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「……じゃあ、今日は初日だし」
短時間の間に色々起きてすっかり参ってしまった。全力疾走した後のような倦怠感が全身を覆う。できることなら、もうこの場に突っ伏して寝てしまいたい。
「いきなりだけど、今から物件まわろうか」
「い、今からですか……」
「おぅ。他の会社からの無特記物件の依頼を有料請け負いしてるから、案外忙しいんだよ。ウチの社長、そういうところはしっかりしてるぜ」
大きなお腹でニコニコと笑う社長の姿を思い出す。
入社式と異動の時にお会いしたけど、所長の言うような食えない人物には見えなかったなぁ……?
「依頼は全国どこでも舞い込んでくる。一日の仕事のうち、ほぼ移動時間ってのもザラだから、覚悟しておいたほうがいいかもな。他の場所の穢れを持ち帰らないために、距離は必要なんだ」
遺志留支社はお世辞にも都会とは言い辛い場所にある。どうしてこんなところに不動産支店があるのかと思っていたら、そういうことだったのか……。
「業務内容としては、今までとほとんど同じだよ。ただ、顧客との窓口対応がほぼなくなったと思ってもらえばいい。貸し主と交渉して、物件に行って、写真を撮って、霊現象の原因を探る……」
「ちょ、ちょっと待ってもらっていいですか……!!」
まるで当たり前のように『霊現象』という単語を日常の業務内容に挟み込んだ所長をなんとか押しとどめる。
「なんだ? もうあんまり時間がないから、手短にな」
「『無特記物件』のことはよく分かりました。幽霊のことも信じましょう。でも、それでも僕に一体なにができるのか……」
「え? できることなんていっぱいあるじゃん」
「僕には、なにもできないんで……」
出会ったばかりの上司に弱音を吐くべきではない。
ただでさえ「自分に自信を持て」だなんて言われたばかりなのに。
ハッと気がついて「いやっ、そ、そんなこともないこともないんですけど……!」とあわてて打ち消す。
「……『無特記物件』はな」
所長は手にしていた写真立てを、裏返してから再び折り畳み机に置いた。
そして、妹さんの話をする時と同じくらいの優しい声色で話し出す。
「本当に、何の変哲もない場合もあればマジでヤバい時もある。悪しか善しか、どちらかだ。どっちかを決めてやれば、綺麗に供養してやれるし大手を振って売ることもできる。事故物件みたいにレッテルを貼られてしまうこともない。だけど、俺たちが原因を突き止めないと、いつまでも宙に浮いたままなんだ。そんなの、かわいそうじゃないか」
「……幽霊に同情するのは、いけないんじゃなかったのでは?」
「俺はキチンと対策してるし、個人にのめり込みすぎなければ必要以上におそれる心配もない。しかし、年々残された霊感も薄くなってきてな……。そろそろ、小手先の努力だけじゃ足りなくなってきたんだ。だから……」
ボサボサ頭によれたシャツという出で立ちを見れば元々大ざっぱそうなのに、神経質なほど室内がきれいで丁寧だったのは所長の努力の賜だったらしい。
「キミみたいな、純粋な霊感レーダーが相棒になってくれてうれしいぜ!」
所長は僕の両手を問答無用で掴んでブンブンと上下に振る。
「ぼ、僕は花瓶の花と同じ扱いですか……」
「え? いやいや、そんなことはないぜ〜?」
……果たして本当にそうだろうか。
「俺な、妹の成仏なんてほとんど諦めていたんだ」
「諦め?」
「俺に霊感があったように、妹も同じくらい強い霊感を持っていた。霊感を持っているっていうのは……つまりどういうことか分かるか?」
パッと掴んでいた両手を話した所長は、今度はナゾナゾをするような悪戯っぽい笑みで問いかける。
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