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「もう、今から二十年ぐらい前の話かな……」
落ち着きを取り戻した所長は、すっかり冷めてしまった緑茶を淹れ直してまた僕の前に置いてくれた。二杯目も美味しかったけれど、ここが事件なき怪奇現象が起こる『無特記物件』だと知ってからは、なんとなく味が薄く感じる。
「俺には、五つ下のかわいい妹がいたんだ。でもある日、強盗が押し入ってきて両親を刺して妹を殺して、頭を切り取って盗んで逃げた。両親は娘を亡くしてすっかり落ち込んじゃってな、離婚して、俺は親父に引き取られたけどその親父も今は老人ホームでずっとボーッとしてる。妹の頭は、まだ見つかってない」
いきなりはじまった重めの身の上話に、なんと返していいのか喉が詰まる。
ご愁傷様です、と言うべきなんだろうけど、そんな言葉で表していいのだろうか? 僕の言葉なんかが慰めになるんだろうか? 余計に傷つけることにならないだろうか?と、色んな気持ちが渦巻いてバカみたいに口をパクパクさせることしかできない。
「ま、そんな生い立ちだけど俺は俺で、結構楽しく生きてたわけ。この会社に就職して、元気に働いて、物件を色々巡っているうちに……『無特記物件』の存在を知った。俺は事件なき怪奇現象の正体に興味をそそられて、次第にその物件ばかり担当するようになっていった」
テーブルの上には新しい、やはり竜胆の花が添えられている。
さっき枯れた花は、たった一房落ちただけだったのに全部捨てられてしまった。他の花は元気そうに見えたけど、どうしてそんなことをするんだろうか。枯れた部分だけ切り取れば、まだまだ元気に色づきそうなのに。
所長はチラチラと花を見ながら話をするから、花が嫌いであるとか理解が足りないってことはないと思うんだけど……。
「俺は元々、この地方の出身なんだ」
「ま、まさかこの家が所長の事件現場なんですか?」
「そんなわけないだろ〜? ここはな、お偉い地主様が国際結婚した息子家族のために建てた三世帯同居物件だったんだ。でも、どうにも怪奇現象……さっき朝くんが聞いたような笑い声とか、誰もいないはずなのに勝手にテレビが電気がついたり、独りでに電子レンジが動くとか苦情が多くてな。次第に住民の生活に支障をきたすようになって、とうとう手放したんだ。んで、無特記物件として俺のところに回ってきたんだけど、お祓いしようにも事件事故の過去もないし、狭い村だから噂がまわりまわって借り手もなしってパターンさ」
「最初は手持ち物件だったんですね。どうして、ここに事務所を持つようになったんですか?」
「妹が、いるからだよ」
妹、と所長は本当に愛おしそうに言う。
「……でも、妹さんが亡くなったのはここではないんでしょう?」
「もちろん。死んだのはもう取り壊した俺の実家だからな。だが、妹は絶対ここに居る。……そうだな、実際に見た方が早いか」
所長は自分のカップに少しだけ残っていた緑茶を一気飲みしてから立ち上がって、階段を降りていった。
さっき幽霊の声が聞こえた場所を通るのは気が引けたけど、迷い無く降りていく所長の背中に勇気づけられて後を追う。
今度は、声なんて聞こえなかった。
明るい階段を踏んで、一階へとたどり着く。
「これだよ」
所長が指さしたのは、玄関の飾り棚に置かれていた小さな石たちだった。
「この石が、どうかしたんですか?」
「よーく、見てみろ?」
謎解きをするように問いかけるから、僕も顔を近づけて真剣に眺める。
どこをどうみてもただの小石だけれど……。
くすんだ乳白色で、表面がデコボコしていて……お尻がちょっと二股に分かれていて、なんだ?何かに似ている……何かに……?
「……は?」
「おっ、意外と鋭い」
「いやいや、そういう意味じゃないんですけど……」
「じゃあどういう意味?」
「え? いや、でも……やっぱりそのままの意味でした。これ、歯……ですよ、ね?」
信じられないけれど、小石だとばかり思っていたものは人間の歯だった。とても小さいから、たぶん子供の歯だろう。
「正解」
風景の一部だと思っていたインテリアが、人間の身体の一部だと知ってから急に背筋が凍る。
普通に芳香剤だと思っていた頃の自分に戻りたい。
「なっ……、なんで、こんなもの……」
「こんなものとはヒドいなぁ。これはな、俺の愛しい妹の歯なんだよ」
所長はコロコロと歯を転がして優しく撫でる。
その様子は、間違いなく慈愛に溢れていた。こんな状況じゃなかったら、何も言わずに拍手さえ送ったかもしれない。
「妹さんの、歯、だ、なんてどうして分かるんですか……?」
「さっき言っただろ。頭はまだ見つかってない、って」
アタマハマダミツカッテナイ。
その言葉の意味を飲み込むのに、数秒かかった。
「あ、でも別にこの家で頭蓋骨が見つかったわけじゃないぜ? そしたら、この家が『事故物件』になっちまう。『無特記物件』だからこそ、事務所として快適に使わせてもらっているんだ。その辺、勘違いしないように。この歯だけが、庭から出てきたんだ。パッと見は石だけど、俺にはわかる。妹だから」
分かるよな?と所長は言う。
変な凄みがあって、僕は首を縦に振ることしかできなかった。
「じゃあどうしてここに歯があるかっつーと……よく見ると、この歯は乳歯なんだよな」
「乳歯?」
「朝くんのところは、子供の乳歯が抜けた後に外に放り投げる習慣とかなかった? 上の歯なら土に埋めて、下の歯なら屋根に投げるって」
「ありました、けど……」
「妹もな、ソレやってたんだ。だからこれは、いつかの思い出の証なんだよ。埋められるか、放り投げられた乳歯が巡り巡って俺のところに帰ってきたんだ。土に還らず、形を保ったまま。たぶん、土地をならす時に運ばれた土砂に紛れていたんだろう」
「そ、そんなこと……」
「俺もな、あり得ないと思ったよ。でも、この家には妹の声が充満している。だから、無理言って店舗兼住宅にしてもらったってワケ」
そんなバカな。
確かに人間の歯のように見えるけれど、本当に妹さんの歯だなんてどうして証明できる?
「でぃ、DNA鑑定でもしたんですか……?」
ちょっと意地悪な気持ちで、そんなことを聞いてみた。
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