第3話 特定街区の飛び降り団地

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 人が変わった……とは、果たして良い意味なのだろうか。  完璧な化粧をして微笑む番場さんからは、何の情報も読みとれない。 「そ、それだけ明るい性格になったということですか?」 「そうね……そうだと良いんだけど」  番場さんはそこで言い淀み、名刺の裏になにやら数字を書き込んで渡してくれた。 「コレ、渡しておくわ。ここにかけてくれたら、必ず出るようにするから。……何かあったら、連絡してちょうだい」 「えっ? でも……」 「里見くんに私は融通きかないって吹き込まれているんでしょうけど、時と場合によるのよ。確かに、自分の力量以上のことをするつもりはないけれど……幼なじみを見捨てるような薄情な性分ではないの。朝前さんは良い迷惑だろうけど、いま里見くんの近くにいるのは貴方だから……」  困惑しながら渡された名刺には、電話番号らしきものか記されていた。 「彼のこと、よろしくね」  番場さんがなにを心配しているのか、僕には分からない。  二人は昔からの付き合いらしいから、きっと色々あったのだろう。  僕には今の所長しか見えていないけれど、番場さんにとっては違うようだ。  同じモノを見ても人によって受ける印象が違うのは、幽霊も人間も同じらしい。 「……わかりました」  こうやって、事態を把握しないまま安請け合いするのは良くないことだとわかっているけれど、親密度も足りないままに関係性を土足で踏み荒らすようなことはできないので、とりあえず頷いてしまった。  頼まれなくても、何かあったら番場さんに頼る気まんまんだったので、ありがたく受け取った名刺をケースにしまう。 「私から伝えることはこれぐらいよ。……今日はもう、遺志留(いしどめ)に帰るの?」 「いえ、都会に出てきたのでついでにこの辺りの無特記物件の調査をしてから帰ろうかと思っています」 「あら、それじゃあ里見くんも出てきてるってこと?」 「はい、所長は駐車場の車の中で待っていると思います」 「呆れた。朝前さんにだけ仕事を押しつけて。そんなに私のところの社長に会いたくないのかしら」 「そのような内容のことを、言っていましたね……」  所長は水和不動産の社長をなぜか苦手に思っているらしい。社長からは気に入られているみたいだけれど……一体、なにがあったのか見当もつかない。 「まぁいいわ。また、気が向いたら来るように伝えておいて。水和の社長が会いたがってるって」 「は、はい……」  番場さんに別れの挨拶をして、居心地の悪い本社ビルから退散する。  駐車場で待っていたはずの所長は、出口まで迎えに来てくれていた。 「おーい、朝くん。コッチコッチ」 「すいません、わざわざ」  取引先の会社の目の前に路上駐車するなんて冷や汗ものだけれど、所長はあまり気にしていない様子だ。  いつものように助手席に座る。本当なら、部下である僕がハンドルを握るべきなんだろうけど、所長は頑なにハンドルを譲ってくれない。  運転はあまり得意ではないから、本音としては助かっている。 「番場ちゃん、元気にしてた?」 「はい、お元気そうでした。あと、水和不動産の社長さんが所長に会いたがっていましたよ」 「ふーん」  伝言を伝えたのに、所長は全く興味がなさそうだ。 「朝くんがお使いに行ってくれている間、俺もこの辺りをぐるっと走ってきたんだけどさ」 「……駐車場で待っているって言ってたじゃないですか」 「そのつもりだったけど、こんな都会滅多にこないし。なんか気になっちゃってさ、今回の物件」 「『特定街区(とくていがいく)の飛び降り団地』ですか?」  『特定街区』とは、相当規模の都市基盤の整った街に指定されるものだ。  一般的な建坪率、容積率、高さ制限などの規定が適用されずに、全てその街区に適した制限が都市契約によって定められる。  有効な空き地及び定数の住宅の確保も受けられるので、超高層のオフィスビルや商業ビルなどが密集する栄えた場所が対象となる。  まさしく、今日の僕たちがいる辺り。  「そうそう。朝くんも、あの高層ビルからこの街を眺めて、どう思った?」  車の窓ガラス越しに流れる景色は、どれも近代的で洗練されていてオシャレだ。  でも……。 「……『穴』が空いているな、と思いました」 「そうだな〜。まっ、それが今回の依頼だから!」  上から見下ろした時、背の高いビル群がところどころ極端に低くなっているのが気になった。  その正体を知ろうと目を凝らすと、町並みに似つかわしくない古びた団地がそっと残っていたのだ。 「本来、特定街区において団地なんてまっさきに壊されるはずなのに、残っているなんておかしい話だよなぁ」 「……でも、また例によって特に曰く付きでも噂があるわけでもないんですよね?」 「そうだよ。依頼されている物件はな」  我が支店で取り扱っている無特記物件をいくつか調査させてもらって、大体パターンが掴めてきた。  事件事故がないのに霊現象が多発する現象の正体は、今のところ人為的が6割で本物の幽霊が4割ぐらいだと思う。  未だ『役に立てた』という実感は少ないけれど……なんとか所長に助けられながら取り憑かれている。  ……いや、取り憑かれている、なんて単語がすんなり頭に浮かぶ時点でちょっとおかしいのかもしれない。  でも、今の僕には必要なことだ。  番場さんに閉じていた霊感を解放してもらってから、面白いように取り憑かれるようになってしまった。  幸い、すぐに抜けてくれるものの何回憑かれても慣れることはない。  できれば、霊感なんてずっと眠ったままにしておいて欲しかったと思う日もあるけれど、いつかは向き合わないといけないものなら今が良い。自分を変えたいと切実に願い、そして所長や番場さんという頼れる人がいる今が。  さて、今回はどんなパターンだろう?  妬み? 僻み? 妄執? 偏狭? 因習?  出来ることなら、どれも遠慮願いたいけど……たぶん、無理だろうな……。
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