第1話 田舎の鉄筋三階建て

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「消えましたね……」 「満足したんだろうな」 「こ、こんなにハッキリした霊現象はじめてです……」 「マジで? そんな身体しといて?」  淡々とした態度を崩さない所長と違って、僕は普段とは全く違う非現実が未だに受け止めきれない。目元を擦ると、手の甲に涙の粒が落ちている。 「今まで、全然なかったんです……。本当に」 「だって、歩いているときになにもないところで躓いたり、胃が荒れたり肩や腕が片方上がらなかったりするだろ?」 「それは……霊の仕業、なんですか?」 「そういう時もあるし、そうじゃない時もある。ちゃんと見れば分かるから、また良い霊能者でも紹介してやるよ」  しゃがみ込んだまま、動けない僕に向けて差し出された手を掴んで立ち上がる。まだ、笑い声が頭に響いているような気がして頭が痛い。 「大丈夫か? この場所は依代が多いからな」 「ヨリシロ?」 「妹の歯と、そこにある妹の靴と、俺自身と……」  玄関に目を落とすと、僕の汚れた革靴の隣にピンクのサンダルが揃えてある。  やけに古いと思っていたら、妹さんのものだったのか……。  死者の持ち物だと思うと、途端に寒気がした。  でも、兄である所長の前で靴を移動させたりなんかしたら気を悪くするだろうから、ジッとサンダルを見つめるだけにしておく。 「幽霊には実体がないから、形ある物質に頼ってこの世に留まるんだ。元々の持ち物だったり、誰かの記憶だったり。妹は俺のせいでこの世に留まりやすくなっているから、ちょっと特別だけど」 「所長のせい?」 「大した話じゃないから」  今までスラスラと話していた所長が、急に口をつぐんで背を向けた。 「そろそろ戻ろうぜ。立ち話もなんだしな。この家の案内でもするよ」 「あっ、はい……」  言われるがまま、再び後を追うと階段の一番下に置いてあった竜胆の花がまた枯れている。 「おっ、ちゃんと枯れてる枯れてる」 「さっき見たときは、元気そうだったんですが……」 「妹が通ると、枯れちゃうんだよ。花は人間なんかよりも、よっぽど敏感だから」  なるほど、観賞用じゃなくてセンサーのような扱いなのか。 「なんで竜胆の花なんですか?」 「別に何でもいいんだけどさ、まぁ、その辺に生えてるから。買いに行くのも面倒だし」  都会ではなかなかお目にかかれないけれど、遺志留ぐらい田舎ならまだ自生しているのだろう。 「あと、花言葉が気に入ってな」 「花言葉?」 「そう。まぁ、気が向いたら調べてみろよ」  残念ながら僕は知らなかった。  母親の趣味が生け花だから、僕にも多少花の知識がある。でも、花言葉なんて調べたことはない。所長はホント、大ざっぱなんだか細かいんだか分からない。  階段を通り過ぎると、僕が一番最初に足を踏み入れた洋室があった。 「ココが朝くんの部屋な。自由に使ってくれて構わないし、ここにある本たちも好きに読んでくれ」  さっきは背表紙をなぞる前に謎の声が聞こえてきたから気がつかなかったけれど、壁一面に並べられた本棚の中には古今東西の幽霊や呪い、除霊やオカルトじみた書籍まで数多くの書物が並べられていた。 「すごい量ですね……。全部、読んだんですか?」 「まぁな。霊感ないのに、霊と対峙しようと思ったらそれなりの知識がいる。……裏を返せば、知識があればある程度のことは可能って意味だけどな」 「……幽霊って、本当にいるんですか?」  根本的な疑問を口にしてみる。 「あれだけハッキリ聞こえといて、そんなにしっかりなんかよく分からんものに憑かれておいて、まだそういうこと言う?」  所長は少々呆れ顔だ。  だって、所長にとっては幽霊がいることが当たり前のことなのかもしれないけれど、僕はほんの数分前まで幽霊なんているわけがない、という世界にいたのだ。さながら、パラレルワールドに迷い込んでしまったような居心地の悪さを感じる。 「ビビりのくせに疑って、何かが起こる度に恐怖心を煽られていくことが一番悪手だってのに。一度信じたら、もう疑うな!」  そう言われても、素直にハイそうですかと頷くことなんてできない。 「いいか? 幽霊は確かに存在する。それは紛れもない真実として覚えておけ。でも、生きている人間の方が大体強い。心の隙間さえなければ、取り憑かれることも危害が及ぶこともない。幽霊が一番好むのは、自信のない人間なんだ」 「自信の、ない、人間……ですか」  まるで僕の自己紹介だ。 「そうだ。まずは、自分で自分を嫌うのをやめろ」  簡単に言ってくれるけれど、それができたらどんなに幸福か。  所長は本棚の中から何冊か選んで取り出して、足の短い折りたたみ机の上に置いた。先に机の上にあった、伏せられた写真立てが床に落ちそうになる。僕も手を伸ばしたけれど、所長の方が早く裏返ったまま器用に受け止めた。 「まずはこの辺、読んでみるといいよ。ま、仕事だと思ってさ」 「は、はい……」 「あと、これはサービスだ」  ホラ、特別だぞ? と言いながら表に返された写真立てには、褪せたフィルムの向こうに可愛らしい金髪の女の子が写っていた。
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