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男と淳弥が向かい合う格好になり、夕希は淳弥の肩越しに、自分の後をついてきていた男の顔を見た。
背が高く顔も体も大きい。それに反して、目や口などのパーツは小さく、今も淳弥に掴みかかられて、怯えたように唇を震わせる。
「今度彼女に近づいたら、ただじゃ置かないから」
淳弥がそう脅すと、男は足をもつれさせながら、逆方向に走り去ってしまった。
「…峰さん…大丈夫ですか…」
「ごめんな。彼氏面しちゃった。――怖かったろ」
「い、いえ、平気…」
虚勢を張ろうとしたのに、ほっと安心した瞬間、ぽろっと涙の滴がひとつぶ落ちた。
「ご、ごめんなさ…い」
口元に手を当てて、ごくんと唾を飲み込む。何度も瞬きして、追いだそうとしても溢れだしてしまう水流は止められそうになかった。
「…大丈夫だよ、いとちゃん」
おっきな手が夕希の背中に当てられて、夕希の額に淳弥の胸板がぶつかった。ふわっと香った柑橘系の香りは、柔軟剤だろうか、淳弥の使っているボディソープだろうか。そういえば、髪もまだ濡れている。
(お風呂あがったばっかりだったんだ…)
それなのに、また汗ばむ程走ってきてくれた淳弥のフットワークの軽さ。
(…どうしよ、こんなの期待しちゃうよ…)
自分で思っている以上に、彼に異存してると今、思い知らされたばかりだ。自分はまだ法科院の学生で、恋愛どころじゃないはずなのに。淳弥のことだって、彼の気持ちどころか、どんな人かもよく知らないのに。
何もかもが宙ぶらりんのままなのに、気持ちだけが膨らんでいく。
「峰さん…ありがとうございました」
両腕で彼の胸を押して、密着した距離を開ける。お礼を言って、頭を下げて、そして帰らなきゃ。
ぐらりと傾いた心を立て直そうとしたのに。
「あーもう、俺、我慢するつもりだったのに」
夕希に向けられた言葉なのか、はたまた自身に投げた言葉なのか、そうぼやいてから、淳弥はもう一度夕希の背中に手を回す。
ぐっと押され、もう一方の腕も肩に回されて、夕希が開けたはずの距離は、却って小さくなった。
「いとちゃん、ごめん。好きになっちゃった…」
何処か苦しげな告白が、夕希の耳と心を震わせた。
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