天龍の花

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 一度でいいから空の花を見てみたい。何よりも美しく咲く火の花を。そう言って笑った幼馴染と交わした約束を、十年たった今でも、辰之助は昨日のことのように思い出す。  天竜によって咲かせられるその花は、国に祝福をもたらすと昔から言い伝えられてきた。 ある時、神の怒りに触れ地に落ちた天竜は、そこで炎を纏いし巫女に出会う。巫女は傷ついた天竜を哀れに思い、自身の命でもある炎の半分を分け与えた。慈悲深い巫女の炎によって癒された天龍は、礼として空に火の花を咲かせたという。花の光は咲くと同時に方々へと飛び、国に祝福と豊の加護を授けた。それからというもの毎年鬼灯の月の満月に、火姫(ひき)と呼ばれる巫女が豊穣と祝福を祈り一晩中舞い踊る、天龍祭が開かれるようになった。 火姫は新年の初めに、十五になった女子の中から一人選ばれる。今年は辰之助の幼馴染であるかがりが選ばれた。勝気で男勝りな性格とは裏腹に、かがりは生まれた時から体が弱く、しょっちゅう体調を崩しては寝込んでいた。それは十五になった今でも変わらず、それどころか最近はさらにその病弱さに拍車がかかっているように思えた。火姫に選ばれたとき、かがりは大丈夫だと笑っていたが、辰之助は心配でならなかった。死んでしまったらどうしよう。不吉な思いだけが辰之助の頭の中でずっと渦巻いていた。 そのかがりが今日、火姫としての務めを果たす。かがりは今までの火姫の中でも一番美しいと評判だった。かがりを一目見るため足を運んできたものは口々に美しいだの、儚いだのと呟いている。しかし、辰之助の瞳にはかがりが他の者とは違って見えた。 舞台の下から見えるかがりの顔色は、頼りない蝋燭の光でもわかるくらい青白い。数日前から体調が悪化しているのを知っていたのに、辰之助は何もできなかった。唇をかみしめる。強く噛みすぎたのだろう、血の味が口の中にじわりと広がった。 もうすぐ日が沈む。空の色が塗り替わったら祭りが始まる。今こうしている間にも舞台の周りには人が続々と集まってきている。火姫の舞を見に来た客は、舞台を見上げ立ち止まっている辰之助に、邪魔なものでも見るような視線を投げかけて横を通り過ぎていく。 視線を感じたのか、舞台上のかがりと目が合った。かがりは辰之助に気づくと、照れくさそうな表情をして笑いかけてきた。きっと、大丈夫だから心配するなと言いたいのだろう。 始まってほしくない。そんな辰之助の思いもむなしく、かがりは舞い始めた。ひらりひらりと天女のように舞うかがりに人々は感嘆の声を漏らす。かがりは体調の悪さを感じさせない軽やかな動作で観衆を魅了したが、四半刻も経たないうちにかがりの額には汗が浮き、顔はさらに白くなっていった。 気づくと辰之助は人ごみの流れに逆らいながら走っていた。時折ぶつかり躓きそうになりながらも必死に足を動かす。向かうは一族の者のみが知る山奥の祠。 辰之助には決して破ってはならない掟があった。それは生まれた時からの幼馴染であるかがりでさえも知らない秘密。しかし一族の掟を破ることより、かがりが死んでしまうかもしれないことの方が怖かった。 辰之助は暗く不確かな山道を、体中に擦り傷を作りながらも、草木をかき分け進んでいった。 辿り着いた祠はツタが覆い茂り、今にも壊れそうな程に劣化している。雲が流れていき、いつになく煌々とした月明かりが祠を照らす。辰之助は祠の戸をそっと開くと、珠を取り出した。珠の中には天龍の炎が閉じ込められている。手に取るとほんのりとした温かみを感じた。きっと辰之助の天龍の血に反応しているのだろう。 昔話には続きがあった。自分を救ってくれた巫女に恋をした天龍は、天には帰らず、この地を守っていくことを決めた。そして自身の炎を珠の中へと封じ込め、子孫たちに守らせるようにした。 珠は強く熱く燃えている。辰之助は紅く燃える珠を口に運ぶと、そのまま飲み込んだ。 どくんと心臓が大きく鼓動した。全身の血が沸騰したように騒いでいる。熱い吐息が口から零れた。 辰之助は天に向かって吠えると、強く地を蹴り、空へと飛び立った。 澄んだ夜の空気を切り裂きながら、かがりの元へと急ぐ。下から見たときは頼りなく見えたのに、空から見た舞台は昼間のように明るく輝いていた。舞台上で必死に舞うかがりには先ほどまでの軽やかさはなく、今にも倒れ伏してしまいそうなほどだった。 音もなく舞台の上へと降り立つ。辰之助の姿を見た観衆からどよめきがあがった。そのせいだろう、緊張の糸が切れたかがりは膝から崩れ落ちた。寸前のところでかがりの身体を支える。 本来ならば火照っているはずなのに、汗に濡れたかがりの身体は異様なくらいに冷たかった。 「かがり、ごめん」  人型に戻った辰之助はそう謝ると、かがりの唇に己のそれを重ねた。息を吹き込むように辰之助の炎をかがりの中へと流し込む。すると青白かったかがりの頬にほんのりと赤く色がついた。ゆっくりとかがりが目を開く。 「あれ、辰之助? なんで……」 「よかった……! とりあえず話は後でゆっくりしよう。今は逃げなきゃ」  胸を撫で下ろした辰之助の背後から、ばたばたと足音が近づいてくる。辰之助は急いで龍へと姿を変えると、困惑したままのかがりを連れて夜空を駆け上がった。まさか空を飛ぶとは思ってもいなかったのだろう、角にしがみついているかがりが悲鳴をあげる。 「辰之助、お前、ふざけんなよ……!」  突然連れ出したことについてだろう、不機嫌そうなかがりの声が聞こえた。 「ごめん。でも、もしかしたらかがりが死んじゃうかもしれないと思って」 「はぁ? あたしがあんな程度で死ぬわけないだろ! なめんな! ......でも、ありがとな」  小さく呟かれた言葉を辰之助は聞こえなかったふりをした。言ったら角を叩いてくるのは間違いなかったからだ。 「かがり、覚えてる? 昔交わした約束のこと」 「覚えてるよ」  辰之助は優しく静かにかがりに問いかけた。同じようにかがりも懐かしむように答えを返す。 「そんなこと聞いたってことは、見してくれんのか?」 「君が望むなら」  悪戯に笑うかがりに、辰之助も笑い返す。 「じゃあ、叶えてよ」  囁かれた言葉に応えるように、辰之助はより一層高く舞い上がった。満月にその影が重なったとき辰之助は咆哮を上げた。  天龍の叫びに呼応するかのように、夜空のあちこちで炎の花が咲いては散っていく。その幻想的な光景に誰もがくぎ付けになった。咲き乱れる花々の海を辰之助たちは泳いでいく。  一夜の夢のような出来事を二人は決して忘れることはないだろう。
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