第8話 意思

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 公園には、まだ理亜の姿はなかった。瑠衣と音羽はどちらともなく近くのベンチに座る。曇っているので太陽は見えない。海はどんよりと濁っているように見えた。 「なんで理亜、俺に連絡くれないんだろ」  ポツリと瑠衣が言った。彼女はぼんやりと暗い海を眺めている。音羽は答える言葉が思いつかず、瑠衣と同じようにただ海を見つめていた。しばらく待っていると、ベンチに近づいてくる人影があった。パーカーに黒いキャップを目深に被った人物は、ベンチの前に立つと「よ!」と片手を挙げてニッと笑った。 「理亜、お前その恰好は不審者に近いぞ?」  瑠衣が呆れたような口調で言う。理亜は「そう?」と自分の服装を見下ろしてから「それより」と瑠衣の頭に手を置いた。 「まだ音羽のとこにいるの?」 「……うるさいな」  少し頬を膨らませて瑠衣は視線を理亜から逸らす。理亜は息を吐くように笑って瑠衣の頭を撫でた。そしてその視線を音羽に向けると「何も思わないの?」と言った。音羽は首を傾げる。 「何もって、何を?」 「人殺し」  理亜は瑠衣の頭から手を下ろすと、真剣な表情で音羽を見つめる。 「あたし、人を殺したって言ったんだよ?」 「うん。人殺しは悪いことだよ」 「でも、何も思わないんだ?」  音羽は理亜を見上げた。彼女の瞳はいつもの勝気なものではなかった。どこか不安そうな、子供のような瞳。 「あたし、ちゃんと聞いてなかったから」 「何を?」  音羽は立ち上がり、理亜の瞳を真っ直ぐに捉えた。 「本当に、殺したの?」  理亜はしばらく音羽を見つめ、そして瑠衣へと視線を向ける。瑠衣は無言のまま、理亜の答えを待っているようだ。やがて理亜はため息をついた。 「あたしは殺して、殺されたんだ」  音羽は眉を寄せる。 「なにそれ。どういう意味」  瑠衣もまた眉を寄せている。理亜はどこか諦めたような笑みを浮かべてバックパックのファスナーを開けた。そのとき「崎山さん?」と声が聞こえた。 「え……」  視線を理亜の向こうへやる。そこに、涼が目を丸くして立っていた。ちらりと後ろを振り返って理亜が舌打ちをする。 「誰もいないこと確認してから来たのに、なんで」  理亜が俯きながら言った。涼はそんな彼女の後ろに近づくと「何してるの、ここで」と言いながら理亜の顔を確認するようにして首を伸ばした。そして「え!」と大きく目を見開く。 「あなた、宮守さん? 本物? え、なんで?」  混乱した様子の涼の声は高い。理亜は慌てたように彼女の口を手でふさいだ。 「うっさい。静かにしろよ」  涼は苦しそうに理亜の腕をバンバン叩いた。 「静かにしろよ? いいな?」  理亜が顔を近づけて確認する。すると涼は何度も頷いた。それを見てようやく理亜が手を放す。涼は何度も深呼吸を繰り返してから「なんか、昨日も同じことされた気がする」と呟いた。 「は?」  不思議そうに理亜が視線を音羽に向ける。音羽は苦笑して「それより、なんで下村さんがここに?」と涼に聞いた。 「まさか音羽のこと尾行したんじゃないだろうな」  瑠衣が向ける疑いの目に涼は「なんでそんなことするのよ」と不愉快そうに表情を歪めた。 「実家が近いのよ。家の空気を入れ替えに来たんだけど、喉乾いちゃって。だからコンビニへ――」 「でも下村さんの家ってここじゃないよね? 理亜と同じ中学出身だし」 「ああ。あれは祖父母の家よ」 「祖父母?」  理亜が眉を寄せる。 「あたしの家、親が海外赴任しててね。たまに帰ってくるんだけど、あたし一人じゃ実家で暮らせなくて。だから義務教育の間は祖父母の家で暮らしてたの。でも、祖父母があの家の管理するのは大変で。だから高校は実家に近いところを選んだの。時間を見つけてあたしが掃除とかするからって」  理亜は眉を寄せたまま「へえ」と頷いた。 「それで、あなたたちどうしてここに。宮守さん、あなた本物?」  しかし理亜は涼の質問には答えず、不思議そうに「瑠衣のこと知ってるのか?」と首を傾げた。 「え、ええ。崎山さんの部屋に居座ってるところを昨日、発見したから」 「瑠衣」  呆れたように理亜は瑠衣を見る。瑠衣は悪びれた様子もなく肩を竦めた。 「学校にはバレてないから、問題ないって」 「そんなことより、宮守さん答えてよ。あなた本当に?」  キャップを深く被っているのでしっかり顔を確認できないのだろう。涼が理亜の顔を覗き込む。理亜は顔を背けた。 「最近、崎山さんの様子がおかしかったのはあなたのせいだったのね」  理亜は涼から顔を背けたまま答えない。 「あたし、知ってるから」  涼は腰に手をあて、理亜を睨むようにして言った。 「香澄美琴。あなたとそっくりよね?」 「……音羽?」  理亜の視線が音羽に向けられる。しかし涼が「勘違いしないで」と理亜の腕を掴んだ。 「あたしが調べたの。まあ、崎山さんから同じ中学にその名前の生徒いなかったかって聞かれたのがきっかけだけどね。その子がどんな子なのか気になって、調べたのよ」 「ごめん」  音羽が謝ると、理亜はため息をついてキャップをさらに深く被った。すぐ近くを観光客らしき女性二人組が通り過ぎていく。 「ねえ、話してくれない? どうしてあなたが生きてるのか。どういう状況なのか」 「ここじゃ嫌だ。人が多い」  理亜の言葉に音羽は周囲を見渡した。天気が悪くても観光客は多い。さっきよりも人の数が増えていた。海と船に向かってスマホを構えている人たちの中で音羽たちの存在は浮いている。それに涼も気づいたのだろう。いいわ、と頷いた。 「家で話しましょう。誰もいないから」
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