愛しき人海

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「なかなか来ないねぇ……」  あれから数時間は経った。  依然として、女の子の両親は現れない。  列の後方まで話が伝わっているのか、時折女の子を見かけて「頑張れ」と声をかける人たちが通りがかったりもした。だが、ナミの両親を見かけてはいないらしかった。 「お母さん、まだかな」  不安げにつぶやくナミ。見かねた初老の女性が「きっと来るよ」と彼女の手を握った。 「ねぇ、少し思ったのだけど……」  すると、先ほど伝言ゲーム方式を提案してくれた女性が小声で俺に話しかけてきた。 「もしかして、女の子のご両親ってまだご健在なんじゃないかな」 「え」  女の子の幼さに忘れかけていたが、ここはあの世まで続く行列の途中だった。俺も、目の前にいる若い女性も、初老の女性も死んでいるのと同様に、あの少女ももうすでに亡くなっているのである。  ナミという少女は5歳なのだから、両親もまだ若いはずだ。両親を残してナミが先立ってしまったということがあってもおかしくはない。 「だとしても、どうします?そのことをナミちゃんに言えるかっていうと……」  俺にはとても言えない、とは流石に続けられなかった。  女性も「確かに」とだけ返事をすると、女の子を見やり目を伏せた。  あいも変わらず、お経のような案内放送が無意味に反響しているのが、無性に遣る瀬ない。 「あれ、何だろう」  初老の女性が何かを目にしたのか、声をあげる。  彼女が指さす方を見ると、トンネルの中で何かが光を放っているのが確認できた。強烈な黄金色で光り輝くそれは、こちらの方に向かっているようにも見える。もぐらのように暗がりを這っていた俺たちにとっては久しぶりの眩しさに、目がなかなか慣れずハッキリとした形を捉えることは難しかった。  そうこうしているうちに、謎の発光体は俺たちの前に降り立った。目の前に来たことでますます眩しさに拍車がかかり、つむった瞼の裏はほとんど真っ白になっている。 「その子のご両親を探しているのは、あなた達ですか?」  光が弱まったことを網膜で感じ取ると、俺は目を恐る恐る開ける。  そこにいたのは、お地蔵様だった。  つるりとした坊主頭と赤い涎掛け。右手には錫杖。優しげな一本線の目は閉じられ、微笑みを讃えた表情は底知れない慈悲深さを感じさせる。自分でもまさかとは思ったが、見れば見るほどいつぞやお寺なんかでよく見かけたお地蔵様そのものだ。 「はい、そうですが……」  唖然とする他の者たちの代わりに、初老の女性がやっとの事で返事をしていた。  お地蔵さまは小川の流れのようにゆったりとした動きで、女の子に近づいてきた。 「見知らぬ少女のために動いてくれて、感謝します。しかし、この子のご両親がここに来るのはまだまだ先のことのようです」  その言葉に俺と若い女性が顔を見合わせる。やはりまだ、ナミちゃんのお父さんもお母さんも生きているのだ。  それでは、彼女はこれから先、かなり長い時間を一人で過ごさなければならないのだろうか。そんな不安を感じているらしく、ナミもまた小さな顔を歪め、初老の女性にしがみついている。  怯える少女を見て、お地蔵様はすかさず彼女の頭をポンと撫でた。不思議なことにたったそれだけで、ナミの表情は次第に穏やかになっていく。 「あなたたちが彼女のことを伝えてくれたおかげで、早めに迎えに来られました。ご両親が来るまでは私がナミさんの面倒をみます」  あとは私に任せなさい。  お地蔵様はそう言うと、初老の女性からナミを預かり、彼女と手を繋いだ。 「ナミさん、皆さんにご挨拶を」  ナミはこちらを振り返り、まだおぼつかないお辞儀をしてみせる。 「ありがとう」  その瞬間、ナミとお地蔵様は眩い光に包まれて、また何処へと飛んでいってしまった。
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