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弁護士になりたい。
それが夕希の中学校以来の夢だ。法律を謳っておきながら、実質余り法律は関係ないバラエティも、大げさな弁護士の出るドラマも、幼い頃の夕希のお気に入りの番組だった。
学生用に優しく読み砕いた憲法の解説書で、読書感想文を書いてきたのは、俺の長い教員生活でもお前だけだ、と中学校の国語の先生にため息をつかれたこともあった。
――人が人を守るのよ、法はその手助けをするだけ。そして法の知識は、きっと貴女を強くする。
座右の銘にしてる言葉を今日も脳裏に響かせながら、夕希はパン屋のエプロンと三角巾を外し、店裏に停めてある自転車に跨った。
夕方ぎりぎりまでアルバイトをしているから、夕希が大学院の教室に入るのは。講義の始まる数分前が常だ。
その日もそうで、学校から自転車で5分のアルバイト先から、暴走気味に駆け込んだ夕希は汗だくになりながら、開いてた席に着く。
(あー、お化粧落ちてるなあ…)
ハンカチで押し付けるように、鼻の頭の汗を拭う。隣の席の子に話しかける勇気なんてない。
ひっそりと縮こまってるつもりだったのに。
「コンバンハ、糸井サン」
いきなり名指しで声を掛けられてびくっとなった。
「こ、こんばんは」
夕希はのけぞりながら、挨拶を返す。棒読みで挨拶をしてきた彼は上条琢朗。夕希とは同い年の学生だ――。
彩度の高い茶髪に手首には幾重にもしたバングル。迷彩のジャケットにクラッシュジーンズ。ギターでも背負わせた方がよっぽど似合う出で立ちで、教室内でも異彩を放っている。
けれど、成績は優秀で、授業態度も至極まともだ。クラスの成績のトップ争いを、琢朗と夕希はこの大学院の前の法学部の頃からずっとしている。見た目と中味のコレほど違う例も珍しい。
「相変わらず早い出勤で」
「か、上条くんこそ。いつも前の方の席なのに、今日はずいぶん後ろだね」
「最前列の女の香水の臭いがきついから。臭いも法律で取り締まればいいのに」
迷惑防止条例とか? しかし話を返すと、更にややこしくなりそうだから、夕希は黙ってリュックからテキストを筆記用具を出す。講義の始まる前から、彼と議論はしたくない。
(上条くんの隣だったのか…)
ろくに周囲を見ずに座ったことを後悔しても、今更代わるのはみっともないし、大人げない。
小さくため息をついて、夕希は教授の訪れを待った。
(今、席を移るのはいくらなんでもみっともないよね…)
どうせ講義が始まってしまえば、隣は関係ない。先生の話す内容に集中するだけだ。
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