第2話 過去

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第2話 過去

 寮に戻った音羽は夕食を食べる気にもなれず、部屋でタブレットを眺めていた。 「香澄美琴……」  記事に写った写真を見つめながら呟く。  理亜が生きていた。  ということは棺に眠っていたあれは理亜ではなく、理亜とそっくりな別の誰か。それはこの香澄美琴ではないだろうか。しかし、では彼女は何者なのだ。  この記事が撮影されたのは四年前だ。理亜は少なくとも四年前から彼女のことを知っていたということになる。そして調べたのか。彼女が何者なのか。そのために自分の戸籍謄本まで取った。つまり、自分に双子の姉妹がいないかと疑ったのだろう。だが、そんな記載はなかった。  音羽はため息をついてスマホのブラウザを開いた。そして検索バーに『香澄美琴』と打ち込む。  検索結果には、やはりピアノコンクールのネット記事がずらりと並ぶ。しかし、どれも小学生の部だ。中学生以降の記録は出てこない。適当に記事をクリックして眺めていくと、そのうちの一つには香澄美琴の簡単な紹介文が載っていた。それによると彼女の父親は医者で、母親が音楽好きらしい。  幼い頃からピアノを習い始めてすぐに頭角を現し、数々のコンクールで優秀な成績を収めている、とある。  その記事には両親と香澄の三人が並んで写っている写真が掲載されていた。幸せそうに微笑む三人は、いかにも上流階級といった雰囲気を醸し出している。  やはり理亜とは違う。顔はよく似ていても彼女とはまったく別人である。  音羽はしばらくその記事を見つめてから、ふと思いついて部屋を出た。向かったのは隣の部屋だ。 「あの、下村さん。ちょっといい?」  軽くノックして声をかける。するとスッとドアが開いた。 「え、崎山さん? どうしたの?」  下村涼は音羽を見るなり目を丸くして声をあげた。驚くのも無理はないだろう。涼は音羽のクラスの学級委員。音羽とはそれ以上の関わりはないのだ。お喋りだってたいしてしたことがない。 「ちょっと、いい?」 「ああ、うん。どうぞ。ちょうど相方もいないから」  涼は笑みを浮かべて音羽を招き入れる。風呂上がりなのか、いい香りがする。ふと見ると、長く艶のある黒髪が少し濡れていた。涼はベッドに置いていたタオルを取るとそれを肩にかけて「大丈夫? 崎山さん」と心配そうな表情を音羽に向けてきた。 「え、何が?」  小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座りながら音羽は首を傾げる。 「宮守さんのこと。学年も上がって、みんな彼女のことは何も言わなくなったみたいだけど」 「ああ……」  そうだった、と音羽は思い出す。一年のときも彼女は同じクラスだった。そして音羽が周囲から責められているのも知っていた。たしか、何度か話しかけられたことがあった気がする。今、目の前でそうしているように心配そうな表情で微笑みながら「大丈夫?」と。そのとき、何と答えたのか覚えてない。きっと答えなかったのだろう。  あの頃の音羽には、理亜がいないという現実に耐えることが精一杯だった。人の言葉なんて聞いている心の余裕はなかった。そもそも自分を心配する人間がいるとは思っていなかったのだ。だから、すべての声をシャットダウンしていた。 「崎山さん?」  涼は膝を両腕で抱えながらさらに心配そうに眉を寄せた。音羽は笑みを浮かべて「ごめんね」と言う。  あのとき、きっとひどい態度を取っていたから。そう思って出た謝罪の言葉だった。しかし涼は不思議そうに「なにが?」と首を傾げる。音羽は微笑むと「あたしは大丈夫だよ。それよりあのね、ちょっと聞きたいことがあるんだ」と話を切り出した。
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