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ブランコに座って、白いブラウスに青いスカート。それに弾けるような笑顔。
「可愛い……ですね」
「だろ? 俺の妹なんだ」
「えっ!? で、でも……」
思わず、所長と写真の中の少女を見比べる。どこをどう見ても似ていないし、なにより所長は黒髪で日本人にしか見えない。
「俺たちのじいちゃん世代が、ロシア出身でな。妹はそっちが色濃く出ただけ。ちゃんと血の繋がった妹だよ」
僕の目が余りに雄弁だったせいか、所長は質問する前に答えてくれた。
ボサボサ頭で分からなかったけど、よく見れば所長も色が白くて彫りの深い顔立ちをしているような気がする。
「でも可愛すぎたのが、いけなかったんだよな」
「と、言うと……?」
「妹はこの辺りでは有名な美少女だった。だから、変態に目を付けられて殺されたんだ。首から上を切り取られて持ち去られたのは、妹の顔が犯人の好みにドストライクだったからだろうっていうのが、お偉い犯罪心理学者とやらの見解だよ」
写真を眺める所長の横顔からは、なにも読みとれない。
「首から下は殺された現場で見つかった。もちろん、性的暴行の痕跡アリで。しかも、前歯が数本抜かれて捨てられていたんだ。…永久歯の方な。なんでか、分かるか?」
「わ、わかりません……」
「こう……咥えさせる時に邪魔だったんだろうな」
「………」
痛ましすぎる。
想像もつかない残酷さだ。
身内の不幸をこんなふうに淡々と述べることができるようになるまで、所長がどれだけの時間を費やしたのか考えるだけで胸が痛い。
肺が苦しい。
息が、できない……。
「………」
「おいおい、やめろよ。そんなん」
僕はさっきまでの恐怖をすっかり忘れて、完全に感情移入してしまったらしい。
目から涙が止まらない。
普通に泣く場合とは違って嗚咽が全く起こらない。涙だけが両目からこぼれ落ちる。
「すっ、すいません、なんか……」
「そんなに悲しい顔すんなって」
差し出されたティッシュはすぐに涙まみれになって溶けてしまう。
所長は突然号泣した僕に少々驚いた顔をしていたけれど、すぐに表情を戻して僕の肩に腕を回した。
「わっ……」
「ありがとな、朝くん。妹のために」
「い、いいえ、そんな、そんな……」
内緒話をするように、所長が僕の耳元で「さっき、キミにひとつ嘘を教えたんだ」と囁く。
「嘘?」
いっそ、妹のくだりがすべて嘘であればいいと思って聞き返す。
「幽霊が一番好むのは、自分に自信のない人間だと言っただろ?」
聞こえるはずのない、階段に飾られた竜胆の花が落ちる音がした。
一度はおさまったはずの笑い声がまた木霊する。
逃げだそうとするけれど、所長に肩をがっしり掴まれて逃げられない。
「でも、本当は……」
「しょ、所長……?」
笑い声の他に、ペタペタと裸足で床を踏む音も加わった。
「幽霊が、本当に大好きなのは……」
その足音は、階段付近から現れて迷わずに、最短距離で僕の目の前にやってきた。
「一番、取り憑きやすくて人生を狂わせやすいのは……」
おそらく、僕の目の前で止まったから視線をあげられない。冷や汗がとまらない。
涙は、もう出ない。
「自分に同情を向けてくれる人間、だよ」
「あはははははあはははっははははははははっ!!」
所長の台詞が鼓膜から脳へ、笑い声が脳そのものへダイレクトに響く。
「わああああっっ!?!?」
喉から血が出るかと思うほどの叫び声をあげてしまう。
所長の腕をはねのけるように飛び上がると、目の前には……誰も、いなかった。
「はぁ、はぁ……」
この短時間でかなり憔悴した僕を見て、所長は笑いを堪えるのに必死だ。
「な? 幽霊なんて、かわいいもんだよ」
「しょ、所長……!」
「目を開けりゃ、消えちまうんだから。霊感がなければ、いないも一緒だしな」
「そ、そうは言ってもですね……!」
「妹の事件の犯人、まだ捕まっていないんだ」
「……え?」
最後に残った笑いを飲み込んで、所長は真面目な顔に戻る。
「なぁ、朝くん」
「はい……」
「妹にヒドいことをした奴らはまだのうのうと生きていて、妹はこうやってキミを驚かすことしかできないなんて……」
脳に響く笑い声も、所長の言葉を待つように静まりかえった。
「生きてる人間の方が、よっぽど怖いだろ?」
所長が笑う。
片方の口角だけを持ち上げる、皮肉めいた笑い方だ。
顔全体でクシャッと笑う姿の方が好きだけれど、所長はきっとこんな表情で妹さんを喪った悲しみに折り合いをつけているのだろう。
僕はその笑みに隠された意味に、この時はまだ気づけなかった。
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