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「あ、おかえりー」
自室のドアを開けるとそんな声がした。見ると、ベッドに瑠衣が仰向けに寝転がっていた。その手には理亜のタブレットがある。
「また来たの?」
「家出てきたって言っただろ? 他に行くとこないもん」
瑠衣はそう言うと身体を起こした。
「このタブレット、もしかして理亜の? なんか、見た事ある……」
「うん。理亜のだよ」
ふうん、と瑠衣は頷くと疑うような目で音羽を見て「なんでお前が持ってんの?」と言った。
「なんでって……」
どう答えるのが正解なのかわからない。きっと、理亜が生きてるということはまだ瑠衣には言わないほうがいいのだろう。なぜ彼女が自分を死んだことにしたのか、その理由もわからないのだから。
「もらったのか?」
音羽は少し考えてから「ううん」と首を横に振った。
「ベッドの裏に隠してあったの」
「そう」
さして驚いた様子もなく、瑠衣は素直に頷いた。そしてタブレットの画面にそっと手を置いた。
「これ、理亜がいつも持ち歩いてたんだ。親には隠しててさ。一回だけ俺がロック解除しようとしたことがあったんだけど、めっちゃ怒られた」
懐かしそうに瑠衣は微笑む。そして「見たいな、中」と呟いた。
「……見る?」
つい、そう言っていた。
「え、ロック解除できるの?」
目を丸くして瑠衣が音羽を見つめる。音羽は頷くとタブレットを受け取った。そしてパスコードを打ち込んでいく。
瑠衣のことが可哀想になったから。それもある。だが、もしかすると彼なら香澄美琴について知っているのではないか。そう思ったのだ。
「はい、どうぞ」
しかし、タブレットを受け取った瑠衣はなぜか頬を膨らませて不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「え、なに?」
「なんでお前が知ってんだよ。パスコード」
「そりゃ……」
少し考えてから「仲が良かったし」と適当に答える。瑠衣は不満そうに「なんだよ、それ」と言いながらタブレットに指を乗せた。
「……なんにもないじゃん」
「だよね。あたしも同じこと思った。でも画像があるんだよ」
「画像?」
瑠衣は眉を寄せて画像フォルダを開いた。そして一枚ずつスライドさせていく。しかし、どの画像を見ても瑠衣の反応は薄かった。
「なんだこれ。理亜、なに撮ってたんだ?」
「風景とか、知ってるところない?」
「いや、別に……。でもこれ、この記事」
そう言って彼が見つめているのは香澄美琴の記事だった。
「その子、理亜に似てるよね」
音羽の言葉に瑠衣は頷く。
「知ってる? その香澄美琴って子」
「いや、知らない」
「そっか……」
瑠衣が深く息を吐き出した。そして身を乗り出してタブレットをテーブルに置くと再びベッドに仰向けに寝転ぶ。どこか疲れているような様子だ。
「学校、行ってるの?」
「ああ。学校は行ってる」
「学校どこ? 中学生、だよね?」
瑠衣はちらりと音羽を見てから「天北中だけど」と答えた。
「天北……。遠くない?」
「遠い」
天北中のある街までは、最寄りの駅から電車で三十分ほどかかる。駅から学校までは、さらに距離があるはずだ。
「帰ったほうがいいんじゃ――」
「うるさいな。あんたに関係ないじゃん」
瑠衣は棘のある口調でそう言うと壁の方へ向いてしまった。
関係ないこともない。この部屋に部外者が、ましてや男子が寝泊まりしていることが知られると大問題になる。そして罰せられるのは音羽なのだ。しかし、瑠衣が寂しい思いをしていることも痛いほどに理解できる。
音羽は軽くため息をつくと「お風呂は?」と聞いた。
「入った。駅のとこにある銭湯で」
「ご飯は?」
「食ってきた」
「家に連絡は?」
深いため息が聞こえた。
「大丈夫だよ。友達のとこにいるって言ってるから」
「友達……?」
瑠衣が少し身体を起こして顔を音羽へ向ける。
「嘘じゃないだろ。あんた、理亜の友達なんだから」
音羽が苦笑すると彼はふんと鼻を鳴らして再びベッドに寝転んだ。
「……しょうがないなぁ」
呟いたものの、瑠衣に反応はない。とりあえずお風呂に入ってこようと音羽は部屋を出た。
すでに入浴時間は終わりに近かったので浴場は空いていた。時間になると当番の生徒が片付けに来るので手早く髪と身体を洗って入浴を終える。そして脱衣室を出ようとしたとき、涼がやってきた。彼女は「あれ?」と目を丸くして音羽を見つめる。
「あ、今日は下村さんが当番なの?」
「うん、そうだけど。崎山さん、いつからお風呂に?」
「二十分くらい前だけど」
「ほんと?」
涼は眉を寄せて「変ね」と呟いた。
「どうしたの?」
「ううん。ただ、ついさっきあなたの部屋から何か物音が聞こえた気がしたから」
瑠衣だ。
瞬間的に音羽は思った。
「あー、風かも」
とっさに思いついたのはそんな言葉だった。
「風?」
「うん。窓、開けっ放しにしてたから」
「ちょっと、夜は戸締まりしっかりしてよね? 最近、物騒なんだから。風も冷たいし」
「うん。ごめんね」
おやすみ、と言葉を残して音羽はそそくさと涼の前から去る。背中に涼の視線を感じたが、振り返ることはせず足早に部屋へ向かった。
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