執心、度し難き事

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執心、度し難き事

 とある土曜日。怪談、奇談の収集を趣味とする元警察官峰岸善衛の自宅に今日も一人の来客の姿があった。 「元気そうだな」 「お前もな」  今日訪れて来たのは、峰岸の警察学校時代の同期、木下である。無事に定年まで勤め上げたところまでは峰岸と同じだが、木下の方は首尾よく警備会社に再就職を果たし、順調に第二の人生を歩んでいる。 「お前が羨ましいよ。ちゃんと毎日ネクタイ結んで電車に乗って通勤できるなんてなあ」  最近、持て余し気味の峰岸が思わずぼやく。 「うちはまだ下のが学生なんでな。おまけに大学院行きたいとか言いだしやがった。こいつが無事に就職するまでは、俺もリタイアさせて貰えないというわけさ。俺から見れば、お前が羨ましいぞ」 「まあ、こればかりは巡り合わせってとこだな」  峰岸家の一人息子は、もう就職しており、今は勤務先の関係で、とある地方都市で独り暮らしをしている。 「で、今日のネタはなに?」 「久しぶりだってのに、ゆっくり同期と旧交を温めるという発想が無いのかね、お前には。まあ、そこがお前らしいと言えばお前らしいが……。じゃ、早速だけど、まあ、これを見てくれ。言っとくが、絶対内緒だぜ。ばれたら俺はクビだ」 そう言うと、木下は早速端末を取りだして、動画をスタートさせた。 「これは、うちの会社が警備員を派遣しているビルの防犯カメラの映像だ」 「おいおい、そんなもの勝手に部外者の俺に見せていいのか?」 「だから、ばれたらクビだと言ったんだ。止めていいのか?」 「……続けてくれ……」  画面に映ったのは、とあるビルの廊下のようである。画面右下に表示された時刻は、午前1時16分となっている。 「これは守衛室の前の廊下の映像だ。画面の下の方の廊下の端が守衛室のドアになっている。カメラはドアの真上に設置されていて、廊下をまっすぐ撮影しているわけだ」  木下の説明に峰岸は頷く。 「ぼちぼち始まるぞ。ここを見てくれ」  木下が、画面の上方、位置的には、廊下の奥の方を指さす。  何となく、映像のその部分に、歪みのようなものが浮かぶ。と、見る間に、それは形を取り始めた。形?そう、やはりこれは人間の形のようだ。一応四肢と思われる物がある。多分、髪の長い女。だが、多分、としか言えないのは、明らかにそれが激しく変形しているからだ。両脚は、あらぬ方向に折れ曲がり、各々反対方向を向いている。頸椎も明らかに折れているようで、動くたびに頭部が振り子のように左右に揺れる。腹這いになったそれは壊れた人形のように動きながら、廊下をだんだんと近づいてくる。 「おい、これって、近づいてきてるよな……」 かすれた声で峰岸がつぶやく。木下は無言で画面を見つめている。 なおも、腹這いで近づいてくる女が、ふいにレンズの方に顔を上げた。 「!」  声も出ないまま、峰岸はひたすら息をのむ。  何もない。髪の毛の下、普通は顔のある部分に見えるのは、眼も鼻も口も無い、吸い込まれそうな漆黒の暗闇である。  まだ這ってくる。画面の下方へと、守衛室から見れば、手前の方へと進んでくる。やがて、女の姿は、画面の端に向かって呑み込まれるようにズルリと消えた。 「うわっ!」  思わず峰岸はのけぞる。今にも女が端末から出てくるような気がしたのだ。 「安心しろ。幸いこの女は、テレビから出てくるような行儀の悪いことはしない」  軽口をたたきながら画面を止めた木下も、緊張した面持ちで汗をかいている。 「これは、……本物っぽいよな……」  峰岸がかすれた声で言った。 「というわけだ。この映像を、真夜中、守衛室でたったひとり、モニター画面で見ていた奴はどうなったと思う?」 「…………」 「ご想像のとおりさ。翌朝よだれと小便を垂らしながら床に転がっているところを保護されたが、未だに入院中だ……」  眉をしかめながら木下は言った。 「過去の映像を調べてみたが、どうも二か月ほど前から、このビルでこういう怪異現象が起き始めたらしい。そして、テナントの従業員や、昼間の買い物客にまで、霊体の目撃情報が相次ぐようになってきたんだ。特に霊感が強いわけでもない普通の従業員にまで、就業中に気分が悪くなったり、休み勝ちになる者も続出して、とうとう辞めていく者も出始めたらしい。そんなこんなでテナントの営業にも支障が出て来ている。今でも止まらないようだ。噂はたちまちネットで拡散、心霊スポット扱いされるに及んで、客足もだんだん減り始めた。テナントもビルのオーナーも頭を抱えているよ」 「そのビルの話なら、俺もネットで見た。Y駅前の商業施設だろう。あんなにいい場所にあって、しかも結構綺麗なビルじゃないか。この映像はそこのことだったのか」 「そういうことだ……」 「お祓いとかしたのかね」 「今まで何度もやったらしいが、やってもやっても続々と霊体が現れるそうだ。全然状況は改善されないから、関係者はみんな途方に暮れている。テナントの中には、オーナーに対して、“これはもともと事故物件だったんだろう!告知義務違反で訴えてやる!”と息巻いている者もいるらしいが、このビルにそんな因縁話は一切無かったらしい。実際、つい二か月前までは何の異常も無かったのが、突然霊が現れるようになったわけだ。オーナーも、もう訳が分からなくなって、今では根本的な解決は殆どあきらめ気味で、ただ只管クレーム対応に忙殺されている。実は、うちもクライアントから“とにかく巡回警備員だけでも増やしてくれ”とか急に言われるし、そこに持ってきて夜間の警備員が次々におかしくなっちまったから、困ってるんだよ」 「今はどうしてるんだ?」 「とりあえず、全国の社員の中から筋金入りのゼロ感を集めた。こいつらを精鋭部隊と称して特別手当まで弾んでやって、深夜シフトは多人数のチームを編成することで何とか凌いでいる。会社としても想定外の出費だが、背に腹は代えられん……」 「ふーん。再就職も楽じゃないんだねえ」 呑気なコメントを吐いている峰岸の顔を、呆れたように木下が見ている。  翌日。  峰岸は、昨日衝撃的な映像を見せられたそのビルに、早速行ってみることにした。彼の住む町から乗り換え一回で行ける大きな駅の前にあるその商業施設は、開業してから、まだ何年も経ってはいない。  まだ真新しさの残るその建物には、確かに何となく薄ら寒いような空気が漂う。かつてテナントでぎっしりと埋め尽くされ、買物客でごった返していたフロアも、今は閑散としている。其処此処に見られる閉店を示すテナントの張り紙が、より一層寂しさを際立たせている。 「日曜日でこの状態では、いよいよまずいだろうな……」  建物全体に、暗い空気が充満しているように感じる。心も身体も重たい感じになってくる。 「なるほど、これじゃテナントも客も逃げて行くよなあ……」  峰岸も、早々に建物を逃げ出すことにした。一歩外に出れば、町は週末の買物客で賑わっている。日曜日の大きな駅の駅前にふさわしい光景がそこに広がっていた。ただ、溢れかえる買物客は、あのビルを露骨に避けるように、他の建物に吸い込まれて行く。  周辺をしばらくそぞろ歩いてみる。小さな土地が、幾つか更地にされているのを見ると、再開発が着々と進んでいるのだろう。2020年のオリンピックを契機に、大きな駅の周辺は新たな再開発の波にさらされていた。バブルの嵐を生き延びた古い家や建物も、じわじわと少しずつ浸食され始めている……。  その夜。峰岸家にも、固有の怪異現象が発生した。  ぼちぼち寝ようとベッドに入った峰岸を、久方ぶりに金縛りが襲ったのである。同時に部屋の一隅に現れた発光体が、見る間に裃を着けた武士の姿を取り始める。かつて江戸時代に町奉行として活躍した峰岸の先祖が現れた。 「これは、ご先祖様……」 「どうじゃ。噺の収集は進んでおるか」  今日は割と機嫌が良さそうである。一応現場にもすぐ行ってみたという多少の自負もあり、今回は、峰岸の方から例のビルの話を振ってみた。 「その件なら、わしの耳にも入っておるぞ」  果たして、地獄耳の先祖は、もう知っていた。 「やはり、御存知でしたか。では今回も、かの地に漂い続けた浮かばれない怨念が、あのビルに祟りを為したものでしょうか」 「祟りを為すじゃと?これ、善衞よ。謂れなき中傷はいかんぞ」  前回の答えを参考に、得意げに意見を述べた峰岸の答えは、あっさり否定された。 「……は?」 「お前は何か勘違いしとるようじゃが、あの者たちは、いわば単なる通行人じゃ。少なくとも建物に対しては、何ら悪意も執着も抱いておらん。悪意を持つ者は別におる」 「え?そうなんですか?」  先祖の意外な言葉に峰岸は戸惑う。 「あの界隈で、小さな土地が更地になっておったろう。実は、そこの前には小さな道祖神があったが、更地にする普請を行った際、撤去されてしまったのじゃ。この他にも、注意しなければ気付かれない、一見特に意味の無いような普請が、あの周辺でいくつか行われた。実はこれによって、従来の霊道の流れが変わり、あの建物に流れるようになったのじゃ」 「霊道があのビルに!それで次々と霊が現れるようになったんですね」 「そうじゃ。しかも今回の霊道の変更は、明らかに意図的に行われたものじゃ」 「意図的に!?」  全く予想もしなかった話に峰岸は驚く。 「一体、何のためにですか?」 「知れたこと。買い叩くためよ」  淡々と先祖は言い放った。 「買い叩くって……。地上げってことですか!?」 「東京の商業地の地価は上がり続けてきた。さらに例の東京五輪とやらで拍車がかかり、当面あのような良好な物件の価格はまだ上がるじゃろう。どうしてもあの建物を安く手に入れようと思った輩が、しかるべく霊の知識あるものを雇って、霊道変更の図面を描かせ、必要な普請を行い、まんまと霊道を導くことに成功したわけじゃ。今頃は、何食わぬ顔で持ち主に近づいて、不当に安く買い叩く交渉を始めておるじゃろう。まったく呆れかえって物が言えんわい」  苦々しげに先祖は言った。 「霊まで使って地上げを行うなんて……私も呆れてしまいました」 「善衛よ。時として、生きておる者の方が霊よりも何倍も性質が悪いことがある。忘れるでないぞ」  先祖の言葉に峰岸も頷く。 「仰るとおりです。しかし、しかるべく建築許可を取ってやってる以上、違法とは言えないし……道祖神の撤去も、その持ち主がはっきりしなければ、窃盗罪も器物損壊罪も難しい。占有離脱物横領罪?文化財保護法違反?そもそも道祖神が確かにそこにあったという立証ができるかなぁ」 「まあ、案ずるな。とりあえず霊道の方は、早々に再移動されるよう、わしの方で動いてやる。霊達の方も急に迂回路に回されて、迷惑しとるのじゃ」 悩む峰岸に向かって先祖は言った。 「こういう場合もご先祖様がからむんですか?」 「普請がらみの御用にも、よく関わったものじゃ」 (そうか、町奉行は裁判官や警視総監だけでなく、都知事でもあったんだな。道路行政、土木工事……色んな事に詳しいわけだ) 「有難うございます。では、もう、あのビルに霊が現れることはなくなるんですね。霊道も元通りになって」 「うむ。まあ、この際なので霊道の方は、単に元通りというよりはもう少し良い案を考えてみようと思っておる。とりあえず持ち主には、近々霊は居なくなる筈だから売却には応じるな、とでも言っておけ。では、せいぜい励むが良い」  にやりと笑いながらそう言うと先祖は例によって、あっけなく消えて行った。 (ご先祖様がああ言った以上は、事態は好転するんだろうが、でも何だか意味ありげな笑いだったなぁ……。何を考えてるんだろうか。まあとにかく、明日さっそく木下に連絡だな)  とりあえず峰岸はそのまま眠りについた。  都内の高級住宅地にある某不動産会社会長の豪邸から、夜な夜なぞっとするような悲鳴が聞こえてくるようになったのは、それから間もなくのことである。 [了]
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