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一 今日は何の日?
「よーう山縣」
満面の笑みと共に兵部省へ入ってきた三歳年長の古馴染み井上馨を、山縣有朋は胡散臭いものを見る目でじろりと見た。井上は大蔵省を預かる大蔵大輔、有朋は兵部大輔である。
「何の用じゃ」
毎回毎回迷惑顔をされながら一向に懲りない井上は、にかっと笑う。
「さて、今日は何の日じゃ」
「何の日?」
有朋は眉根を寄せる。
明治四年十二月十五日。休みの前の日という程度の意識しかない。ちなみに、一と六のつく日が役所の公休日である。
「誰ぞの命日か」
「おっ。元奇兵隊軍監のお前さんがその程度の認識とは情けないのう。開闢総督が泉下で嘆いちょるぞ」
「高杉さんが?」
有朋は一歳年少の「奇兵隊開闢総督」高杉晋作のアバタ面を思い浮かべ、数秒後に思い当たってぽつりと呟いた。
「………功山寺か」
功山寺決起。高杉晋作が、わずか八十人の手勢を率いて藩に叛旗を翻し、幕府への恭順に傾いていた藩の体制を倒幕へとひっくり返した、その挙兵の日だ。
ちなみにこの決起の当初、六百人を抱えていた奇兵隊は加わっていない。高杉に真っ先に付き従ったのは、井上の親友である伊藤俊輔率いる力士隊である。また、倒幕派として睨まれ、恭順派に闇討ちされた傷を藩の監視下で癒していた井上も、年が明けてから参加している。
「お前さんは知らんかったと思うが、去年と一昨年、この日は何人かで集まってバカ騒ぎしたんじゃ。俊輔がいりゃあ、あれが数日前からうるさい程に言うところじゃが、今年は使節団入りでおらんけえにのう。わしも今朝まで忘れちょったわい」
考えてみれば有朋はこの時期、一度も東京にいない。明治元年は旧幕府軍との戦いの真っ只中であり、明治二年は渡欧中、明治三年は勅使の伴で鹿児島にいた。
「そういう訳で、お前さん、今夜一杯どうじゃ」
「………悪いが、今日は予定がある」
「ほう。この長州人の記念すべき日の集いよりも大事な予定か」
何が記念すべき日の集いじゃ。そうでなくても「宴会好き」では定評のある長州人である。集まる理由など、「梅の花が咲いた」だろうが「飼い犬に仔が生まれた」だろうが構いはしない。
「悪いが、急に言われても無理じゃ。わしにも都合がある」
「そうかそうか。そういえば、今日は休みの前日じゃったのう。そうかそうか」
………何が言いたい。
有朋が、休みの前日には大抵五歳年少の薩摩人の部下と、いわゆる「逢引」に赴くことなど―――この古馴染みは百も承知である。
白々しい井上のニヤニヤ笑いをしばし睨みつけ、有朋は鞄から巾着を取り出して太政官札を引っ張り出し、すかさず差し出された井上の手にパン、と置いた。
「よろしく伝えてくれ」
にやあ、と井上の顔が不気味に緩む。
「そういう、物分りのいいお前さんがわしは大好きじゃ」
大好きやら言うな。
とっとと出て行け、という目で睨みつけていると、井上は札をひらひらさせつつ、
「いやあ、大輔っちゅう「長州の出世頭」の立場上、奢らんちゅうわけにいかんけえにのう。ご協力感謝感謝、感謝感激雨アラレじゃあ」
と、高笑いしながら歩み去っていった。
ぐったりと疲れた有朋は、読みかけの書類に再び目を落としながら、「………高杉さんか」と呟いた。
☆
高杉晋作という男は、確かに長州の英雄である。
だが、あれほど矛盾に満ち、そして手のかかる男もそうはいない。
井上は、かつて高杉はどんな男だったかと問われ、こう答えた。
「傍若無人、傲岸不遜、不羈奔放、天上天下唯我独尊、電光石火、神出鬼没、アバタ面で馬面でチビでガキで、手のつけられない暴れ牛」
全面的に同意するのだが、それでも同じ上流武士でもある井上に対しては、高杉は年長者に対する敬意を多少なりとも持っていた、と言える。有朋は高杉よりも一歳年長だが、敬意など、どこをどう探してもこれっぽっちも払われたことはない。
どれだけ、有朋はあの男に振り回されたことか。
最後の最後まで。
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