恋をしてもいい

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恋をしてもいい

「クソッ!最高級品のポーションがこの程度の効き目か!!!」 誰かが悪態をついている。 (ーー死んだ訳じゃないのか…) 私は目を開けた。 猿轡も紐も外されていた。 抱きかかえられていた。 「ハーダルさ、ま?」 一応声が出た。 「目を覚ましたのか!?ーー良かった…お前!今直ぐセルフヒーリングをかけろ!死ぬぞ!」 (ああ、状況を思い出した…) 私は【月影の書】を起動させて セルフヒーリングをかけた。 (また死にかけたのか…) 「…此処は何処なんですか?…」 「アイナバアルのアジトの一つだ。実は貴族街にある無人の幽霊屋敷だ」 「よく私が此処に運ばれたのが分かりましたね…」 「実は私では判らなかった。 首都に居るお前の師匠という男が前回お前が死にかけた時に『また同じような事が起こるかも知れないから』と言い張ってアイル様に連絡用魔道具を融通しろとユスリ取っていたんだ。 なので今回もお前が死にかけるような怪我をしたら、お前の使い魔が彼に報せを送り、彼からこちらへ連絡が入るだろうと考えて、司令室の魔道具を持ち出しお前を探していたら、案の定連絡があった」 「ハーダル様はアイナバアルの自宅に向かわれたのではなかったのですか?」 「行ったがもぬけの殻だった。だから警備隊詰め所に向かい、今後の対策を話し合うつもりだった。 だが途中で警備隊連中に遭遇し、お前が居なくなったと聞いた。 それでヤツの狙いが初めからお前だったのかも知れないと気づいた。 そして万が一のときに備えて司令室の魔道具を持ち出し、お前を探していた」 「それじゃツカサ先生はーー」 「ああ、心配してるだろうな。 だが今は連絡はつかん。 ……実は先程のヤツとの戦闘で魔道具も被害を受けてしまってーー」 「壊れちゃった、とーー。…もう、ハーダル様はいつもそんな具合ですね…」 思わず溜息が洩れた。 部屋を見回すと、何かの肉塊のようなものが壁にめり込んでいる。 「アレってーー」 「すまない。あれでは尋問も出来ない。だが手加減して闘うにはあの男は危険過ぎた。 それにお前が死にそうになっていたのもあって、一瞬で勝負をつけたかった」 「そうなんですね…」 「色々不器用で無様な真似を晒したが、だが…お前が死ななくて済んで良かった…」 ハーダル様はそう言って、心から安心してしたかのように私を抱き寄せた。 私は何か違和感を感じて、あの娼婦の事へと話を振った。 「それで…彼女にはーーコーリーさんはお気の毒でしたね…。お好きだったんでしょう?」 「……何故そうなる?」 「?」 「お前は私があの女とーーその、…してる所を使い魔の監視カメラ映像で観てたのだろう?それで声の方も聞こえてたんじゃないのか?」 「声?ですか?ーー…あの、私の事を一体何だと思ってます? アレは人間の魔力の色が日常化生活の中でどれだけ変化するのかを確認する為の映像ですよ? 何でいちいち他人の濡れ場の音声を聞かなきゃならないんですか? 変態ですか?私は?貴方の中で」 「聞いてないのか?ーーやはりそうか…」 ハーダル様は脱力したように肩を落とした。 「ーー多分、今しかお前と二人で話す機会は無いだろうから、わたしの話を聞いてくれないか?」 ハーダル様は真剣な、それでいて誠実なそうな表情になって私にそう言った。 そして彼は語り始めたーー。 私には色々と不本意な噂がある。 それは知っている。 実は女嫌いで男が好きなんじゃないか?とか。 そんな噂も、実は根も葉もないという訳ではない。 私は確かに三年ほど前迄は女性に興味はなかった。 寧ろ嫌いだった。 そもそもが私の母は人格的に問題がある女性だった。 母は私の顔を見る度に難癖をつけて叱りつけていた。 私は母が嫌いで、彼女の女性という性それ自体も嫌いだった。 女性というイメージが母のそれと重なって嫌悪感を催させていたのだ。 ーー思い出は幼少期からの家庭環境へと遡る。 兄は父に似た顔立ちで、父と母の仲が良好だった頃に生まれた子だった為か、父にも母にも可愛がられて育った。 一方で、私は父と母の仲が悪化し出した頃に生まれた子で、気性も顔立ちも母に似ていた為に、母は自分の欠点が見せ付けられているように感じていたらしく、私を見る度に顔を顰め、露骨に疎んじていた。 私としては、自分の何が悪くて彼女に疎まれているのか判らず、 ただ彼女の側にいると、どんどん自分に自信が持てなくなる事を感じていた。 このまま完全に自分に自信が持てなくなったら私は自分がダメになってしまうと思い、家を早々に出て冒険者になる事を決意した。 彼女の存在から遠ざかりたかったのだ。 冒険者になって、そこそこ実力をつける頃には、やっと私は自分に自信を持てるようになっていた。 その頃にアイル様と出逢った。 聡明で懐の深いあの方に 私は直ぐに心酔した。 女嫌いではあったが、かといって男にも興味がなかった私だが。 あの方だけは別だった。 同性愛とは違うのだろうが。 私は「あの方となら…」と思うくらいに一途にお慕いしていた。 そして三年ほど前。 母が急に私に会いたいと使いを寄越して来た。 私は会う気は全くなかった。 だがアイル様に 「お前の女嫌いは彼女が原因なのだから、彼女への嫌悪感を克服しなければお前は一生不能者のままだぞ」 と諭されて渋々会う事にした。 会いに行ってみると、彼女は流行り病に冒されていて今にも亡くなりそうな程に弱っていた。 そして私に対するこれまでの態度を謝りたいと、縋り付いて泣いて赦しを乞うてきた。 私はーー フザケルナ!と言ってやりたかった。 だが年老いて病で弱々しくなった、一回りどころか二回りばかり小さくなった彼女の身体を見ると何も言えなかった。 「本当は優しくしたかった。でもできなかった」とそんな事を言われて 「ハイそうですか」と納得できる程、私は寛容ではなかった。 一方で、か弱い存在を責め立てる程、卑劣な男にもなれなかった。 中途半端な人間だったのだ。 彼女が亡くなった後になって、彼女の手記が形見として私に遺された。 それを読んで、私は号泣した。 私が子供の頃、強くて傲慢な相手だと思い込んでいた彼女は、既にその頃から心を病んだ弱い女性だった。 私が彼女に懐かずに、彼女の事を恨みがましく見るだけで、彼女の心は引き裂かれて悲鳴を上げていた。 夫から愛されず、大事に育てた長男からも顧みられなくなり、彼女はあの田舎の領地に取り残されていた。 次男である私と共に…。 二人きりで寄り添って生きていくべきなのに、それが出来なかった。 関係が拗れた寂しさで、彼女の心は益々病んでいった。 手記には、そうした彼女の心の履歴が赤裸々に語ってあった。 私は自分が愛されていなかった訳ではなく彼女が傲慢だった訳でもなく 「ほんのちょっとしたタイミングの悪さが何度となく重なって拗れていっただけだった」 のだと気がつかされた。 ただ私は子供だったのだ。 彼女の弱さに気付けなくても仕方がなかった。 それからだ。 私は女性に対する見方を変えた。 「意地の悪い性格の中にも本当は弱さがあって、一人で泣いているのかも知れない」 などと思いやれるようになった。 女性に対する興味も出てきて、身体も正常に反応し始めて、娼館にも通うようになった。 だがホデシュと共に決めていた役割は 役割として果たし続けた。 アイル様に近づく者達を篩にかける為の壁として立ち塞がる事を。 人それぞれに事情はあるし 皆それぞれに魅力はある。 しかし全てを一々考慮してやる訳にはいかない。 選別が必要なのだ。 上に、上に、と高い所に位置する者ほど。 なので私はお前にも色々と不快な思いをさせたと思う。 お前はアイル様自身が望んで側に迎えようとした娘だ。 だけど私にはお前がアイル様にとって 危険な存在のように見えた。 初めてお前に会った時に、何故アイル様が一度しか逢ったことのないお前を欲しがったのかが咄嗟に納得できてしまったからだ。 多分一目惚れだったのだろう、と思った。 私がそうだったからだ。 相手のことをよく知りもしないのに、勝手に目は惹きつけられ、その声に一々心を掻き乱される。 自分が相手を想ったとしても 想いが返ってくるとは限らない。 そんな先の見えない 宙ぶらりんの そんな危険な未来を。 私は私自身からも アイル様からも排除したかった。 だが、どんなに排除したく思っても、お前が死にかけていると聞けば、飛び出して助けに行かずにはいられなかった。 お前が私にだけ冷たい視線を向ければ、心が血を流さずにはいられなかった。 お前の監視カメラ映像を最初に見せられた時に映っていたお前の姿 ーー着替えをしてる姿や寝顔ーー も私の脳裏から離れてくれなかった。 気がつけば 少しでもお前に面差しの似た女を 夢中で探し求めていた。 そして娼婦を抱いている時にも 私はお前の名を呼んでしまってたと思う。 それをお前に聞かれたかも知れないと思うと… お前に何と思われただろうか?と思うと… 恐ろしくて、お前と顔を合わせる気にはなれなかった。 だけど、私が自分の都合でお前から逃げ回っている間にもお前は危険に巻き込まれて、簡単に死にかけてしまう。 だから私は気づかされたのだ。 愛されてない事が辛いとか、 嫌われているのを思い知らされる事が怖いとか、 そんな事を思ってる間にお前が死んでしまう事の方が何倍も怖いと。 だから私は 一つだけ素直になることにした。 お前が私を嫌っていたとしても、 お前が死ななくて済むように、 わたしにお前を守らせて欲しい。 その願いを、 もう誰にも隠したくない…。 ーーハーダル様はそう語ると 最後に私に尋ねた。 「お前を守らせてくれないか?」 と。 *************** 「お前を守らせてくれないか?」 その言葉を唖然として聞いていた。 当然と言えば当然だが。 先刻のハーダル様の話だと、彼が私を好きだという事になる。 そして私から嫌われててもいいから私の事を守りたいと、そう言っていることになる。 それを急に言われて、急に信じる事が出来るのか? というと否である。 そんな展開を私は予想だにしていなかったので、何と答えて良いものなのか見当もつかなかった。 だけど、ここは言葉が必要な場面だと判断し、自分の思いを誠実に語ることにした。 「あの、その…それこそハーダル様とハーダル様のお母様の話みたいに、タイミングの悪さとか誤解が重なって拗れてたというだけで。 私は貴方の事を嫌ってはいませんよ? …直ぐ危険に巻き込まれて死にかける私の事を助けてくださると言うのなら。 私は貴方に助けて欲しいし、有難いと思っていますーー」 (だって私はこの人が来てくれなかったら確実に死んでいた。あの井戸の時も、今回も) 「ーーだけど、一つ問題があるとしたら、それは貴方が私の事を美化してとらえている事です。 貴方が知らないだけで、私には色々と後ろ暗い記憶があります。 あのアイナバアルが私に執着してたのも、本能的に私の中にある暗いものに同調して惹かれて来ただけだったのかも知れないんです。 私はそれを話さないまま貴方から美化されたまま好意を寄せてもらうような資格は無いんです」 私はハーダル様に 私があのアイナバアルに対して 「本当はどう思っていたのか」を話さずにはいられなかった。 その心理を述べるには前世の事から話さなければならなかった。 前世の自分が虐待されていた事。 熱湯をぶっ掛けられても ベランダから突き落とされても 包丁で切りつけられても 頭を壁に叩きつけられても 私は父親を恨みも憎みもしなかった事。 その代りに虫や小動物を殺していた事。 強い者のする不条理に対する不満を相殺して心の均衡を図る為に、自分より弱い生き物の死を切望していた事。 アイナバアルが私を殺そうとした時の目付きが 私が小動物を殺さずにいられなかった時の自分自身を彷彿とさせた事。 アイナバアルの存在が「私が前世で殺してきた生き物達の存在」を連想させていた事。 私は自分が過去から復讐されているかのように感じて心底ゾッとした事。 自分は殺されかけたし、ハーダル様が来てくれなければ確実に死んでいた。 それなのにアイナバアルを憎む事も嫌悪する事も出来ない。 だけど私はあの男を憎み嫌悪しなければ…私はまた小さな命を殺す事で心の均衡を図ろうとするかも知れないのだという事。 私は自分が本当に思っている事を 何故か全部ハーダル様に話さなければならない気がした。 監視カメラの映像でハーダル様と娼婦の性交を観て欲情してしまい、その後で自慰した事も。 それが今世のマートルの身体での初めての欲情で、初めての自慰行為だった事も。 自分の後ろ暗さだけでなく 浅ましさまでをも 話さずにはいられなかった。 「私は貴方が思ってるような人間じゃないんです…」 私が語り終わると ハーダル様は 「こんな事を言うと、お前は怒るかも知れないが。 私はお前の話を聞いてお前を知る事が出来て嬉しいと思った。 お前の心にある暗いものに関してもそうだし、お前が赤裸々に自分の欲情について話してくれたのもそうだ。 私にはお前のそういったものがいじらしく思えるんだ」 「どうかしてますよ。そんなの」 私はハーダル様の感性に呆れた…。 (なんでこの人は私みたいなヤツをそんなに肯定できるんだろう?) 「どうかしてしまうものなんだ。誰かを好きになるって事は。違うのか?」 ハーダル様は真剣な顔で言う。 「貴方すごい物好きです。バカですよ」 呆れてる筈なのに何故か胸の奥が熱い。 「バカで良いさ。私はこう見えてシツコイんだ。 それにモテないからな。 お前だけを一生愛し続けられる自信がある」 0e5bf00a-645d-4ff9-b887-fa49c3e84228 まるで深く確信を持っているかのようにハーダル様は断言した。 「貴方、本当にバカですーー」 私はそれだけ言うと もう胸が一杯になりすぎていて ーー限界だった。 彼の胸にしがみついて 声を上げて泣いた…。 前世のあの時から 「二度と声を上げて泣かない」 と決めていた時から ずっと自分自身に禁じていた行為を、やっとルールを破って行う事が出来た…。
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