06.合鍵編

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06.合鍵編

**第二十三話 病み上がりの身体に胃痛の種が堪えます。**  退院後、千秋は母親に首根っこをつかまれて実家に戻った。 「どうせろくなもの、食べてなかったんでしょ!」  と、怒鳴る母親の前でひたすらに小さくなりながら、お腹に優しいけど栄養満点のご飯を食べて、寝て、という日々が続いた。  自身の分の他に千秋の遅延分の作業もやってくれている陽太は、それでも二十時半頃には帰ってきていた。通勤時間を考えると、ほぼ残業なしで上がってきているようだった。  毎晩のようにベランダ伝いに千秋の部屋にやってきて、暇つぶしにと買ってきた漫画を置いていくのだ。たまに数日前に買ってきたのと同じタイトル、同じ巻が混ざっているとことかが陽太らしい。同じ表紙を並べて千秋はくすりと笑った。  半分、食べかけのチョコレート菓子を千秋の口に突っ込んで、部屋に帰っていくこともあった。  ――家の中だから、よしとしよう。  自分に言い聞かせるように心の中で言って、千秋は大人しく陽太がくれたお菓子を飲み込んだ。  日曜日にようやく一人暮らししている部屋に戻り、翌日の月曜日に約一週間ぶりに出社した。始業開始のチャイムが鳴ると、岡本がフロアの端にある打ち合わせスペースへと手招きした。 「体調はもう大丈夫?」  イスに座るなり、岡本が心配そうに尋ねた。 「もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありませんでした」 「うん、それならよかった。でも無理はしないで、身体第一で働くようにね」  テーブルに額が付くくらい深々と頭を下げる千秋に、岡本はにこりと微笑んだ。 「はい」 「作業のことなら大丈夫だよ。百瀬くんが珍しく本気出してくれたから。……いつもあれくらい本気でやってくれるとうれしいんだけど」  岡本が天井を仰ぎ見ながらぼやいた後半部分については、千秋は聞かなかったことにしてあいまいに微笑んだ。 「今回の件で百瀬くんが引き継いだ部分や、スケジュールを変更した部分があるから説明をしたいんだけど。その前に――」  そう真剣な表情で前置きする岡本に、千秋は思わず背筋を伸ばした。  ――次で契約切られる、とか……!?  遅延させて足を引っ張っているところに、無断欠勤、入院、そのまま一週間の休暇だ。相当に迷惑をかけた自覚はある。岡本や陽太は大丈夫と言ってくれても、自社の人間でもなく、さして優秀でもない人間と契約を続けるメリットはない。岡本の次の言葉を想像して千秋はそろそろとうつむいた。だが――。 「小泉くん。百瀬くんに合鍵、渡しておくようにね」  口元の前で手を組んだ岡本は真剣な表情と低い声で言って、じっと千秋の目を見つめた。 「……は?」 「合鍵。作って渡しておいて。本当に。冗談抜きで」  言質を取るまでは引かない。妙な威圧感に耐えらずに、千秋は思わず引きつった笑みを浮かべた。 「えっと……岡本課長?」 「この着信履歴、見てごらん」  すぐにでも見せられるように用意していたのだろう。重要資料を開いたパソコンを客に見せるような機敏な動きで岡本はスマホをすっと千秋の前に差し出した。  画面をのぞき込むとズラッと“百瀬 陽太くん”と、いう登録名が並んでいた。着信、不在着信が入り乱れているけれど、五分や十分といった短い間隔で陽太から電話がかかってきていたことがわかる。 「このスマホは着信、発信合わせて百件まで履歴が残る仕様なんだ。この履歴が小泉くんが休んだ当日、すべて百瀬くんの名前で埋まったんだよ」  千秋はぎこちない動きで顔を上げた。岡本の無駄に優しい声と微笑みが怖い。 「お客さんから掛かってきた不在着信もすごい勢いで流れていくし。打ち合わせ中もスマホが鳴り続けるし。プロジェクトメンバーに恐妻家だったのか。不倫がバレたのか。もしかして前日に彼女と別れ話でもしたのかって有らぬ女性関係を疑われるし。今は独身で恋人もいないのに、とんだ目にあったよ」  千秋は口元が引きつるのを感じながら、再び、うつむいて奥歯を噛みしめた。  千秋を心配して仕事を休んでまで駆けつけてくれたり。千秋が遅れた分の作業を引き受けてくれて、それでも心配をかけないようにと早めに作業を終えて帰ってきてくれて。そういう気遣いにはすごく感謝している。いるのだ、けれども――。 「と、いうわけで合鍵を渡しておくように」 「はい! 大変なご迷惑をおかけしました!」  千秋はテーブルに額をぶつけかねない勢いで頭を下げながら、  ――ヒナのバカ、アホ! やっぱり迷惑だ!!  すべてのことを一旦、脇に避けて、心の中で陽太に罵声を浴びせかけた。
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