閑話:ハローン観点

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閑話:ハローン観点

今日も一見長閑な一日が幕を開ける。 ハローン・マルダファクは日々の面倒事を思い出し、自分の顔が渋面になるのを自覚した。 (この国は様々な問題を抱えている) と頭が痛くなりそうになる。 だが本来ならーー 自分など社会の事情など何も知らずに社会の隅っこで他人を妬み恨み、そもそも「社会」だとか「国」だとかいうものを基準にした観点すら持たずに生きている筈だったのだという事を思い出す。 現在は秘書的な立場へと昇格されてはいるがハローンは当初はアイルの影武者の一人だった。 アイルは幼少時から用心深い人間だった。 幼い頃から「無邪気な子供の顔」と「用意周到で狡猾な顔」を使い分けていた。 友人を欲している、というフリをして積極的に他の貴族の館に出向いていた。 そして「私の友人になって欲しい」という殺し文句で、貧乏貴族の館の中で家族にさえも見向きもされぬ次男・三男・四男などを自分の味方に引き入れて、着々と子供社会の中で「信用できる手駒」を増やしていっていた。 その中で背格好の似た子供は「影武者」という役割を与えられていた。 当時ハローンは成長状態も悪く、2歳年下の筈のアイルと然程変わらぬ身体つきだったのだ。 その後、成長するに従って体格差が生じた為に影武者役からは外される事になったが。 それでも影武者という役割を果たしてきた中で幾つもの秘密をアイルとは共有している。 それは他の影武者にも言える事だが。 アイルには幾つもの顔と幾つもの立場がある。 アルガマン商会の会頭アルガマン。 幾つもの店舗を展開している魔道具屋の経営者ラーキア。 ラーヘルの商人ギルドのギルド長パーティル。 密輸組織の幹部アルマドリク。 これらの人物は皆、実際には存在しない人間であり、それでいてアイルが変装して演じている人物でもある。 通常はアイルの影武者である者達がそれらの人物を演じている。 アルガマンを演じるユオール。 ラーキアを演じるアガウル。 パーティルを演じるエナーブ。 アルマドリクを演じるサークダ。 この四名はハローンの元仲間であり、それぞれの演じる役の為に各地に散って暗躍している者達である。 何故かアイルは幼少時から魔道具の開発に心血を注いでいて、その最たる発明は「変装用の仮面」だとも言える。 どのような創り方で創られているのか未だに誰にも判明されていない。 何よりこの発明品は販売されてもおらず、その使用目的はあくまでもアイルの私用に限定されている。 アイルは子供の頃から「秘密を共有するのだから、我々は仲間だ。裏切る事などあり得ない」という心理を周りに植え付けるのが得意な人間だった。 他では見た事のない発明品を見せられ、それを使って自分の役に立って欲しいのだと、天使の如き美貌と慈悲心と公明正大さを持つアイルから誠実に嘆願されてしまえば堕ちない子供は居なかった。 皆が進んでアイルの役に立とうと心から願い、それを自分の運命であったとさえ思い込むのだ。 元々、子沢山の貧乏貴族の家庭内でも穀潰し扱いされていた子供達ばかりが集められていたのだ。 アイルと秘密を共有し、社会の陰で暗躍する役目を担う事に否やを唱えるものなどいなかった。 その他にもアイルは商業活動で得た金を投資して腕に自信のあった貧乏貴族の子弟に馬と装備を与え(貸与ではなく給付)、彼らを「私属自馬騎士」として召し抱えている。 官給馬騎士になるのには幼い頃から奉公へ出て最低でも9年以上はかかると言われている。 それらの義務を免除しての起用である。 彼らが恩を感じない訳がない。 ザクルム バルアシフ レアーレフ グビナー タルジーウ ブエラネール この六名は名実共にアイルの私兵たる騎士である。 アイルはラーヘル辺境伯である以上、公属の騎士団も従える身ではあるが、騎士団所属の騎士達も決して一枚瓦ではない。 先ずどの砦の騎士団でも騎士団長は必ず国属の… つまり国が給金を払って雇っている騎士の中から(中央からの指名で)就任する事になっている。 どんなに砦(要塞城)を守る主人が国に忠誠を誓い尽くしていても、所詮は「叛意ありや?」を疑われているのである。 国属の騎士は普段は砦の主人に従うが、有事の際には国の支持を仰ぐ事になっているのだ。 なので実質的にラーヘルの為に働く騎士は領属枠から選出される副団長傘下の領属騎士達という事になる。 ただこの砦の特異な点は、国属である筈の騎士団長がアイルに心酔している事だとも言える。 正確には「吟遊詩人が唄う英雄譚の一つでもある伝説の英雄ゲフェン」の、その子孫に対する神秘化という心理であり、アイル自身に関して、その人となりを知っての事ではない。 そうした「ゲフェンの子孫に対する神秘化」は騎士団内でも根深い。 何せ、伝説の英雄ゲフェンは闘いに於いて智略にも対人戦闘にも長けているのみならず、優秀な商人でもあり、ナハル国に様々な植物の種子・果樹の苗木を齎した人物としても知られている。 一部の地域では「葡萄(ガーペ)」を「ゲフェン」と呼んで、その果実も、果実から創られる酒をも「神への捧げ物」として尊ぶ慣習があるくらいなのだ。 ただ、そうした「相手の人となりを理解していない神格化」は「勝手な期待や勝手な理想の押し付け」を伴い、そうした期待や理解が裏切られたと感じるや否や、人を離反へと向かわせる可能性もある。 本当の意味でハローンが「自分と同じアイル様の味方」として信用できるのはハローンのかつての仲間である影武者達、アイルの私兵達、そして側近のハーダルにホデシュくらいのものであった。 影武者達はそれぞれの演じる役目を忠実に遂行しながら、自分の知りえた情報をアイルへと送ってくる。 連絡用魔道具が開発されたのは、国に政治利用・軍事利用させる為ではなく、元々は遠方にいる影武者達との連絡を取りやすくする為であった。 特に密輸組織にアルマドリクとして関わっているサークダは、他との連絡がつけにくい。 後ろ暗い事をしている者達はそもそもが疑い深い。 不審な動きを見せれば背後から刺されるものと覚悟して振る舞わなければならない。 しかし、そうした環境だからこそ様々な国外の情報も手に入る。 かといってサークダから送られる情報を基に悪事を働いている者達を一網打尽にする事は出来ない。 それをすればサークダの身に危険が及ぶ事になるし、それ以降は情報が取れなくなる。 なので「誰が何をしているのかを知っていながら、何も知らないフリをして悪事を見逃す」という事態はアイルにとってもハローンにとっても日常茶飯事であった。 ありと凡ゆる人間の欲望や厭らしさや巧妙さを日々目の当たりにして、サークダ、アイル、ハローンは「人間不信」という絆で固く結ばれているといっても過言ではない。 実際にアイルは様々な秘密をハローンと共有している。 しかし共有できていないものもある。 時期外れにアイルが引き抜いてきた女魔法使いに関する事柄もその一つだ。 (まさか一目惚れ?大層美しい見た目の娘なので、それもあり得なくはないが、アイル様の態度からそうした情熱的なものは感じられない) (アイル様は私には掴み所の無い面もお持ちだ。私には理解出来ぬ別の秘密も何かしらお持ちなのだろう) (時にアイル様は他人と接していて急にぎごちなくなられる事がある。そういった場合には同性から好色の視線を向けられている事が多い) (勘繰るのも畏れ多いが、もしかしたら過去に衆道の罪を冒す輩に悪戯でも受けた事があるのかも知れない) (それで何か性的な問題を抱えていらっしゃって、その解決の糸口として嗜好に適った娘を望まれたのかも知れない)などと… ハローンはハローンなりに内心で色々と勘繰っていたのであった…。
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