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「い、いえ……」
もちろん、僕にはわからない。
「肉体と精神の結びつきが強いんだよ。わかりやすく言うと……成仏しにくいんだ」
「成仏……」
「死んだ人間の救いなんて、それぐらいしかないのにさ」
妹さんのことは写真でしか知らないけれど、この家に充満する気配から察するにまだ成仏していないのだろう。
二十年くらい前の事件だと言っていたから、そんなに長い時間、彼女は一人で彷徨っているのだ。
「その上、頭はまだ行方知れずだろ? 身体が揃ってないとあがりにくいってのに」
「あがるって、なんですか?」
「成仏する……昇天することをそう言うんだ」
ホントになにも知らないんだな〜と、所長は苦笑した。
幽霊が見える人たちにとっては、これは常識的なことなのかな?
今まで(ビビリゆえに)そういう文化に触れてこなかったから、よくわからないけど……なんとなく、イメージはできる。
「形見として靴を持ってたけど、霊感の薄くなった俺じゃあどこにいるか関知できない。諦めて、遺された俺が普通に生きることが供養だと思い直して仕事してたらたまたま偶然、無特記物件に妹の痕跡を見つけた。現世との接点を復活させることで、妹の成仏に必要な手がかりが分かるはずなんだ。……俺には、微かな笑い声しか聞こえないけどな」
だから、笑い声以外の声が聞こえた僕に過剰反応したのか……。
所長はちょっとだけ羨ましそうな視線を、僕に送る。
「……俺にはできないことが、キミにはできる。キミは、なにもできない奴なんかじゃないぞ?」
「………」
そんな台詞を誰かに言ってもらえたのは、何年ぶりだろう。
恐怖や同情とはまた違う意味の涙がこぼれ落ちそうで、まばたきをちょっと我慢する。いくらなんでも、異動初日に泣きすぎだ……。
「キミの言うとおり、ココはもしかしたら事故物件なのかもしれない。あの歯は死後、抜かれたものなのかもしれないし、深い地中に今も頭部が埋まっているのかもな。だが、調べた限りはそんな事実なんてないんだ。だからあの歯は、偶然見つかった妹の遺品……置き土産みたいなもんだよ」
「置き土産……、ですか」
「でも、そんなちっぽけなものに縋って、助けを求めている幽霊たちはたくさんいる。見つけてもらえるかもしれないって奇跡みたいな可能性に賭けて、今もこの世に囚われている。じゃあ、俺たちがやるべきことは一つだろ?」
こんな僕でも、ポンコツな僕でも……誰かの役に立てるのだろうか。役に立つと言ってくれた、所長の言葉を信じたい。
「僕にできることなんて、少ないかも知れませんが……、もし、ここで幽霊たちのために働けたら、何かが変わるでしょうか」
やっと少しだけ前向きな言葉を口にした僕に、所長は満足そうな笑みで答えた。
「そうだな! それは朝くん次第だけど、何かは絶対に変わるぜ! 変化は、生きている人間だけの特権だ!」
所長の言葉は、僕がポンコツになってから山と読み込んだ自己啓発本のどのページよりもすんなりと心に響いた。
「 思いがけず昔の事件の遺品が見つかったり、人間同士のドロドロを見たり、ガチの霊現象もあるけど……無特記物件を取り扱う俺らの仕事は、幽霊にとっても自分を見つけてもらう良い機会だし、不動産業にとっても販売価値を下げるレッテルを剥がせるし、双方に良いシステムなんだぜ?」
「それなら……精一杯、頑張りますので」
まだまだ不安なことは多いけれど、新しい一歩を踏みだそうという気持ちになれた。
きっと、こういう清らかな気持ちこそ、幽霊に対しては有効なんだろう。
「里見所長、よろしくお願いします」
「こちらこそ、な」
改めて、深々と頭を下げる。
所長は「そんな堅っ苦しいこといいから」と言って右手をヒラヒラと振った。
「さ、ホントに時間ギリギリだし出発するぞ」
「は、はい……。どんな物件なんですか?」
「通称、『魔鏡の館』っていう袋地だよ」
「マキョウ?」
「悪魔の『魔』に『鏡』と書いてそう読む。袋地は……分かるよな?」
「他の土地に囲まれて、公の道路にでられない土地のことですよね。建物が道路に面していなくて……」
「そうそう、アタリ。ちょっと土地の価格は下がるんだけど……ま、これも実際に見てもらった方が早いな。隣の県だし、さっさと行くぞ」
くるりと背を向けて歩き出した所長を追う。
僕に与えられた部屋で、僕が妹さんの姿形を知っている状態で、所長の視線が……部屋から離れた。
「……あははっ」
所長が見ると、消えてしまうらしい妹さんの声がする。
もう、初めて聞いたときより怖くはない。
……ちょっと脅かされたけど。
せめて、僕だけでも姿形を覚えておいてあげたい。
そんな気持ちで、僕は振り返ってしまった。
そういう同情の気持ちが、一番禁物だと教えてもらったばかりなのに。
「……ッッ!!!!」
灰色の靄だったものが、白いブラウスに青いスカート姿の少女になってベッドに腰掛けている。
写真の中の妹さんと同じだ。
違うのは……、彼女の頭部が、ないことだけ。
豊かに輝く金色の髪は、どこにもなかった。
真っ白のワンピースは染み一つないのに、首の切り口からはボゴボゴと血が吹き出して、溢れ出した血液からまた靄になって彼女の姿を覆っていく。
「あははっ」
顔がないのに、どうして笑い声が聞こえるのか。
本当に、霊の声は直接、脳に響いているのか……っ!?
「あっ、わああああああ!?」
「なに〜? どうした朝くん」
「しょ、しょしょ所、あっアソコっ! ふぇ、ベッドのところに妹さんがっ!!」
玄関で靴を履いていた所長に無我夢中でしがみついて、振り返ってもらう。
所長が部屋に視線を向けると、首なし幽霊は忽然と姿を消していた。
「おっ、居た? 今度はなに言ってた?」
「な、なにも言ってないです! くび、首がなくって!!」
「あぁ、そりゃ、キミがさっき俺の話を聞いて勝手に脳内補正しちゃったからだな」
「ぼ、僕のせいなんですか……?」
「幽霊ってのはとにかく、気づいてほしくて仕方がないんだ。そんな時は、霊が見える人間の恐怖心を煽るのが一番だからな! 無意識で怖がらせちまうけど、ま、妹に悪気はないからゆるしてやってくれよ」
「そ、そんな……」
「もっと、明るいイメージで接してやれば大丈夫だから! テレビの霊能者だって、人によって同じ幽霊見ても言うこと違うじゃん? 結局は主観なんだよ。ホラ、もう一度振り返ってみれば?」
「むむむ、無理です無理です……!」
「じゃあ、行くぞ〜」
「やっぱり無理ですって!!」
僕の悲痛な叫びは虚しく、所長が乗り込んだ車のエンジン音にかき消されてしまった。
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