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霧はどんどん深くなる…
まるで、すべてを覆い隠すように……
誰かに道を訊ねようにも、すれ違う人もいない。
こんな時は動き回らない方が良いのかもしれないけど、じっとしているのもなにかしら不安で、私は適当に歩きまわった。
幸いなことに、そのうち霧もまた晴れて来て、あたりの景色も見えるようになっていた。
そんな時、私の目に一軒の喫茶店が映った。
時代を遡ったような古めかしい喫茶店だ。
店の前の小さな看板には「待ち合わせ」と書いてあった。
(ちょっと休んでいこう……)
私は、喫茶店のドアを開いた。
かろやかなドアベルの音が響き、個性的な柑橘系の香りが鼻をかすめた。
(あ……これ……)
不意に呼び起された記憶に私の胸はいっぱいになった。
「いらっしゃいませ。」
席に着くとすぐに、グラスを持った愛想の良い中年の男性がオーダーを取りに現れた。
「あ、あの…温かいアールグレイティーを。
ミルクを入れて下さい。」
「かしこまりました。
お連れ様のも同じもので?」
「いえ…私には連れは……」
私が首を振ったら、店主は意味ありげに微笑んだ。
「お待たせしました。」
しばらくすると、店主は湯気の立ち上る紅茶を私の前に置いた。
「ありがとう。」
砂糖を一杯入れてゆっくりとかきまわす。
温かな紅茶を一口含むと、また昔の記憶がよみがえった。
胸がいっぱいになり、私は俯いて込み上げる想いを無理矢理に押さえ込んだ。
不意にドアベルの音が鳴り、足音が私の傍に近付いて来ると、向かいの席に誰かが座った。
「ごめん、遅れて……」
聞き覚えのある声に反射的に顔を上げると、そこには懐かしい彼の笑顔があった。
「う、嘘…!
俊は…俊は亡くなったのよ!」
なにがなんだかわからずに、私は大きな声をあげていた。
彼は、感情的になった私の手をそっと握る。
「マスター、アールグレイのストレートをお願いします。」
彼はカウンターの店主に声をかけた。
「奈央、ごめんね。
驚かせて…
でも、僕も驚いたんだよ。
まさか、こんな風にしてまた会えるなんて思ってもみなかった。」
驚きと嬉しさと切なさで、私は止まらない涙に溺れていた。
たとえ目の前の彼が幻でも、私の頭がおかしくなってしまったのだとしても、それでも嬉しくてたまらなかった。
もう二度と会えないと思っていた彼に会えたのだから。
「俊……」
彼は無邪気に微笑み、私の手をさらに力をこめて握りしめた。
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