第7話 電話

4/7
31人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
 無理やり連れて帰らされた寮の自室で、音羽は右腕をさすりながら床に座っていた。テーブルを挟んだ向こうでは涼が硬い表情で正座している。 「ごめんなさい。ちょっと、力入れすぎちゃって」  硬い表情のまま、彼女は言う。 「痛かった……」 「だから、ごめんって。でも強く捕まえておかないと、崎山さん逃げちゃいそうだったから」 「うん」  音羽は頷いて「なんで怒ってるの?」と聞いた。瞬間、涼の顔が赤くなる。 「別に怒ってるわけじゃないけど」 「けど?」 「その、電話で、あなたの様子が変だったから」  そのとき、瑠衣の言葉が蘇った。キツい言い方だった。それは自分でも反省している。 「……ごめんなさい」  音羽の言葉に涼は怪訝そうに「なんであなたが謝るの?」と眉を寄せた。 「それより、ねえ崎山さん。もしかしてあなた、何か変なことに巻き込まれてるんじゃない?」  涼がテーブルに両腕を置いて少し顔を寄せてきた。見慣れてしまった心配そうな表情。そういえば、涼がこんな顔をしているのは音羽の前だけだ。他の友人たちの前では彼女はいつだって笑顔で落ち着いた対応をしている。音羽が知る限り、彼女はクラスメイトの誰よりも大人だった。 「さっき電話してるの見たけど、崎山さん泣きそうな顔してた」  音羽が答えないので涼は続ける。ふわりと彼女の温かな手が音羽の頬に触れた。 「今も、こんな顔してるし」 「こんな……?」  いま、自分がどんな顔をしているのかわからなかった。耳の奥では、まだ理亜の最後の言葉が響いている。  ――もう、いいんだよ。 「もし、何かあるのなら助けになるから」 「助けに?」 「うん」  涼は音羽の頬を両手でふわりと包む。けれど、音羽が何も言わないのを見て悲しそうに微笑んでその手を下ろした。 「香澄美琴」  涼は微笑んだまま、その名を口にした。そしてスマホをポケットから出してテーブルに置く。そこには理亜の画像が表示されていた。そう思ったが、すぐに違うとわかる。淡い水色のドレスを身にまとって笑う彼女は理亜ではない。理亜はこんな笑顔は見せない。こんな作ったような笑い方はしない。そこに写っているのは、香澄美琴だった。 「どうして……?」  自分の声が掠れているのがわかった。涼は「調べたの」とスマホの画像をスライドさせながら答えた。他にも数枚の写真がある。どれもピアノのコンクールで撮影されたもののようで、そのすべてに写っているのは理亜ではなかった。 「あなたが気にしてたから、香奈と一緒に」  郵便局の前で涼と香奈が並んで歩いてる姿を思い出す。あれは、美琴のことを調べていたのか。音羽はスマホから視線を上げることができなかった。 「香澄美琴。小学五年生の頃にフランスへ留学。ピアノの勉強をしてたけど、中学二年のときに事故にあって右手が使えなくなったんだってね。その頃に帰国して、今はリハビリ中って。この写真は事故に遭う少し前のコンクールで撮られたもの」  涼が続ける。そして彼女はスマホの画面に指を置いた。彼女の指の先には嬉しそうに笑う美琴の顔。 「似てるよね? 宮守さんに」  音羽は顔を上げる。涼は真剣な表情で音羽を見ていた。 「ううん。似てるどころじゃない。こんなの、まるで本人じゃない」  涼はまるで何かを待っているかのように少しの間、沈黙した。そして「驚かないんだね」と再び微笑んだ。寂しそうに。 「やっぱり知ってたんだ。彼女のこと」  音羽は答えられなかった。涼は僅かに首を傾げる。 「この子、宮守さんとどういう関係?」  音羽は涼を見つめる。彼女は答えを待っていた。まっすぐな、綺麗な瞳で。なんと答えたらいいだろう。本当のことを話してしまおうか。そうしたら理亜はなんと思うだろう。  そのときガラッと窓が開いた。そして「あれ?」と不思議そうな声。視線を向けると、瑠衣が片足を窓の桟にかけて身体半分部屋に入ったところだった。彼女はその状態で器用に動きを止め「あー……。タイミング、やばい感じ?」と音羽に聞いた。 「なっ! 誰? 不審者! 通報して――」  慌てて音羽は涼に抱きつくと「しー!」と口をふさいだ。驚きのあまりか目を大きく見開いた涼は呻きながら首を左右に振った。そして苦しそうに表情を歪ませる。 「静かにして。いい?」  口を押えたまま音羽が聞くと、涼は顔を真っ赤にして何度も頷く。それを確認して音羽が手を放すと、涼は荒く呼吸を繰り返した。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!