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対話の大切さ
その話に関して「可哀想」だとは私は思わなかった。
ケイティの中には矛盾した二つの気持ちがあるように思えたのだ。
「可哀想だと思って欲しい」という気持ちと
「可哀想だと思わないで欲しい」という気持ちが。
ケイティの前世は、もしかしたらありふれたものなのかも知れない。
ケイティの母親は何度も結婚と離婚を繰り返していた人で、ケイティは物心つく前から「血の繋がりのない義理の家族」と暮らすのが当たり前になっていた。
そしてある時は義理の家族である義父から、別のある時には義兄から、性的なイタズラを受けたりレイプされていた。
同性の友達も少なく、そういった問題を「母親には話せない」と直感的に感じていたらしく、「思った事を口に出せない」状態はケイティの人生で一貫して続いたのだった。
(現在の性格はその反動)
「普通の女の子って、どんな風に物事を感じて、どんな風に考える物事をなの?」
とケイティは「普通」が判らず、そして「普通」に憧れていた。
なのでドラマや小説を見れば、そこに存在する少女や女性を「普通の筈だ」と思い込んでいた。
普通の少女にとって、人生は、世界は「恋のため」に存在している。
男と女の間には、どんなに取り繕ってもセックスが存在していて、男は常に「ヤリたがってる」。
獣欲のみの存在である男を、女は自分の魅力で手懐けて、男の精神を愛の高みへと導くのだと、そう思っていた。
だからケイティは見た目がドラマや小説に登場するようなイケメンがいたら、積極的に自分の身体を与えていた。
先ずは獣欲を満たしてやって、それから徐々に懐柔していけば、ちゃんと「愛する」という事を男は学習して、私の事を大切にするようになるのだと、そう思っていたのだそうだ。
しかし実際には男達はそんな単純な生き物では無かった。
簡単にヤラせてくれる女の事を「公衆便所」「肉便器」くらいにしか思っていなかった。
ケイティが惹き寄せられる類の見た目が良い男にとっては「女は陥落させる城」のようなものであり「お高くとまった高嶺の花」ほど価値がある。
ケイティのように積極的に擦り寄ってきて簡単に身を任せる女は「獲物にありつけない時の繋ぎの餌」程度の認識だった。
実際に付き合っていた男が、その友人にそんな話をしているのを偶然近くにいて、聞いてしまったこともあった。
それだけでなく付き合っていた男に「売られた」こともあった。
「金が無かったんだよ。後腐れなくヤレる女を紹介するからって事でアイツから金を貸してもらったんだ。
仕方ないだろ?それともお前が稼いで俺に小遣いくれるってのか?」
ケイティは謝罪を受けるどころか、
逆に金の無心を受けた。
段々とケイティは「自分は男を見る目が無いのかも知れない」と気づくようになっていった。
マトモな男は、女が積極的に擦り寄ってきて身体を与えようとしても、
「この女は自己評価が低くて自分自身を粗末に扱っている」という事に気がついてしまう。
女の側の卑屈さを利用して自分の性欲を満たそうとする事には罪悪感を感じてしまうものなのだ。
マトモな男は。
ケイティはそれを理解した。
それによって今まで付き合っていた男との関わりを断とうとした。
しかし男は自分にとって都合の良かったケイティを逃がそうとはしなかった。
「何か悩みがあるから、俺と別れるだとか、そんな事を言い出すんだろう?」と言い出し
「精神安定剤だ」という薬をケイティに飲ませるようになった。
そして、そこからが本当の転落人生だった。
麻薬漬けにされて、どんな事もやらされた。
運び屋は比較的マシだった。
酷い時には標的とされる人物を騙して、まんまと罠が張られた場所へと誘い込んで陥れた。
標的とされて罠に誘い込まれた者の中には殺された者もいる。
気持ちの悪い肥満体のデブの爺からサディスティックなプレイで痛めつけられて抱かれたり。
犬とセックスさせられたり
豚とセックスさせられた。
だけどひたすら全身全霊で薬を求めていたので、思考はとっくに麻痺していた。
最期まで時も薬を求めていた。
まだ20歳だった。
ケイティは死んでから「本来の魂の記憶」を思い出して、正気に戻った時に
「私は、愛されたかったんだろうな…」
と、そう自分を理解したのだそうだ。
「愛されるという事がどんな事なのか解らなかったから、愛されたかったんだと思う」
(…同情なんて出来ないよ。だって私だって「愛されるという事がどんな事なのか」なんて知らないんだから)
疑問に思うのだ。
「不老不死の魂」である筈の参入者達が【世界】の内部に存在する[人間社会の価値観]に深く深く囚われてしまい、【世界】を退会して去った後までも魂に傷を負ったかのような形で、自分を苦しめた「価値観」に執着してしまう。そうした事に。
特に退会手続きを兼ねた[カルマ清算の為の最後の転生]は過酷だ。
あの手この手で参入者を苦しめ、惨めさと醜態を晒させ、参入者同士のシガラミを解す事が行われる。
更に【世界】の方でも、退会希望者から情動エネルギーと認知エネルギーを情け容赦なく徹底的に搾取しようとする。
「【世界】が総力を挙げて、退会希望者の心と魂を殺しにかかってくる」
そんな状況なのだ。
魂レベルでトラウマになるような事になっても不思議ではないし、実際に多くの退会者がそうなってる節がある。
だけど【地球世界】自体が意図的に
「退会者にトラウマを植え付けて、退会者が去った後にも、【地球世界】に執着するように仕向けている」
のだとしたら。
私はそうした目論見に踊らされたくない、と思ってしまうのだ。
(他の皆は違うのかな……)
私は、こうした考えをケイティに話した。
「思うんだけど。【地球世界】に対して私達が出来る最大の復讐は、私達があの世界を許して、あの世界に拘らなくなる事だと思うよ。
あの世界が[清算]をダシにして退会者にイヤガラセをするけど。
退会者が何時までもあの世界での体験を引き摺る事で、あの世界自体の[影響力]を広く認知させる事に繋がるっていう打算がある気がするの。
ネガティヴな評判であっても知名度を上げる事が出来るのは[炎上商法]って言葉が存在する事が証明してるし。
だから私達があの世界での自分に拘る部分を減らしていって、『今を生きる』事が出来るようになった時に、やっとあの世界に対して復讐出来た事になるんだと思う」
ケイティは普段の彼女とは打って変わった神妙な表情で私の話を聞いていた。
「あの世界に対する復讐…か…。
ありがとうね、イオリ。
何かこう、自分が本当は何をしたかったのか。何を目指すのが正しいのか。
イオリの話を聞きながら、自分の中で整理できた気がする」
「そう?」
「そうだよ。今まで考えた事も無かったけど『愛されたい』と拘る事自体が、あの世界が私の視野を狭める為に仕掛けた罠だった可能性がある、って事でしょう?」
ケイティは何かを悟ったようだった。
「うん。普通は[拘り]は【世界】に参入してる時に、その世界の中だけで感じるものだと思うよ。
だから退会後も[拘り]が持続する場合は、それ自体がウィルスみたいなものだと思った方が良いんじゃないかって思ってる。
それに気づかずに、あの世界に拘り続けると、またあの世界に惹き寄せられ呑み込まれると思う。
逆に裏月に地球のウィルスを感染させてしまって、裏月が地球の[下位世界]にされてしまう可能性もあると思ってる」
私は不安に思ってる推理を話した。
私は【裏月世界】が【地球世界】のようになるのは本気で嫌だと思っている。
(【裏月世界】は素朴で優しい。ずっとそのままでいて欲しい。本当にそう思うんだ)
***************
対話というものは大切だ、と思う。
ケイティは前世では思った事を口に出すハードルが異様に高かった。
それを反省して、今世では思った事は何でも口に出すようにと転生前から決意していたらしい。
それによって直情型の性格になっているのだろう、との自己分析だった。
彼女は対話を拒む姿勢とは無縁なので、自分も言いたい事を言う、相手にも言いたい事を言わせる、 という事を許容できた。
それによって私と彼女は以前よりも互いを理解出来るようになったと思う。
一方で、レイカさんの私に対する態度の硬化は、ケイティにも心配された。
「見てれば、あの人がイオリに何か腹を立ててるのは判るんだけど。
あの人にそれを指摘して『何を怒ってるんですか?』って訊いても、怒ってる事自体認めないんじゃないかと思うわ」と。
「プライドが高いのかも知れないね。中身の通算年齢は兎も角、私の見た目は15歳の小娘だから。
小娘に何か言って、言い返されるのは屈辱だろうし」
「何かを抱えてはいるんでしょうね。それこそ私みたいに前世引きずってるせいで物の見方に余計なフィルター掛かってる可能性もあるし」
「あ、自覚あるんだ?」
「まぁね。どこかの精神高齢者に諭されましたから」
「小娘が!」
「アンタが自分から中身年寄りだってバラしたんでしょが」
「35歳も充分中年だよね…」
「そう言えばセルフヒーリング用のバックアップデータを20歳の肉体情報に固定したまま更新せずにいて肉体状態情報の上書きをし続けたら、永遠に20歳でいられたりするのかしら?」
「ケイティさん。ちゃんと授業を受けてましたか?あなたが大好きなツカサ先生の授業内容ですよ?」
「先生の顔に見惚れてる時間が長くて、あんまり話は理解できてなかったかも…?」
「だろうね。…歳を重ねる事で遺伝子も変化していくから、互換性が穴だらけになって状態情報の上書きが有効化しないって、ちゃんと習ったよ?」
「残酷よね…歳取るのって」
「見た目は残念な事になるけど、それでも経験を通して得られるものも大きいよ」
「そうなの…かなぁ…。アンタと話してると納得させられそうになるけど、前世でも今世でも、いい歳こいてるクセに幼稚なヤツって結構多い気がするよ?」
「そういう人は案外少数派なんだけど、そういう人に限って目立つから、年甲斐の無い年長者が大勢いるように見える、ってのはあるかもね…」
「そういうのはマトモな年長者達がモグラ叩きの要領で叩いて社会の隅っこに追いやって大人しくさせておくのがスジなんじゃないの?」
「そう簡単にはいかないよ。
人って基本的に自分の信じたいことだけ信じるし、自分の見たいものだけ見るから。
自制・自粛の必要性を理解しない人に、それを強いても裏目に出る可能性が高いだけだよ」
……話がいつの間にか
[(精神)高齢者の社会的役割]
に及んでいた。
(まぁ「○○は××するべき」みたいな役割強制論は、自分が強制される側じゃない時には誰もが積極的に支持するものだからな…)
(私としては人間のそうした傾向をある程度まで許容して「特定クラスタのみに神業的忍耐が強制される事態が起きないように調整する」のが年長者の本当の役割だと思うんだよね)
そうやって話し込んでいるうちに就寝時間になった。
ケイティは自室に戻っていった。
(明日で授業が始まってから20日目。授業終了後から「先生」が先生じゃなくなる日だ)
(魔法省本部へ私達見習いの成績や適性の情報が提出され、その情報を基にして私達見習いの配置先が割り出されるのに更に1週間程度。そこに数日の猶予期間が加わり…)
(その後は指令書通りに配置先へと向かう事になるんだな…)
そう考えていた時に窓に何かがぶつかる音がした。
ギクリとした。
(幽霊って存在にもタネと仕掛けがあって、悪霊化した魂の仕業であったり、【管理者】権限を乗っ取った外部存在が引き起こしてるバグだったりするんだよな。それが判ってても、自分が無価値な存在として虫ケラみたいに攻撃を受けるのは心臓に悪い…)
と咄嗟に幽霊に関して連想しながら
恐る恐る窓に近づいて小さな木戸を開けて外を見た。
人影が目の前に立っていて
(私の部屋は一階)
ギョッとする。
「レイカ先生……」
私は思わずその人の名を呼んだ。
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