第1話 消えたルームメイト

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第1話 消えたルームメイト

 崎山音羽が宮守理亜と出会ったのは高校へ入学する数日前のことだった。 「あんたがルームメイト?」  入寮の日。ダンボールに囲まれて座った理亜は音羽を見上げて笑った。子供のような人懐こい笑顔。 「いやー、助かった。あんたの荷物、まだ届いてないから暇でしょ? あたしの荷物片付けるの手伝ってよ。一人だと全然進まなくてさぁ」  言いながら立ち上がった彼女は「えーと、まずはそっちのダンボール開けてくれる?」と部屋の隅に積み上げられたダンボールを指差した。  音羽よりも高い身長。すらりと伸びた手足。小さな顔。綺麗に茶色く染められたセミロングの髪は彼女の動きに合わせてサラサラ揺れた。そして白い肌に大きな瞳。整った顔立ちにナチュラルメイクがよく似合っている。  そんな大人びた容姿とは裏腹に、彼女は無邪気だった。  自分の名前を名乗ることすら忘れて、理亜はまるで音羽が昔からの友人であったかのように話しかけてくる。人見知りだったはずの音羽も彼女に対してだけは最初から普通に接することができた。それはきっと、彼女がまったく裏表のない性格だったからだろう。  よく笑い。少し口が悪くて、たまに過激な発言をしたり弱音を吐いたりする。ときどきイタズラをして音羽をからかったりもするが、最後には決まって「ごめんね」と謝ってくる。あの屈託のない、子供のような笑顔で。そのたびに音羽は「しょうがないなぁ」と許してしまうのだ。  クラスが違うことも良かったのだろう。近すぎず、遠すぎない。そんな適度な距離感が心地よかった。  そんな心地よい生活が変わったのは、二月の終わり。一年生最後の学期も半ばを迎えたある日のこと。音羽にとってはいつもと全く変わらない朝だった。  起床して食堂で朝食をとり、登校して、そして、理亜は消えた。  誰も連絡がとれず、寮にも帰ってこない。 「崎山さん、ルームメイトなのにどうして一緒に登校しなかったの?」  そう周囲から責められた。  ――あの朝、音羽が一緒に登校していれば理亜が消えることもなかったのではないか。  学校の教師、理亜のクラスメイト、音羽のクラスメイト、理亜の家族、そして音羽の両親。信頼していた人たちから、あるいは見ず知らずの他人から毎日のように浴びせられる冷たい言葉と冷たい視線。それでもきっと理亜は帰ってくる。そう信じて耐えていた音羽の気持ちは、教師から告げられた言葉によって砕かれた。 「あのね、崎山さん。気をしっかり持って聞いてほしいのだけどね。宮守さんの――」  ――遺体が見つかった。  教師の口からそんな言葉が出たのは、理亜が行方不明になってから一週間が経ってのことだった。  隣町の山中、展望台の下で冷たくなった理亜が見つかったのだという。そこは冬の間、登山者の立ち入りが禁止されている山だ。どうしてそんな場所に理亜がいたのか。そのときの音羽は考えることすらできなかった。  ただ呆然と、彼女の葬式に参列していた。  誰かのすすり泣く声が聞こえる。線香の匂いが全身にまとわりついてくる。誰かが小声で言っている。 「――ほら、あの子が」  焼香に向かう音羽の耳に届く声。それでも音羽はまっすぐに祭壇に置かれた理亜の写真を見つめた。いつ撮られたものだろう。見慣れた彼女の笑顔は楽しそうで、そしてどこか生意気で。今にもまた音羽のことをからかってきそうな、そんな表情だった。  焼香の間すらも、音羽は理亜の遺影から視線を逸らさなかった。ずっと、あの笑顔を見ていたかった。  だって棺の中に眠る彼女は笑っていなかったから。  最期に覚えておきたいのは、彼女の笑顔だったから。  葬儀が終わってからも何ら変わらない日常は続き、学校の中で理亜の存在は少しずつ消えていった。四月になって新しい学年が始まった頃にはもう、誰も理亜のことは口にしなくなった。そして葬儀が終わって半年経った頃には、宮守理亜がいたという痕跡は学校から完全に消えてしまっていた。  音羽と理亜が生活していた部屋も、今ではもう理亜の荷物は何もない。  音羽はぼんやりとカーペットの上に座って二段ベッドを見つめた。理亜が使っていたのは下のベッドだ。今はもう誰も眠ることのないベッドには、理亜が使っていた布団がクリーニングから戻ってきたままの状態で置かれていた。  ゆっくりと視線を机の方へと向ける。音羽の机と背中合わせに置かれた勉強机。理亜がいた頃にはノートパソコン、教科書や漫画、雑誌が乱雑に置かれてあった。けれども今、そこには何もない。クローゼットも、靴箱にも、理亜の物は何一つ残されていなかった。  彼女の両親が荷物を取りに来たのはいつのことだっただろう。葬儀が終わって少し経っていたから三月に入った頃だろうか。  理亜がいなくなってからの記憶はひどく曖昧で、よく覚えていない。ただ彼女の両親が決して音羽に視線を向けることなく、そして言葉をかけることもなく、淡々と荷物をダンボールに詰め込んでいたことだけは覚えている。そしてその後ろで無表情に部屋を見つめる子供の姿も。  中学生か、それとも小学生か。細く痩せた少年が虚ろな目で両親の作業を見つめていたのだ。  理亜に弟がいたのか。あまり似ていない。  そんなことを思いながら少年を見つめていると、彼の視線がすっと音羽に向いた。  目が、合った。  少年はゆっくりと一度瞬きをすると、小さな口を開いてこう言った。 「なんで理亜、死んだの?」  か細い声だった。音羽はたまらない気持ちになって、けれども答えるべき言葉も見つけることができなくて、ただ唇を噛んで俯くしかできなかった。
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