31人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
平日の昼、ファストフード店は休日よりも空いていた。音羽と瑠衣はボックス席に座ると早めの昼食を食べ始めた。
「坂口さんたち、家に行ったのかな」
ポテトを口に運びながら音羽は言う。
「さあ」
瑠衣はストローを口元にあてたまま、気のない返事をした。
「おばさん、ちゃんと言ってくれたかな」
「さあなー」
音羽は瑠衣の顔を見つめた。彼女はぼんやりとストローをくわえている。
「どうしたの?」
「え?」
瞬きをして瑠衣はストローから口を離した。
「どうしたって、なにが」
「いや、なんか上の空だから」
「あー、ちょっとさ」
ため息をつきながら瑠衣は頬杖をつく。
「考えてたんだ。俺も母さんと同じだなって。何も気付けてなかった」
「……理亜のこと?」
「うん。理亜、幸せだと思ってたんだ。うちって、別に金持ちじゃないけどそんな貧乏でもないし。親だって、子供に虐待するようなひどい人間でもない」
「うん」
「でも、理亜にとっては幸せじゃなかったんだなと思って。俺は、理亜がいて幸せだったけど。理亜は違った。それがちょっと、悲しい」
「……瑠衣ちゃん」
瑠衣は寂しそうに微笑んで「俺、理亜のこと守らなくちゃって思って、こんな感じになったけど」と続けた。
「理亜はこんな俺を丸ごと受け止めてくれてたんだ。親は、無理やり俺に女の子っぽい服着せようとしたり、女の子っぽい習い事をやらせようとしたけど、理亜はありのままの俺を受け入れてくれた。だからいっつも理亜について回ってた。全然ウザがられたりしなかったし、楽しかった。俺は幸せだったんだ、理亜がいて。でも理亜は俺のこと、別に好きじゃなかったのかな」
「そんなこと、ないよ」
きっとそんなことはない。だって理亜が瑠衣を見る目はとても優しくて、瑠衣にかける声はとても柔らかい。それは音羽に向けられたことのない温かなものなのだから。そう言うと瑠衣は目を丸くして、恥ずかしそうに笑った。
「助けたいな、理亜のこと」
瑠衣はテーブルから肘を下ろして椅子の背にもたれると、呟くように言った。音羽は頷き、そして微笑む。
「瑠衣ちゃんは、優しいね。すごく優しい」
すると彼女は少し頬を赤らめてから舌打ちをした。
「うるせえよ」
そう言って照れを誤魔化すようにハンバーガーにかぶりつく。
そのとき、テーブルに置いていた音羽のスマホが鳴った。着信だ。そこに表示されている名前は下村涼。
「出ないの?」
鳴り続けるスマホをただ眺めているだけの音羽に、瑠衣は不思議そうな表情を浮かべた。
「うん……」
きっと、学校を休んでしまったから気にしてくれているのだろう。純粋に心配してかけてくれているに違いない。けれど、そんな涼の気持ちが音羽には重たい。彼女に、ずっと嘘をつき続けなければいけないことがしんどかった。
「出なよ。じゃなきゃ、切っちゃえ」
瑠衣がストローをくわえて言う。スマホはずっと軽快な音楽を流し続けていた。仕方なく、音羽はスマホを手にする。
「もしもし?」
「あ、よかった。出た。崎山さん、今日はどうしたの?」
涼の声は少し小さい。学校では原則スマホの使用は禁止されているので、隠れて使っているのだろう。
「ちょっと、体調が悪くて」
音羽が言うとすぐに「嘘」と涼の低い声が返ってきた。
「だってそこ、どこかのお店でしょ? 音楽が聞こえる」
「あ……」
どうやら店内の音楽が丸聞こえだったようだ。テーブルの向かい側で瑠衣が不思議そうに音羽を見ている。
「どこにいるの? もしかして、今日サボったの?」
「うん、まあ」
「そんな、あなたらしくもない」
「――あたしらしいって何?」
「え……」
「あたしのこと、そんなに知らないでしょ。今までそんなに話したこともなかったのに」
ハッと音が聞こえた。涼が短く息を吸ったのか、それとも吐いたのかわからない。そして少しの間、無言が続く。
「たしかに」
次に聞こえた涼の声はなぜか震えていた。
「下村さん?」
つい心配になって音羽は彼女の名を呼ぶ。
「たしかに、あたしはあなたのことをまだよく知らない。だから、知りたいって――」
「どういう、意味?」
しかし涼は答えない。沈黙が続く。ズズッと音がして視線を上げると瑠衣がジュースを飲み干していた。
「もう、切るね」
音羽が言うと、スマホの向こうで深く息を吐くような音が聞こえた。しかし涼は何も言わない。音羽はそっと通話を切った。
「なに、嫌いな奴だったの?」
スマホをテーブルに置いた途端、瑠衣が言った。
「ううん。あたしのこと心配してくれるいい人だよ」
「ふうん。その割には、けっこうキツい言い方だったけど」
瑠衣はソファの背にもたれて満足そうにお腹をさすった。
「それは、だって……」
彼女がまるで音羽のことを何でもわかっているかのように言うからだ。思ってから音羽は眉を寄せる。それだけだろうか。彼女のあの言葉に苛立ちを覚えたのは、それが理由だったのだろうか。
きっと、違う。
あなたらしくもない、と彼女は言った。けれど音羽自身がわからなかったのだ。自分らしい自分が。自分ですらわからない自分を彼女はわかっているのか。それが少し苛立ったのだ。
音羽は浅く息を吐いて「それより」とハンバーガーを手に取った。
「これからどうしようか」
口に運んだハンバーガーはすでに冷めていてあまり美味しくない。二口ほど食べて、音羽は食べるのをやめた。
「どうしようもないよ。母さんが警察にどう答えたのか聞くまでは。あとで聞いとくから、それからどうするか決めるしかないね」
うん、と音羽は頷いてからジュースを少し飲んだ。
「もしおばさんが警察にうまく言って捜査が終わったとしたら、その後は? それだけで理亜を助けられたことになる?」
人を殺めてしまった理亜を、彼女の心を助けたことになるのか。同じことを瑠衣も思っていたのだろう。彼女は腕を組むと、真面目な表情で「考えるしかないだろ」と言った。そして視線を腕時計に向ける。
「学校、行く」
「え、今から?」
「母さんに言ったから。学校には行ってるって。だからとりあえず顔出すだけでも行ってくる」
「そっか」
音羽は思わず微笑んだ。瑠衣は嫌そうに眉を寄せて「なんだよ?」とトレイを持って立ち上がる。
「ううん。行ってらっしゃい」
「ああ。っても、今日は五限で終わる日だから早く寮に戻ると思う」
「わかった。窓、開けておくね」
「ん」
瑠衣は頷くとトレイを戻して出て行った。
最初のコメントを投稿しよう!