言葉の残滓

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 気がつけば秋になっていた。あのうだるような暑さも、眩しく射し込んでくる陽射しも、幻想だったかのように変化し、エアコンを停止させていても心地よく本が読める季節になっていた。  三年生は引退し、俺は部長になった。だからと言って、なにか素晴らしいことをするわけではない。本を読んで感想を書くだけのことだ。  窓際に立ち校庭を眺めると、夏より飛ばなくなったボールを追いかける球児たちが見えた。バットがボールに当たり高音質の金属音を奏でたり、サッカー部員のランニングの掛け声が、図書室の中に注ぎ込まれてくる。  俺がふと顔を上げると、底の抜けた蒼穹は全てを吸い込むように存在していた。巨大な蒼は、悠久の彼方から永遠に続くかのように、ただただ漠然と存在している。日々、色を変化させようとも、矮小な生物の存在など無視するかのよう。  だが、それは事実ではない。確かに、我ら人間と比較すれば長い時間であるが、遅くとも五十六億七千万年後には太陽に飲み込まれて消えていく。人間と比類できないほどの偉大さであっても世界の(ことわり)に抗うことはできない。  俺は、普段はあまり読まないジャンルである芥川龍之介全集を手にした。たまたま開いたページは地獄変だった。昔読んだことがある記憶がある。けれども、当時より今のほうが成長している。なにか違うものが感じ取れるかもしれない。そう思い読み始める。けれども、旧仮名遣いに戸惑いいつもより読む速度が上がらない。  それでも、襲ってきた睡魔に耐えながら読み終える。中途半端な読み方だったからか、頭の中に浮かんできた情景は不鮮明だ。もう一度、読み直すか。 「どうして、殿様は娘を焼き殺そうとしたのかな?」  思わず言葉が口に出る。しかし、返答は誰からもない。ハッと気づいて、顔を上げると一年生がお喋りを止めて、一瞬だけこちらのことを伺う。  俺は、別に気にしていないよ。と言わんばかりに両手を組んで頭上に伸ばす。意図せず出てきた大きな欠伸をしてから座り直す。  一人で専有しているテーブルは大きく感じられる。読むかわからない本を持ってきて七並べのように置いているのに、その大きさはちっとも小さくならない。このまま、ずっと変化しないように思えるが、ここに来るのはもう一年を切っている。  三年生になり部活に来なくなれば、中学校を卒業してしまえば、この情景など思い出すことは無いだろう。白くて大きい無機質なテーブルも、少しだけ埃っぽい図書室も、日々の日常の中で記憶は埋没していくに違いない。  それでも、思い出す自信がある。異常なまでに暑かったあの夏の日を。彼女と会話した言葉の欠片を。 了
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