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「してないな。だって、もしかしたらこの歯が、殺されてから抜かれた歯かもしれないだろ? そしたら死体遺棄になって、ここは事故物件になる。俺は追い出される」
「乳歯は……なんで大丈夫なんですか?」
「抜けた歯なんて髪と一緒さ。被害者の指が落ちてたら事件だけど、抜け毛の一本まで目くじら立ててたら美容院は全部事故物件になるじゃん?」
「それはまた、ゾッとする話ですね……」
「無特記物件は限りなくグレーな物件だから、扱いが難しいんだよ。なんともない奴は平気な顔して何年も住んでるし、ダメな奴は裁判沙汰だ! 慰謝料だ! と血相変えて突っ込んでくる。かといって、事故は起きてないんだから『事故物件』として扱うこともできない。うまく立ち回ればお荷物を利益に変えることができるけど、失敗すれば信用問題だ」
「……正直に、『幽霊が出るかもしれません』って言ったらダメなんですか?」
「ダメなことはないが……。さっきも言ったけど、このご時世で誰がそんな自ら進んで商品の価値を下げるような真似をすると思う?」
「そ、そうですよね……すいません」
また、いらないことを言ってしまった。
肩を落とす僕を見て、所長は気を取り直すかのように殊更明るい声色で続ける。
「まっ! 怪奇現象っても、理由はあるものなんだよ。例えば、入居者が過剰なビビりでただの家鳴りを霊のせいにするとか、隣人からの悪質な嫌がらせで実際に壁に穴を開けられて監視されていたとか、合い鍵を持っている身内からのストーカー行為で留守中に忍び込まれていたとか、痴情のもつれで盗聴アンド尾行されていたとか、単に風評被害で客足が伸びなかっただけとか……色々な。自分の現世でのしがらみや行いを全部霊のせいにするから、恐怖で不調が出てくる。そんなの全部つき合ってちゃ、不動産業なんてやってられないぜ?」
「……その理由っていうのを調査するのが、僕たちの仕事なんでしょうか」
「主にそうなる。人間関係を調べたり、物件に行って痕跡をカメラに収めたり、法務局で古地図を取り寄せて過去に刑場や墓地があったかどうか確認したり。でも、その辺りは他の支店の連中が探偵紛いなことをやってるから俺らの仕事じゃない。俺たちの役割は、本物の霊現象だ」
「だっ……」
だから、僕には霊感なんて……と言い掛けたところでさきほどの「あなた、だれ?」の声が耳元をよぎる。
ない、とは断言できないのかもしれない。
「なぁ、朝くんってビビリだろ?」
「は、はい……」
「どうして怖いんだ?」
「どうして、と言われましても……」
幽霊が怖い。
それは人として当たり前の感情ではないだろうか。
「だって、幽霊って見えないじゃん。包丁もって殺しに来るわけでもないし。ある意味、生きてる人間より安全だと思うんだけど、生身の人間より霊体のほうが皆こわがるよな。どうしてだと思う?」
「やっぱり……その、よく知らないからでしょうか」
「知っていれば怖くないのか?」
「まぁ、たぶん……」
まるで禅問答のようだ。
「そう、人は『分からないもの』、つまり『未知のもの』を怖いと感じるんだ。でも、朝くんはさっき妹の声を聞いたよな? それはもう『未知のもの』ではないはずなのに、何故まだ怖がる? 実際に危害を加えるのは、いつだって生きた人間じゃないか」
「それはそうですが……やっぱり『知らないもの』はこわいんです」
理屈じゃない。
イヤな気配のするところには近づきたくないし、その場所が曰く付きだった日には勝手に色々脳内補完されてさらに恐怖が増してしまう。
「じゃあ知ってもらおう。そうすれば、ちょっとはマシになるかもしれないし。このままだと、宝の持ち腐れだからなぁ」
「宝?」
「朝くんぐらい憑かれやすい体質も珍しいよ」
「ハッ!? ぼ、僕がですか!?」
今度は僕が取り乱す番だった。
「いや、だって、今まで誰にもそんなこと言われて……!」
「そりゃ、周りに霊感ある奴がいなかったからだろ? ホントの霊感持ちなんてそんなにポンポンいるわけじゃないから、その歳まで気づかれなくてもおかしくないって。それに、憑かれやすいけど落ちやすい体質みたいだから大丈夫だろ。今はだいぶ混じってるみたいだけど」
「ま、混じって……?」
そういえば、さっきも煙草の煙を吹きかけられながら同じ事を言われた気がする。
「そう。なーんか、良くないモンと混じり合っている気配。最近ポンコツなのも、それが原因じゃないの? 心当たりある?」
「心当たりなんて……。僕が出来損ないなのは幽霊のせいなんかじゃなくって、僕自身が……」
「あぁ、ダメダメ。そんな気持ちが付け込まれる元になるんだって!」
過去の諸々を思い出してどうにも気持ちが沈んでしまう。頑張って愛想笑いをしようとするけれど、ほっぺたが鉛のように動かない。
所長はそんな僕の両頬を、まぁまぁ強い力でバチン!!とひっぱたいた。
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