えてもらいたいと思ってるんだけど」 私がそう言うと 「はい。既にご存知かとは思いますが、ヌーデマーの孤児院は拐ってきたナハル人の子供を用いた実験施設でした。 『魔力持ちではない子供を人為的に魔力持ちへと変化させる実験』と『魔力持ちの子供を魔人へ変化させる実験』の。 ニムロドはアイナバアルと同様に前者の実験で生き残った成功例でした。 ヌーデマーの資料を記録なさっているのでしたら、そこにニムロドの記述もあるかと思います。 エターンザアムは実験記録に関しては異様な記憶力を発揮する男ですので、エターンザアムにニムロドの事を話すようにお命じになれば喜んで洗いざらい話すと思います」 とマータールは答えた。 「因みに『魔人へ変化した生き残り』は居ないんだよね?」 私は確認した。 「はい。成功例は出ませんでした」 (それだけが唯一の救いか…) 人倫を軽く無視した「実験」は、どこまでも非道なものだ。 「成りすまし」が ソックリな相手を殺して社会的に成りすますという手段だけでなく 肉体が乗っ取られて魂自体が入れ替えられるような手段でも行われている事に 私は実は少なからずショックを受けていた。 紙媒体の記録には さきほどマータールが語ってくれた 『魂の入れ替え』に関する実験は記録されていなかったし…。 私は思わず溜息を吐いたのだった…。 ハニナ(エターンザアム)から聞き出したニムロドに関する情報だが ハラム平原に隣接する村の子供だったらしい。 近くにハラム平原がある為に不死系魔物(アンデッド)が出没することもある村。 その村から幼児期に拐われて来ていたのだそうだ。 調達要員達がアッコン人であった為に アッコン人が不審がられず活動できる地域はエラーム領南部やドゥロール領南部に限定されていた。 「アイナバアルは自分をシュナハーカム人だと信じ込んでいたようだけど、それはニムロドも同じなの?」 私が訊くと 「はい。アイデンティティの刷り込みを真っ先に行ってから実験に入ります。 そうしないと生き残った場合に激しい怨恨を生じさせる可能性が高いですから」 と如何にも合理的な実験者らしい答えが返ってきた。 「それならニムロドもテーマン地方をシュナハーカムだと思っていて『自分達はナハル人に侵略されて搾取されている』という怨恨をナハル国に対して持っている可能性が高いという事だよね?」 と気が滅入るような質問をすると 「はい。そのように刷り込んでいます。 生き残る者は少なかったのですがーー 実験を経て生き残った者達は、実験で死んだ者達の生命力や我執まで受け継いだかのように執念深い性質に変化することが多かったのです。 我々としてもそうした生き残りから自分達に恨みが向けられる事態を避ける必要がありました。 なので『恨みの矛先を操作する』対策は抜かりなく行っておりました」 とハニナは嬉々として報告してくれた。 (きっと「賢いね〜」って褒められたいんだろうけど。…この空気の読めなさが、この男の性質を『女にモテないマッドサイエンティスト』気質たらしめて、レビみたいなゴリラ系『ネコ』のホモと深く結びつく羽目に至らしめているんだろうなぁ…) と私はハニナを生温かい目で見詰めた。 「それで?そうした『生き残り』って一体どれ位の人数がいるの?」 私が要点を尋ねると 「実験にも依ります。 非魔力持ちを魔力持ちに変える実験では生き残りはアイナバアルとニムロドだけです。 魂をどれだけ吸われると死ぬのか?という実験では四割吸われて生き残った者が1人居ました」 「それって何処の誰?」 「やはりテーマン地方出身の子供でした。 コルという名前で、魂を吸わせても生き残り、成人に達したのでヌーデマーで通過儀礼を受けさせました。 それで接続承認契約者だった事が判ったので、首都へやり魔法行使媒体を得させました。 魔法名は確かリーレン・リー。 ヤー二・アビフ軍務大臣がまだ魔法省の大臣だった頃に気に入られて、子飼いの魔法使いの一人として侍っていると思いますが…」 ハニナの答えに私は眩暈を覚えた。 (勿論、錯覚だ。鉄分は足りてる) 「それじゃ何?ルーシュセアール総務大臣の養子にニムロドが成りすましてるだけでなく、アビフ軍務大臣の身辺にもコルが潜んでいるっていう訳だね? それって貴方が指示してそうさせたの? それともナハル人に対する恨みの刷り込みが彼らに自発的にそうさせてるの?」 私が苛ついた声を出すと 流石に空気を読めないハニナも不穏なものを感じたのか 「後者です。私は特に何も指示は出してません。 刷り込みが充分な者達は自由に泳がせても反ナハル工作を勝手に自発的に行なう事が判ってますから…」 と言葉に勢いが無くなった状態で答えた。 「そうなの?それなら、そうした刷り込みが充分で自由に泳がせてる者達は沢山いるんだろうけど…。 その中でも何か大した事を仕出かしそうな人間はニムロドとコル以外に、他に誰か居るのかな?」 私が口元だけで笑って 目が笑ってない顔で迫ると 「他にはエムーナーが居ます。 エムーナーは子供の頃からの実験体ではなくシュナハーカムの魔法使いです。 特殊工作部に自ら志願してきたので改造を施して優秀な魔法使いに仕上げました。 上から『自由に活動させるように』との指示があったので、本当の所属は王宮の直属部隊なのだと思います。 そのエムーナーはズローアというナハル人魔法使いに成りすましてマーレマーカル内務大臣の子飼いの魔法使いの一人に収まってます」 とハニナが気圧されたように 私の顔色を伺いながら答えた…。 (結局ハニナは脳内に何か欠陥があって空気読めず、根本的に他人の痛みとかに関して共感したり同情する感性が欠如してるのだろう。この人に出来る償いは「私に悪党の情報を提供して、私が悪党に遅れを取らずに済むように私をサポートする」という方法に限定されてしまう気がする…) 私は再び溜息を吐いた。 ハニナから情報を得た事で私は ニムロド、 コル(リーレン)、 エムーナー、 この三名にはただの暗示だけではなく 自我の上書きが必要な事を理解した。 それならそれで [時間操作]の出番となるのだが。 魔力をバカ喰いする術なので 今からまたルーシュセアール邸に戻って、セケルに成りすましているニムロドに構うという余裕はない。 (また明日考えよう。…今日はちゃんとよく寝て魔力を回復させよう…) そう思ったのだった…。
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