第3話 特定街区の飛び降り団地

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「そういや、結局まだ髪切ってないんだな」  再び走り出した車の中で、具合の悪さを誤魔化すようお腹を押さえて黙り込んでいたらフと思い出したように所長が言った。 「なかなか時間がとれなくて……」  指摘されて思い出した。  僕は半年ほど散髪していない自分の髪に触れる。  伸びきった髪はもうすぐ肩につきそうだ。前髪は完全に分かれて、真ん中から割れている。 「前髪センター分け、似合わないって言ってるのに」 「……やっぱり、髪の毛ってないほうが取り憑かれにくいんでしょうか」 「まぁ、坊主にしろとは言わないけどな。それに、長い髪でも自分自身が納得していたらいいんだよ。俺だって髪は伸びっぱなしだけど、仕事中はセットしてるし」 「これでも、セットはしているつもりなんですが……」 「だから、気持ちの問題だって。朝くんが伸ばしてるのはポリシーがあるわけじゃなくて、仕事に追われていたからだろ?」  遺志留支店に来てからは、必要以上の残業も休日出勤もないから行こうと思えば散髪には行けたけれど、休みの日も掃除洗濯……主に掃除にかける時間が多すぎて行きそびれてしまった。そういう意味では、今も仕事に追われていると言ってもいいかもしれない。 「……じゃあ、次切るときは丸坊主にしますよ」 「おいおい、髪ぐらいで拗ねるなって〜」  ははは、と顔全体を歪めて笑う所長はいつもと変わらない。  さっき、駐車場で見せた姿はなんだったんだろう。  聞くべきか聞かざるべきか、悩んでいるうちにとうとう調査物件に到着してしまった。 「……なんか、思ったよりも明るいですね」  今まで見てきた無特記物件は、なんとなく暗い雰囲気がするものが多かった。  でも、今回の物件は団地ということもあって築年数もかなり経っているけれど、共用部分は綺麗だしベランダには洗濯物がはためいて、洗剤や食べ物が混じった匂いがする。  明るい子供の声も聞こえるし、どちらかと言うと活気を感じられた。 「そうだろ? ここは唯一の生き残りだからな〜」 「生き残りって?」 「三つあった団地のうち、残りの二つはもう完璧にゴリゴリの事故物件なんだよ」 「ご、ゴリゴリ……?」 「そう。団地っていうのはその昔、皆の憧れの的だったんだ」 「え? 団地が、ですか?」 「朝くんみたいな若い子がそう思うのは仕方ないよな〜。でも、当時の団地は今のタワーマンションぐらいの価値があったんだよ。皆こぞって団地に住みたがった。なぜなら、それまで平たい建物だけだった場所にいきなりそびえ立った団地は、成功者や富の証だったからな。その辺は、今のタワーマンションと同じ価値観だよ」 「へぇ……」 「辺りを見渡しても、高い建物なんて団地ぐらいしかない。ハイ、じゃあクイズ!」 「えっ!?」  所長はシートベルトを外して先に外に出た。  僕も慌てて後を追う。  塩と水の結界のおかげか、さっき聞いた嫌な音声の影響は余り残っていないようだった。なんとか立てる。歩ける。大丈夫。  取り憑かれだして気づいたのは、『取り憑かれる』にも色々種類があるということだ。  立てない、歩けない、腕や足が痛いなど体が動かなくなるのはヤバそうだけど実は幽霊自体は遠くに居て影響力が薄い場合。あと、数が多い場合とか。  びっくりするけど、気持ちが同調しているだけだから恐怖心さえ取り除けば回復も早い。  動けるけど、湿疹や充血がでるのは幽霊との距離が近い場合。  体に直接異変をきたそうと思ったら、幽霊でも傍にいないといけないようだ。体の不調は、けっこう回復に時間がかかる。根性論や気持ちの問題じゃないから。  誰かに祓ってもらえば早い。  一番タチが悪いのは……そっと身体に入り込んでジワジワと乗っ取るタイプ。  普通、乗りうつったり取り憑く時には血の涙が出たり鳥肌が止まらなかったり何かしらのサインが出るけれど、それすらも出さずにコッソリと入り込むのがいる。  それは内側から精神を蝕んで、最後には本当の意味で乗っ取ってしまうらしい。僕はまだ実際に遭遇したことはないけれど、怪談話の最後で『人が変わったように』凶暴になったりする人はこのタイプだと聞いた。  まだ第一段階であることに安堵して、団地を見上げる所長の隣に立つ。 「死にたい人が、一番欲しいモノはなんでしょう!」 「えっと……な、慰めてくれる人、ですかね?」 「ノンノン! そんなんじゃ人は止められねーぜ? ていうか、生き残りルートは排除して!」  そんなこと言われても……。  そもそもこれはクイズなのか?  ちゃんとした答えがあるとは思えない……。 「分かんない? じゃあ答え言っちゃうか」  所長はビシッと天を指さした。  でも、その角度は少しだけ低い。  空を示しているのでも、周囲の高層ビルを指さしているのでもない。 「答えは死に場所、だな」  微妙な高さにある団地の屋上。  それが、所長が示そうとしている場所だった。
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