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その男の子は、幼いころから怖がりだった。特に暗闇を恐れていた。
すやすやとよく眠っていても、ベッドに寝かせて明かりをそっと消すと火がついたように泣き出す。電気をつけたままにすると安心したようにふたたび眠りにつく。母親は首をかしげたが、それ以外はいたって元気な可愛らしい赤ん坊だったので特に気にしなかった。
少し成長した男の子は明るくて頭の良いみんなの人気者になっていた。
けれど、昼間はニコニコよく笑い友だちと走り回って遊んでいても少しづつ日が傾いてくると落ち着かなくなってくる。ぶるぶると震え、どんなにみんなが止めても
「こわい、こわい」
と家に走って帰るのだった。
「何がそんなに怖いの?」
と聞いてもただこわい、と繰り返すだけだった。
家の中でもそんな調子だった。夜になると風の音にも虫の声にもおびえ、母親のそばをひと時も離れようとはしない。トイレにも行けず、一人では二階にあがれなかった。
小学校高学年になり、さすがに両親も心配するようになった。特に父親は息子のふがいなさにいら立ちさえ感じていた。
「いいかげんにしろ。もう六年生だろう」
そんな風に言っても男の子は母親にぴったりはりついて首をふるだけだった。こわい、こわいんだ、そんな風に言いながら。
父親はあきれはて荒療治にでることにした。
「こわいこわいと思うからいつまでも臆病が治らないんだ。幽霊の正体見たり、枯れ尾花ってね」
母親は心配そうにしていたが、しぶしぶ言うとおりにすることにした。甘やかしていると思われたくなかったし、実際男の子の怖がりには困り果てていたからだった。
「そんな。ぼく一人で留守番なんて無理だよ!」
男の子は顔を真っ青にしてさけんだ。まだ昼前なのにもう震えるほど怖がっている。
「だいじょうぶさ。戸締りもしっかりするし、たった一日のことだろう。お前も男なんだがら根性見せろよ」
「すぐに帰ってくるわよ」
母親も優しそうに笑った。けれどいつまでもぐずる息子にいら立ち始めた。
「いやだ、行かないで。ぼくもついていくよ」
「いいかげんにしなさい。しかたないでしょ。町内会の集まりなのよ。じゃあね。お土産買ってくるわね」
そう言うと泣き声をふりきるようにして家を出てきてしまった。
「やれやれ」
父親はため息をついた。
「ねえ。やっぱりかわいそうじゃない。うそをついてまで、こんな」
本当は町内の集まりなど無かった。二人はこっそりと裏口からまた家に戻ると、音を立てないようにして納戸に隠れた。
そっと納戸を開けて見ると廊下越しにリビングが見えた。ソファで男の子が泣いていた。
「見ててごらん。一度ひとりで留守番出来たらきっと自信がついてこわくなくなるさ」
父親はそう言うと客用布団ケースの上にごろりと横になった。母親はためらいながらも静かに納戸の整理を始めた。
やがて日が暮れた。
母親に起こされて、父親は目を覚ました。
「ねえ、そろそろいいんじゃない」
時計を見ると、六時だった。
「あいつはどうしてる」
「まだ泣いてるわ。というよりだんだんひどくなる。夕飯にも手をつけないのよ」
大きなため息をついてまた父親は寝ころんだ。そこらへんにあった文庫本を手にして開くと
「まだだ。もう少し様子を見よう」
と言った。
ぎゃあっと悲鳴が聞こえた。二人は飛び起きるようにして扉に向かった。少し開いてのぞく。
男の子が叫んでいた。リビングから廊下につながるガラス扉にぴったりと背中をつけて、窓を見ている。
「こわいこわいこわい!夜が……」
母親が飛び出した。父親がそれを制する。
「なんだか様子がおかしい。誰か不審者がいるのかもしれない」
言うと、さっと飛び出して廊下を駆けてさっき入ってきた裏口から庭に出た。近くにあった傘をとっさにつかむ。
庭に出る直前、
「夜が来るよう!」
男の子の叫び声が聞こえた。
庭には誰もいなかった。
暗闇だけがそこにあった。うっすらと明るくさしているのはリビングからもれている明かりだった。
奇妙に静かで、父親は息子の泣き声が聞こえないことに気づいた。気絶でもしてしまったのだろうか。息を整えながら、そっと窓をのぞいた。
そこにはだれもいなかった。
母親のところに行ったのか。父親はそう考えてまた裏口から家に入った。
やれやれ。結局怖がりを治すどころか、むしろ悪化させてしまったかもしれないな。本当に情けない奴だ……。
リビングの扉を開けると、母親がぼんやりと床にしゃがみこんでいた。父親の顔を見ても狐につままれたような表情をしている。
「あなた」
「なんだ。あいつはどうしたんだ?」
父親が言うと、母親は透き通るほど白い顔になった。そして言った。
「あなたが、暗がりからやって来た。リビングの窓を開けた。そしてあの子を連れて行ったじゃない」
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