124人が本棚に入れています
本棚に追加
/174ページ
殺人鬼
そしてその夜も使い魔から監視カメラ映像を受け取り、一人で夜更けまで映像をチェックしていた。
するとアイナバアルの家に、例の娼婦(コーリー)が訪れた。
そしてアイナバアルがコーリーへと呪物らしきものを渡す。
コーリーが呪物に気を取られていると、アイナバアルはコーリーを鈍器で殴りつけた。
そして猿轡を噛ませ、両手・両足を縛った。
そして椅子に縛り付け、コーリーが気付くのを待ちーー
ーー後は、前世で映画でしか見た事の無かったスプラッタシーンが繰り広げられた。
私は頭の中が真っ白になりながらも、
ちゃんとアイル様の執務室に向かっていた。
後は礼儀もヘッタクレもなく、ドンドンドンドンと扉を叩き続けて
「助けて!助けて!」
と叫び続けていたらしい。
わたしの騒ぐ音を聞きつけて 秘書さんが来た。
今夜は上級貴族の会談があって、アイル様はそちらに出席なさっていて不在なのだと、眉を顰めながら言った。
私は人目を気にする余裕もなく、その場で先刻見たスプラッタシーンを再生した。
秘書さんが近くにいた使用人に命じて
ハーダル様と騎士団長を呼びに行かせた。
ホデシュ様もアイル様へ付き添っていて不在らしい。
ハーダル様と騎士団長にも映像を見せた。
ハーダル様にとっては情を交わした馴染みの女が血塗れにされている映像だ。
本当なら見せない方が良かったのだろうが、一人でも状況を知る人間を増やしたかった。
予想通りにハーダル様は頭に血が上ったようで、警備隊への通報と犯人捕縛プランの企画などといった本来の仕事を放棄して、アイナバアルを呪う言葉を怒鳴りながら、 その場から駆け去って行ってしまった。
「秘書さん、ハーダル様は大丈夫でしょうか?…」
と私が不安になりながら訊くと
「犯人は彼を怒らせた事を必ず後悔する目に遭いますよ」
と余裕の笑みを浮かべた。
私はハーダル様の代わりに 警備隊への通報に向かった。
私には悪人がどう動くかなど全く推測も出来ない為、犯人捕縛プランを警備隊に提示するような事は出来なかった。
隊長のホーンさんは
「呪術師なら、近づく者に対して何か仕掛けを施しているかも知れない」
と不安気に言った。
なので私は
「仕掛けを見破るお手伝いができるかも知れません」
と言って警備隊に同行することにした。
しかし警備隊と一緒にとは言え、夜にスラム街に入るのは、なかなか怖いものがある。
暗闇から悪意的な何かが現れそうな
…そんな想像をさせてしまうものが
この場所にはあった。
乞食のような、
ボロを着た、
ビッコを引いて歩く男が
蹌踉めいて、私にぶつかった。
「す、すまないね、オレは、こ、この先に、住んで、てね、ちょっと、だ、け、肩を貸し、て、くれな、い、か」
と、その乞食が私に倒れ掛かって来たので 咄嗟に支えてあげた。
そして
「そっちですね?」
と確認して、男の向かおうとした方向へ向かって歩き出した。
(近くに警備隊の人もいるし、少し声を上げれば駆けつけてくれる。変な事にはならないだろう)
そう思って暗い路地に入った。
ーーその途端に私は
後頭部に衝撃を感じて昏倒していた。
***************
(何だろう、此処…)
ラーヘルに赴任してきてからずっと、色んな悪党の巣の映像を見て来たつもりだったのだけど。
見た事がない場所だった。
(それよりも、私自身がどうなっているんだろう?)
先ず身動きがとれない。
声を出せないように
猿轡を噛ませられている。
手足を赤い紐のようなもので縛られている。
胴体も赤い紐を編んだ網のようなもので撒かれている。
そしてどうやら赤い紐を編んだハンモックのようなものに横たえられている。
ギィーッと錆びた蝶番の軋む音が聞こえた。
ここからは見えないが、ドアが開いたという事なのだろうか?
「気がついたか?」
男の声が呼びかけてくる。
(返事は期待してないんだよね?こっちは口塞がれてるんだし…)
足音がこちらに近づいて来る。
そして私の眼前に影が差し
覗き込んできた顔が
満足そうな微笑みを浮かべた。
(あなた何故…)
私は顔を引き攣らせて
その男を見詰めた…。
(何故こんな所に居るの?ーー)
この男は自宅に居た筈だ。
アイナバアルーー
この男がこんな所に居るのなら…
この男はあの監視カメラの映像の行動を取った後に、まるで警備隊が駆け付けてくる事を知っていたかのように、迅速にあの家を捨てた事になる。
(おかしい…)
そう思う私の心を読んだかのように
アイナバアルは
「驚いたって顔をしてるが、何もおかしくはないさ。俺はずっとお前の事を調べてたんだからな」
と言った。
「此処が何処かは判らないだろう?…俺はお前が情報収集や探索系の魔法を使うタイプだろうと目星をつけてたから、此処には暫く出入りしてなかったんだ。
此処は他人がウッカリ入り込む心配も無いから、お前の情報網にも引っかからなかった筈だしな」
アイナバアルは得意気に片眉を上げて唇を歪めた。
「…俺はずっとお前の事を考えてたんだ。俺はお前があの井戸から引き揚げられた時にあの場所に居たのさ。顔馴染みに頼まれてたからな。
井戸から魔法使いの女が出て来ないように見張っててくれって。万が一誰か助けに来たら、そいつも突き落として始末してくれって。
けど俺はつい気まぐれを起こして、妙に鼻の利く新人魔法使いって女の面を拝んでやろうって思っちまった。
ちょとだけ面を拝んで、男が女を引き揚げたその時に後ろから二人共突き落としてやるつもりだった。けどお前を見て気が変わった。
魔石を採る為だけに始末するなんて勿体無いってな。だから結果的に顔馴染みの奴らを裏切った事になって、俺としては少々寝覚めが悪い思いをしてたよ。
だから俺の愉しみと言えばお前の事を考える事くらいだったんだ。
ずっとずっとーー
『お前をどういう風に殺せば、俺は少しでも長く気持ち良くなれるんだろうか?』ってさ」
アイナバアルはそこまで話すとニマァ〜と笑いながらナイフを出した。
「思ったんだ。お前を剥製みたいに保存できたら、いつだってお前の姿を眺めてられるだろう?
腹を切り裂き、内臓を抉り出して、腐らないように加工して、人形みたいに工房に飾っておくのさ。
だけどな、俺はお前を不器用に不恰好に切り刻もうなんて思わない。
ーーお前を最高のコレクションとしてずっと残して置きたいんだから。
本番に入る前には実験台が必要だろう?それで少しでもお前に背格好や顔立ちの似た女を探して、この界隈じゃ美人揃いだって言われてるボッタクリの淫売宿を廻ってアバズレを漁ったのさ。
あのテーマン人の淫売も、ほんの少しだけだがお前に似てただろ?
あの女からお前の名が出て、お前を呪う為の呪具を創ってくれって言われて、お前の体毛が手に入った時にはガラにもなく感動したよ。
雷に撃たれたかのようにブルブル痙攣して震えたよ。此の世に神ってヤツが在るとしたら…そいつは俺の味方だってな!!!」
アイナバアルは恍惚とした表情を浮かべる。
「どんなに俺がこの瞬間を待ち望んでいたのか、お前は知らなかったんだろうなぁ。
だから俺はお前に知らせたかったんだ。
どんなにどんなに俺がお前の事をずっとずっと考えていたのかを。
ーーまぁ、あのテーマン人の淫売も、俺に劣らずお前の事をずっと考えていたみたいだけどな。俺とは別の意味で。
だが意味は違えど不思議な事に、あの淫売と俺の目的は同じだったんだよ。
お前を殺す事!それが人生の至上の悦び!それを必ずと成し遂げる!っていう目的がな」
アイナバアルがゆっくりとナイフを私に近づけてくる。
「さて、そろそろお喋りの時間は終わりだ。本当はお前の声を聞いて会話を楽しみたかったんだけどな?
お前は声を魔法の為に使うだろうから最期まで声は封じさせてもらう。
怖いか?怖いよな?おれもお前の悲鳴が聞けないのが、本当に心残りなんだ。無念なのはお互い様だ。
お前の騎士様は最後まで助けに来なかったな?あの井戸からお前を引き上げたーーなんて名前だったかな?最後に逢いたかったか?
でも残念だな?お前が最期に見るのは俺の顔なんだ。あの世で思い出すのも俺の顔なんだ。あの世で恨んで恨んで忘れられないくらい心に刻んでいるのは俺の事なんだ。
…さよなら、俺の可愛い銀の小夜啼鳥…」
そう言ってアイナバアルは少し悲し気な表情をして
私の腹を切り裂いたーー。
(熱い!熱い!熱い!)
切り裂かれた痛みと、死に瀕している現実を認識する事を頑なに拒む私の意識が拮抗して激しく混乱する。
ドッと涙が溢れ
憐れみを乞うように
アイナバアルを見詰める。
全く知らないイカレた男を
まるでよく見知っていた
愛してでもいた男であるかのように
切な気に見詰めながら涙を流し続ける。
ふと前世のあの瞬間を思い出す。
泣く時に二度と声をあげまいと決めた、あの瞬間を。
ーー私は生きたいのか?
生きたくないのか?ーー
その究極の選択を前に
(生きたい!!!!)
と選んだ
あの瞬間を。
魂ごとーー
あの冷たく暗い無重力の宇宙へと飛ばされて
自分というものの存在性の本質的な孤独を思い知った
あの瞬間をーー。
ーーアイナバアルは
少しも嬉しそうではなく
とても寂しそうな悲しそうな表情をしている。
(寒いーー何も考えられなくなってきた…何も見えなくなってきた…)
遠くで轟音が轟きーー
誰かの叫び声が聞こえた気がした…。
最初のコメントを投稿しよう!