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研修前
この世界の粗野な一面を身を以て体験させられたのだけど。
ふと思った。
ある意味、
この世界ーー
【裏月世界】は優しい、と。
【地球世界】では(特に先進国は)
人間は洗練された在り方を必然的に強いられていた。
参入者が増え過ぎて【世界】の内部が複雑化し過ぎてカオスな状態になってしまっていたからなのだろう。
「魂レベルの自殺の名所」「バンジージャンプの名所」と呼ばれる位に悪名高き【世界】なのだ。
参入者側が【管理者】と連絡を取る事は不可能と言われていて、私も勿論対話した事など無い。
なのでどういった経緯で、どういった意図で、そういった「洗練性の強要」が暗黙のルールとして適用されていったのかは正確なところは不明だ。
だが人間が洗練された在り方を強いられる事は
人間は人間として産まれただけで、その他の生物の頂点に立っているのだという誇りを持ち
ノブレスオブリージュを全うしなければならないという趣旨であり。
それ自体は賛同できる。
参入者数が膨大過ぎて管理が大変になると、有象無象の輩が大量に紛れ込むので、人類全体のマナー基準が引き下げられる。
そして地球環境自体が修復を遥かに上回る速度で破壊されている。
【地球世界】そのものに再創造が必要なのではないかとの説がある。
それはつまりは「リニューアルに伴う長期間のサービス停止」であり。
内部の人達にとっては「突然の人類滅亡」として反映する事態である。
【地球世界】でインターネットが普及したことはネットユーザーの認知図に大きな影響を与えたと思う。
勿論良い意味で。
昔から「この世は実は夢幻」という神秘主義思想は存在していたのだろうけど、それを実感する事は多くの人にとって難易度が高過ぎたと思う。
だけどインターネットの普及によって
「実はこの世自体もバーチャル世界のような性質で成り立っているんじゃないのか?
精度的にはインターネット空間よりも現実感の密度が濃くて、神レベルで精密に創られてるみたいだけど」
と我知らず真実を言い当てる人も多数出てきた訳だし。
善意の【管理者】や【視聴者】が、まさしくそうした効果を狙って意図的にインターネットが世界的に普及するように仕向けたのだとしたら。
冗談抜きにそうした善意の方々に対して崇拝しても良いレベルで敬意を捧げたいと思う。
まあ、そんな訳で地球は色々と詰んでいる。
裏月では地球のような逼迫した感じはない。
人の寿命の平均が50歳程度と短くて医療も発達していない素朴な世界。
多くの人が素朴で短命なので、体験した人生の記憶は、魂そのものを蝕む程の影響力を持たない。
なので肉体が死を迎えた後の「本来の魂の記憶を呼び覚ます作業」も順当に済んでしまう。
万人が死ねば「仏になる」のだ。
それは余りにも有難いことだ。
だからこそ裏月は優しい【世界】なのだ。
…だけど昔は地球も、
そうだったのだと思う。
いつしか裏月も、地球のように人が長生きして複雑化して、倒錯した理屈や情念に溺れて魂レベルで狂う者達が出てきてしまうのかも知れない。
私は、私をとんでもない目に遭わせた勘違い娘のエブラに関して、ある意味で「進取的」なのかも知れないな、と思った。
そして独りコッソリと溜息を吐いたのだった…。
***************
「優しさ」とはどういうものであるのか?という解釈は
価値観の違い毎に異なるものである。
「世界全体で命の価値が低い」ような環境であれば「死」は悪質化した粘着な念を断ち引導を渡すという作用を持つ。
世界全体で命の価値が低いような平等な環境だったなら
「罪しか犯せないような不毛な人生は早目に終わらせてやる=救済」という考え方も、実はアリかも知れないと思う。
(日本で随分前にテロを起こしたカルト宗教団体の教祖が言う「ポア」は、こういう考えだったのかも知れない)
ただ、そうした考えは「皆の命の価値が等しく低い場合」にのみ有効化すると思うので、その条件を満たせていない「殺人による救済」はパラノイア的な殺人でしかない。
【世界】の【管理者】だけが、それを為す権限を持つ。
尚且つその場合のみ、悪質化した粘着な念を命と共に断ち引導を渡すという行為が、熱くなりすぎた者をクールダウンさせるという結果に結びつける事が可能になるのである。
つまりは「魂は不老不死である、という事実を体現している存在」しか、
「死を救い」だとする価値観に基づく行動は起こしてはいけないのだ。
そうした意味では「魔法使い」は「魂が不老不死だと知っていても不老不死を体現していない」ので
【管理者】とは方向性の異なるフォローを人々(参入者達)に対して行う事になる。
***************
悪魔憑き騒動の後、私は家に引き篭って過ごした。
窓の向こうから漏れてくる町の喧騒を何気なく聞き流しながら、ツラツラと「自分のこれからの事」に関して不安になりながら考えていた。
そんな時に弟が部屋に飛び込んできた。
そして
「お姉ちゃん、昨夜はずっと家にいたよね?家から抜け出したりしてないよね?」
と切羽詰まったように問い掛けてきた。
「なんで私が抜け出すと思うのよ?…にしても何かあったの?急に…」
と訝しく思いながら、逆に訊き返すと
「エブラが昨夜暴漢に襲われたって聞いた…お姉ちゃんがやったんじゃないかって疑ってる人がいたから…」
と、まるでその言葉で私が激昂すると思っているかのように、言いづらそうに返事をしてくれた。
「ああ〜…あの勘違い女にしても、色々と妄想と現実とのギャップで精神的に折り合いのつかない事もあって私に辛く当たってた面もあったと思うし…。
正直、あんなヤツ不幸になれば良いのに!とは思ったけど…
私がワザワザ自ら手を出して、ワザワザ不幸にさせに行く、なんて事する程、私はあの女に関心持ってないから安心して」
と言って溜息を漏らしつつ、
ふと我が身を振り返ってみた。
(確かにね、あの女みたいな、無駄に思考体力が絶倫で妄想拗らせたタイプは悪霊化しやすいだろうから。あんなのが増えると【裏月世界】が【地球世界】みたいな悪霊溢れる世界へと劣化するキッカケになりかねないだろうし
「野放しにしておくのは危険かも知れない」と思うには思ったけど。……思っただけだし。ーー勝手に魔力が暴走したとか?自覚のないまま生霊飛ばして念力で攻撃したとか?…そんな夢遊病的な症状は無いよね?私?)
と案外、自分自身に関して無実を断言出来ないのがコワイ…。
(髪色と瞳の色が変わった時から「自分が自分じゃない部分も、自分の中にはある」って感じがしてて、何か自分の潜在面に対して掌握しきれていないような不安は感じるんだよね…。でも覚えがないものは覚えがない)
「…そんなに私が夜抜け出してるかどうか不安なら、今夜から一緒に寝る?久しぶりに」
とニコやかに尋ねると
「もうそんな歳じゃないだろう!折角心配してやったのに、フザケるな!バカ姉貴!」
と何故かキレられた…。
耳まで真っ赤になってた点から察するに思春期特有の反抗、といったところか。
乱暴にドアを閉められるのを見ながら
(無意識のうちに幽体離脱してしまって潜在的に敵視してる相手を攻撃しに行く、なんて事、起こり得るのかな?)
と暫し熟考に耽ってしまった。
(単に家に引き篭ってるだけじゃ、常に他人の目があるという訳じゃないからな…。家族の証言はアリバイ証明能力が低く見積もられるだろうし。こちらの姿が変わったからって周りが勝手に疑心暗鬼になって冤罪吹っかけて来られた場合、色んな意味でどうしようもないんじゃないのか?)
(ーーなんか、ダーロウムさんが言ってた事が本気で腑に落ちるわ……。
今度は冤罪の証拠とかがいつの間にか勝手に作られて、パニックになった誰かが怒鳴り込んで来て家から引き摺り出されたり、挙句に又暴力受ける羽目に遭ったりとかしないでしょうね…)
(うわぁ〜……イヤだ、それ)
一旦不安になってしまうと、次々と連鎖的に不安要素が連想されてしまうものである。
私はその事件に決着が着くまでの間、心穏やかならぬ時を過ごしていた。
そしてその次の日の夜、夕食の時に母が何気ない風を装って、その話題を出した。
「エブラさんの件、目撃者が何人もいたみたいね。目撃者の話だと肌が浅黒い余所者風だったって話よね。それをエブラさん本人が『狼が見えた!犯人は悪魔憑きが呼び出した使い魔のオオカミに操られてた!』って言い張った事から話が変な方向に行ってたみたいね。でも警備隊が城門で検問張ってるだけじゃなく、明日にでもスラム街まで捜索するって話だし、すぐに見つかると思うわ」
内心ホッとしながらも疑問は残る。
「なんでエブラはそんな変な事言い張ったの?」
「さぁ?……何が何でも心霊現象っぽく見せかけて、特別な力を持つ人間に関係あるみたいに皆を錯覚させたかった?のかも知れないわね…不愉快なことに」
「…………」
その日はその話題はそれで打ち切りになって、私達は渋面を貼り付けた表情で食事を終えたのだった。
それから3日後。
魔法省からの通達が町長の元へ届き、私が魔法使い見習いとして正式に認められ魔法省へと身柄を引き取られる事が決まった、と報せを受けた。
翌日にでも出立するようにとの要請を受けて、既に終わっていた荷造りを再度点検することにした。
今後の生活に不備が出ないようにと、持っていくつもりの荷物を増やし過ぎた結果「これは多過ぎる。実際に生活して足りないものがあったら買うという方向で、荷物は減らして金を持たせた方が良いだろう」と父が言い出し、その案が採用されることになった。
慌ただしくも平和に、我々家族がそんな事に精を出していたら、急に戸外が騒然としてきた。
警備隊がゾロゾロと歩いて、薄汚れた黒ずんだ男の手を縄で縛って引いている。
(例の暴行犯……だよね…。良かった、ちゃんと捕まったんだ…)
その光景を見ながら、冤罪を捏造される事なく無事に旅立てる事を喜んだ。
(それにしても何故こんなタイミングで事件が起こったんだろう?エブラ自身が私を陥れる為にワザワザ男を雇って自分が痛い思いをして事件を創り出す、というのは流石に無いと思うし…本気で不可解だ…)
その時点では、そうした「偶然」に関して何かしらの存在の意図を読み取れる程の情報は全く揃っていなかった。
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