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第1話 夕希
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客の波が途切れたところで、夕希は時計を見た。11時12分…閉店までは、まだ1時間半もある。
(長いな)
ほうっとため息をついて、レジ周りを見回した。前のレジも後ろのレジもお客さんはいない。
深夜のアルバイトはこの持て余し気味な時間の長さと、眠気との戦いだ。体力的にきつくても、万年睡眠不足でも、もう1年も続けてるのは、夕希には明確な目標と夢があるから。
それに…。
「あ、いとちゃん。今日も頑張ってる?」
クールビズのワイシャツ姿の男性がいつものように夕希のレジに並ぶと、夕希の笑顔が作り物から、少しだけホンモノぽくなる。
糸井夕希というのが、彼女のフルネームだが、レジの制服には、いとい、と平仮名で苗字だけ書いてあるから、彼はそれを律儀に覚えてくれて「いとちゃん」と話しかけてくれる。
「今日も学校行ってきたの?」
「はい」
「頑張るねえ。暑いから、身体壊さないでよ?」
「ありがとうございます」
商品のバーコードを読み取りながらするのは、いつもそんな他愛無い会話。「学生さん?」って彼に聞かれたのは、もうなんヶ月も前だ。昼間はパン屋で、夜は法科大学院の学生。週末の夜だけ、ここで働いてると夕希がせかせかと彼の買ったものをビニル袋に詰めながら答えたら。
『すっごい頑張りやさんだね』と褒めてくれた。以来、必ず彼は夕希のレジに並んでくれる。
買ってくものもいつも大きく変わらなくって、お気に入りの銘柄のビール。それに値引きのシールの貼られたお惣菜やお弁当。そんなものが殆ど。彼の場合は、炭酸飲料とお弁当。大袋のシリアル。ドライフルーツがたくさん入ったやつ。
(ちゃんと食べてるのかなあ…)
甚だ余計なことを心配しながら、夕希は商品を打ち終え、会計額を告げる。ポイントカードは持ってないことを知ってるから、余計なことは聞かない。
「袋、入れちゃいますね」
マチの大きな袋に入れて渡すと、電子マネーで会計をしたその人は「ありがと」と帰ってく
とかく謂れのないクレームを受けたりすることが多い仕事だから、見た目爽やかなサラリーマンに気安く話しかけてもらうのは、夕希にとってもありがたかった。
それに、帰宅時刻がだいたいそれくらいなのか、彼の現れる時間帯は大体疲れと眠気のピークを迎える11時半頃。そのサラリーマンとの会話は、夕希にとって眠気が冷める静かなときめきと楽しさをもたらしていた。
けれど、それだけ――。客と店員。踏み越えるべきではない一線を、夕希はしっかりと弁えてるつもりだ。
そう、それで良かったのだ。名前なんて知らなくて良かったし、レジ以外で会う必要もなかった。触れ合うのは、お釣りを渡す時のほんの一瞬。踏み込むべきではなかったと悔やんでも、何もなかったことになんてならない。
弱い女とずるい男。これはふたりの恋のお話――。
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