第3話 特定街区の飛び降り団地

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第3話 特定街区の飛び降り団地

「高い……」  目の前に広がるのは、近代的な高層ビルの数々に建築途中のクレーン、縦横無尽にのびる道路、申し訳程度の緑。忙しなく動く人影と、悠然と静かに佇む青い海。そして、不自然に凹んだ穴。  いかにも栄えた港町らしい風景に目を奪われてしまうけれど、内心は鳥肌が立っている。なぜなら、僕が立っている場所はとあるビルの高層階。  高所恐怖症ではないのに、下半身が縮こまるような感覚を覚えた。ダメだと思うほど目線は下に向かってしまう。  普段ならこんな場所、縁がないのだけれど……。 「朝前さん」  通された応接室の扉を開けたのは、以前お世話になった番場(ばんば)怜子さんだった。  今日も長くて黒い髪をキッチリと纏め上げて、黒いパンツスーツが凛々しい。  とても小学生のお子さんがいるとは思えないほどの美しさだ。 「わざわざ出向いてくれてありがとう。助かったわ」  ここは水和(すいわ)不動産の本社ビル。  就職活動時代、ダメもとでエントリーシートを出したけれど書類選考すら通らなかった会社に足を踏み入れているという事実だけでかなり緊張する。  今日は遺志留(いしどめ)支店に配属された初日に遭遇した『袋路(ふくろじ)魔鏡(まきょう)館』ついてのレポートを届けにきた、ただの使いパシリなのに立派な応接室に通されて居心地が悪い。  ソファがふかふかすぎて座るのを躊躇い、立ったまま外を見ながら待っていたら着席を促された。 「どうぞ、座ってちょうだい」 「あっ、はい……」 「そんなに畏まらなくてもいいのに。届けてくれたレポート、社長も喜んでいたわ」 「しゃっ……!?」  水和不動産の社長と言えば、テレビで度々特集番組が組まれるほどの敏腕社長だ。  レポートについては、機械がまるでダメらしい所長が僕に丸投げしたお粗末なものだったはず。  直接見られるのなら、もっと推敲すればよかった……! 「なんていうか、素朴で味があるって」 「……それは、良い意味で、でしょうか」 「お世辞は言わない人だから。今後もグッドバイさんに仕事をお願いしたいって言ってたから、伝えておくわね」 「こっ、こちらこそ!」  僕が勤める不動産会社・グッドバイは水和不動産と比べれば天と地ほどの差がある。それなのにこんなに太い繋がりがある理由は、以前、所長が水和不動産が抱える無特記物件の問題を解決したからと聞いているけれど、詳しい話は知らない。  所長と一緒に働き始めてしばらく経ったけれど、相変わらず生態は謎に包まれている。様々な事情で今は遺志留にある事務所兼住居で共同生活を送っているにも関わらず、教わったことと言えばおいしいお茶の入れ方と掃除の仕方、それに幽霊への対策がいくつか。僕が一階、所長が三階、事務所として二階を使っているので、必要以上に顔を合わすこともないからプライベートもあまりよく分からない。  三階建ての二世帯同居って、結構プライバシー保たれるのかもしれないなぁ。  滅多にお客さんがくることはないから、僕の主な仕事は掃除・洗濯・料理くらい。もはや社員と言うよりも、ハウスキーパーと言った方が正しいかもしれない。  社員らしいことと言えば、書類の整理をしたりお茶くみをしたり、それに出張調査で幽霊に取り憑かれたりするぐらいか……。  「習うより慣れろ!」を地でいく所長の元についたせいか、段々取り憑かれることにも慣れてきた自分がいるのがおそろしい。  所長に霊感はもうほとんど残っていないらしいけれど、取り憑かれた時の指示は的確だから助かっている。  ……正直、所長一人でも良かったんじゃないか? 僕は取り憑かれ損では? と思うことは多々あるけれども。 「里見くんと一緒に仕事するの、もう慣れたかしら」  里見くん、とは所長のことだ。  所長と番場さんは幼なじみらしい。信じられないことに。 「はっ、はい! 所長にはいつも頼ってばかりで……」 「あの子、ちょっと変わってるでしょ」 「い、いえ、そんなことは……」  最初に感じた所長のちぐはぐさ……部屋や暮らしは丁寧に整えているのに、自分に関することは無関心すぎるという印象は一緒に暮らしだしてからも変わっていなかった。  部屋の掃除をする前に、まずはシャツにアイロンをかけてくれと思う。言わないけど。 「でも朝前さんが来てから、里見くんは随分明るくなったわ」 「本当ですか? 元から明るい人だと思っていました」  所長は初対面から飛ばしていたけれど、緊張していた僕をほぐそうと冗談を言ってくれたり、普段の態度も親しみやすい。 「里見くん、昔はあんな感じじゃなかったのよ」 「そうなんですか?」 「ええ。特に、妹さんの事件の後は塞ぎ込みがちで。事件の前も、どちらかと言えば本ばかり読んで内向的であまり喋らない方だったし」  意外だった。  いつも聞いてもいないことまでペラペラと回る口だなぁと思っていたから。  知らない一面だ。  でも、事務所に並べられた壁一面の本を思い出すと、納得かもしれない。所長はあの本の内容が全部頭に入っているらしい。   「……気をつけてね」 「へっ?」  何について忠告を受けているのか分からなくて、思わず気の抜けた返事を返してしまった。 「里見くんのこと」 「所長が、なにか?」  僕の正面に座る番場さんは、口元に手を当ててなにやら神妙な面持ちをしている。そして、意味ありげな含みを持たせて言った。 「彼、人が変わったみたいだから」
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