第二話

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第二話

 昨日のことは、ママとパパには話さなかった。二人とも疲れきって帰って来たから、話せなかった……と言った方が正しいかも。まあ、タカツキエリが泥棒の一味じゃなければ、どうでもいいか。些細なことだよ。その日にあった出来事をいちいち両親に報告なんて、十一にもなってやることじゃない。   とにかく、今日の予定も変わらず『同じ』だ。外はザアザア雨が降っていて、蝉も溺れたのか鳴いてない。タオルやパンツが揺れるリビングで、あたしは衛星テレビを適当にザッピング(って、クラスではあたししか使わない言葉だけど)して、馴染みの顔でチャンネルを“決めた”(『チャンネルは決まり』、昔のアニメの次回予告ぐらいでしか聞いたことないけど、今でも使う言い回しなのかな)。もう何回も観た、海外の古い刑事ドラマだ。犯人もトリックも覚えているけど、面白いものは面白い。このドラマは、絶対に犯人を逮捕するから好きだ。ジリジリと追い詰めて、逃げ場も失くして囲い込んで、そして必ず捕まえる。ああ、いいなあ。あたしも、面と向かって「あんたがやったんだ」って、犯人に言ってやりたいよ。   刑事が食べるチリにつられて、なんかそういうものが欲しくなったけど、今日のお昼はそうめんだ。朝に茹でた残りを食べなくちゃ。せめてスパイシーさを足そうと、ラー油を垂らしたら辛すぎた。生卵を割り落として混ぜ、薬味と汁ごと麺をかきこむ。美味しかったけど、ちょっと舌がヒリヒリする。   ごちそうさまでした、と言ってから覗いたガラスの器の底には、ゴマが数粒、張り付いていた。あたしはそれを今日の日記のハイライトにしてやろうと思って数え、電話機のそばにあるメモ帳をちぎって、『お昼はそうめん。のこったゴマは六つぶ』と、ボールペンで書きなぐる。ペンを置くと、頭のてっぺんから汗が流れてくるのを感じた。エアコンを強にして、食器も片付けずにあたしは扇風機の前へ行く。ワレワレハウチュウジンダ、なんてギャグ、誰が始めたんだろう。回るファンに思い切りアーと声を浴びせてみるけど、思ったよりも変化が無かった。   気が付けばドラマは終わり、次の番組になっている。全然知らない、つまらなそうなやつ。いや、もしかしたら面白いのかもしれないけど、特に観る気にはならなかった。  ソファに寝転んで、あたしは目を瞑ってた。寝ようと思ったけど全然眠くならなくて、聴きたい音楽も今日は無いし、読みたい本も観たい映画も無いから本当にやることがゼロ、なのに昼寝すらできない。まるで拷問みたいだと思った。   こんな時、世界中の子どもたちは何をしてるんだろう。誰かと遊んでる、というのはノーカウントとして。だって、あたしが知りたいのは『そういう子の時間の潰し方』じゃないから。   絵を描く? 歌を歌う? スイーツ作りに挑戦? どれも全然、興味が湧かない。あたしは絵が下手くそだし、音痴だし、料理だって苦手だ。運動神経も悪いし、おしゃれのセンスも無い。何にも無いのだ、あたしには。   昨日から、気持ちがどんどん暗くて狭くなってる。前から思ってたことだし、分かっていたはずなのに、一人きりで何もせずにいると、こうして嫌というほど思い知らされる。   人生は平らだ。そして、それ以上に、『あたし』という存在が、真っ平らなんだって。谷も掘れないし、山も作れない。誰も何もしてくれないし、あたしも何も出来やしない。「まだ十一歳だ」って、言う人もいる。けれど、『もう十一歳』なのだ。好きな人もできるし、自分の才能の有り無しもわかる。友達が出来る子と、出来ない子の違い。先生に気に入られる子と、嫌われる子の違いも、わかる。   ああ、でも、『好かれる方法』だけは、今でも全然わかんないや。   こんな風に生きている子は、きっとあたし以外にも居るよね。世界中に、いや、すぐ傍にだって、居るはず。そうでなくちゃ、とてもじゃないけど夏の終わりも、秋の始まりも耐えられないよ。   そんなことを考えていたら、ベルが鳴った。昨日のように、また。  のぞき窓の向こうには、緑色のワンピースを着た女の子。雨だっていうのに、麦わら帽子も被ってる。 「タカツキエリ」   あたしはチェーンと鍵をガチャガチャ外して、勢いよく玄関ドアを開いた。なんで。今日も部屋を間違えたの? それこそあり得ない話だよ。 「何の用?」   目も合わせず、ぶっきらぼうに投げかけると、タカツキエリは紙袋をこちらへ差し出した。 「お詫び、昨日の……ごめんなさい」   見覚えのある柄、ブランド名。二月のスーパーでも見かける有名なチョコレート屋のものだった。甘い香りがふわりと広がる。わざわざ買ってきたのだろうか。親戚が? それとも、彼女が? 「あと、お願いがあって、あなたに」   紙袋を受け取ったあたしに、タカツキエリは澄んだ声で続ける。 「…何?」   そこで初めて、あたしはちゃんと顔を見て、目と目を合わせて、思った。この子、やっぱりシロウトじゃない。だって、あまりにも綺麗すぎる。まあるい瞳が、切りそろえられた前髪の下でキラキラしている。後ろは長く伸ばしてて、ふわふわで、腰くらいまであった。瞳も髪も薄い茶色で、肌もあたしより白い。袖の無い緑色のワンピースは大人っぽくておしゃれだし、茶色のサンダルはママのやつみたいなスエード地で、くるぶしにストラップがクルクルと巻き付いていてすごく可愛い。まるで映画のヒロインみたいな、そう、お嬢様。てっぺんから先っぽまで、あたしとは大違いだった。着古したTシャツに黒いジャージを履き、顔も洗わずに寝ぐせもそのまま。あたしは急に恥ずかしく、情けなくなって俯いた。お願いって何だよ、早く言って、帰ってよ。   かかとを潰したスニーカーに乗っけた自分の右足を見つめていると、タカツキエリは涼やかな声でこう言った。 「宿題なの……友達に、なってください」  何を言っているのか、わからなかった。 「宿題って」 「夏休みに出かけた先で、作るの、友達を……。それで最後に、友達から手紙を貰って、先生に見せなきゃいけないの」   呆然とするあたしに、彼女はほっそりした右手を伸ばす。 「エリって、呼んでください。あなたは、何て呼べばいい?」 「……ヨーコ」   とっさに、そう答えた。本名じゃない。だって、エリは『名前は?』と訊ねなかったから。あたしはポール派だし、ヨーコのことは別に好きでも嫌いでもなかったけど、なんとなく、パッと思いつけたのがこれしかなかった。 「ヨーコ。ヨーコ……よろしくね」   そのまま、ごく自然にエリはあたしの鼻先に触れた。ポンポン、と二回。「え?」   突然のことに驚いていると、エリの方も困ったように小首をかしげる。 「挨拶……この町では、やらないの?」 「やらない、そんなのやらないよ。あんたどこから来たの?」   あたしの質問に、エリは答えなかった。ごめんなさい、と謝ってきたので、この分のお詫びと菓子折りはいらない、と返すと、エリはニッコリと笑った。完璧な笑顔だった。 「私、そろそろ戻らなきゃ。また明日、来てもいい?」   上目遣いでそう言われたら、断りにくいじゃないか。 「いいけど、あたし留守番だから外、出れないよ」   そうなのだ。あたしは外出が出来ない。ケイタイだって、電話もメールも家族専用って決まりだし、遊ぶも話すも難しい。 「わかった。それじゃあ、『ここ』で会いましょう、明日も」 「うん、わかったよ。それじゃあ、明日……」   あたしが軽く頭を下げると、エリも習ってお辞儀をした。玄関ドアを閉じて鍵とチェーンをかけてから、のぞき窓から向こうをそうっと見てみると、エリはすでにいなかった。     右手に持った紙袋を持ち上げて、あたしは大きく息を吐く。このチョコレートは、自分の部屋に隠しておこう。だって、あたしへのお詫びなんだから。   『八月二十六日。雨。昼食は朝の残りのそうめん。食べ終わった後、器に残ったゴマは六粒』  エリのことは、書かなかった。チョコレートも、鼻をつつく挨拶も、麦わら帽子もまあるい瞳も。
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