人鬼、跳梁する事

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人鬼、跳梁する事

「殺人事件発生。現場はK区白羽7丁目16番11号のラブホテル”夢幻城”。被害者は20代の女性。至急現場に急行してください。なお、犯人は現場より逃走。付近の状況に十分注意してください」 「了解」  付近を偶々巡回中だった一台のパトカーが、直ちにサイレンを鳴らし、慌ただしく現場へと向かった。 「ラブホテルですって……」  運転している若い方の警官が不安そうに呟く。 「ああ、嫌な予感がするな……」  もう一人が苦り切った顔で相槌を打った……。  現場に一番乗りした二名の警官は、まず、事務所スペースに通された。 「第一発見者の方は……」  警官を案内したスタッフが、無言で傍らの椅子に座った一人の女性を指し示す。  どうも掃除婦のようであるが、明らかにまともな状態ではなさそうである。焦点の定まらない目は虚空を見据えたまま、動かない。ぶるぶる震え続けている身体の振動が椅子に伝わり、カタカタ音を立てている。その音に被って、よだれを垂らす口元からも、カチカチと歯の鳴る音が聞こえてくる。明らかに、相当なショックを受けているようだ。  二名の警官は(やっぱり)という表情で顔を見合わせると、ため息を一つついた。 「とりあえず、現場を見せてください」  固い表情の事務員が黙って立ち上がる。  案内された部屋の前まで来た時、先に立っている方の警官が、自分の足元を見て、反射的に飛び退った。明らかに人間の吐瀉物と思われるものが扉の前一面に広がっている。 「……あの、すいません、それ、私です……。ごめんなさい、我慢出来なくて……」  青白い顔の事務員が初めて口を開いた。扉のはるか手前の方で立ち止まってしまっている。 「いいんです。無理もないです。ここで待っててください」  二名の警官は、吐瀉物を飛び越えて部屋に入った。  妙にギラギラするシャンデリアの灯りの下、真っ赤な部屋の光景が飛び込んでくる。  赤いのは調度の色ではなく、すぐに分かる鮮血の色である。部屋一面にぶちまけられた何リットルもの人間の鮮血が、壁といわず、シーツと言わず真っ赤な意匠を施している。部屋の中に入った瞬間から、鉄くさい血の臭い、内臓の生臭い臭い、排泄物の異臭等が混然となって二人の警官の毛穴に染み込んでくる。  無意識にベッドの上から目を背けていた二人は、嫌々ながら、見なければならないものに目を向ける。  ベッドの中央に、仰臥するのは、一人の全裸の女性である。見開いた両目は、既に光を失い、まっすぐに天井を見つめている。そこそこ端正ながら一切の表情を喪失した顔が、マネキンのような印象を与える。  そしてそこから下に視線をずらした瞬間、二名の警察官は口を押さえた。  正確に胴体の中心に入れられた切れ目が、鳩尾の辺りから股間に至るまで一直線に続いている。腹部はまるでカーテンのように綺麗に二つに開かれ、腹腔は綺麗に空になっていた。各々の臓器は、ひとつひとつ丁寧に取り出され、きちんと身体の周囲に並べられている。肝臓は向かって左、膵臓、脾臓は向かって右、腎臓は両側、膀胱や子宮は開かれた脚の間という具合。引き出された小腸と大腸は遺体の脚元で綺麗に畳まれている。深紅、茶色、暗緑色等色とりどりの内臓は、固まり始めた鮮血のどす黒い赤色をまといながら、テラテラと濡れた光沢を放っている。  胸の上では両手がきちんと重ねあわされていた。 「……すみません、自分も……」  若い方の警官が、事務員の吐瀉物の隣に嘔吐した。  数日後。  峰岸の自宅を久しぶりに訪れて来た警視庁の下村課長は、何時になく元気が無いように見える。目の下に隈が浮いており、顔色もさえない。 「寝てないんじゃないの?いいのかい?」  後輩の様子を見た峰岸が気遣う。 「ええ、ちょっと、ここのところ多忙で。でも、何か峰岸さんに話を聞いて欲しいような気分にもなりましてね」  疲れた声で下村が応ずる。 「ここのところラブホテルを舞台に三件の殺人事件が発生しているのはご存知ですよね」 「うん、報道されてる限りでは、被害者はいずれも女性で、一緒に入って行った男は現場から姿を消している。その男が犯人だろうと言われているよね」 「はい。それでですね、実は三件のケースには、共通点が有るんです」  下村は続けた。 「最初のケースが荒川区の主婦。次が世田谷区の学生。そして今回北区の会社員。一見つながりが無い様に見えますが、実はこれらの被害者達は全員、主にネットによる媒介で売春行為を行っていたんです」  発表されていない事実に、峰岸は驚く。 「そして、現場の状況はマスコミには詳しく言ってませんが、死体に対して極めて異常な損壊行為を行っています……。簡単に言うと、腹部を切開して内臓を摘出しているのです」  現場の写真を思い出して渋面を作りながら下村は続けた。 「被害者はいずれも売春行為を行っていた女性。行為の場所がそのまま犯行の舞台となっている。犯行の態様は酸鼻を極め、殺害の後あたかも外科手術のような手際で、死体を切り刻み、内臓を摘出し、周囲に並べる……。誰か思い出しませんか」  下村が思わせぶりに峰岸の目を見つめる。 「……それって、まさか……」峰岸の頭にも一つの名前が浮かんでくる。 「そうです」下村が苦々しげに同じ名前を告げる。 「”切り裂きジャック”なんです……」  切り裂きジャック。Jack the Ripper。19世紀末の大英帝国を恐怖に叩き込んだ連続殺人鬼。被害者はいずれもロンドンの一画、ホワイトチャペル周辺の貧しい売春婦で、犯行の態様は極めて残忍かつ異常。殺害後に死体を損壊し、内臓を摘出するなどの残虐行為を行った。警察,住民の徹底した警戒網を嘲笑うように、神出鬼没の犯人は殺戮を重ね、犠牲者の数は少なくとも5名以上と言われている。   手際よく内臓を摘出するなど、解剖のスキルも示唆されたため一時は医師による犯行が疑われたこともあるが、結局決め手に乏しいまま迷宮入りし、130年以上が経過した。犯行声明を新聞社に送り付ける等、世間の注目を意識する行動も見られ、今日の劇場型犯罪の端緒とする見方もある。 最近になってDNA鑑定によって遂に真犯人の特定に至った、とのニュースが海外から発信されたが、この鑑定結果についても、結局各所から多くの疑問の声が投げかけられる結果となり、誰もが納得するような決定的な説は未だに確立されていない。足掛け二世紀という長きに渡り、全世界に謎を提供し続けて来たこの事件については、もはや世界中の多くの人々が、永遠に未解決事件でいてほしいと願っているのでは?という気さえしてくる。 「今のところ、マスコミには鋭利な刃物による殺人ということしか発表してませんし、内臓が摘出されていたという状況は伏せてあります。ですが、第一発見者達の口から、早晩そういう話は漏れるでしょうし、被害者が全員売春行為を行っていたという事実もいずれネットにでも昇ってしまうでしょう。日本中が大騒ぎになるのも時間の問題ですよ」 半ばあきらめたような口調で下村は言った。 「確かに切り裂きジャックの模倣犯なんて、それだけでセンセーションを掻き立てるだろうなあ……」  峰岸も沈痛な表情で相槌をうつ。  果たして、”切り裂きジャックの模倣犯”は、間もなく世間の話題を独占することとなる。  テレビのワイドショーは勿論この話題で持ち切りとなった。犯罪学や犯罪心理学専門のコメンテーター達は引っ張りだこになり、連日かわりばんこに局を変えて出演する。  新聞、週刊誌といった文字メディアは、一斉にセンセーショナルな見出しで書きたてる。曰く「蘇る恐怖」「東京の切り裂き魔」「悪魔の模倣犯」云々……。過去に出版された切り裂きジャック関連本の類が慌ただしく復刻され、書店の店頭に平積みされた。  当然のごとく、ネット上では至る所で”ジャック祭り”が開催され、無数の人間が勝手な意見を並べたて、所狭しと適当な情報を書き込む。更には、”実は俺がジャックなんだ”と”告白”する輩も十数人に及んだ。気の早いコスチューム業者は、ハロウィーンを当て込んで、早々と”ジャック・ザ・リパーっぽい“扮装(黒くて長いマントに飛び散る血痕をあしらっただけのもの。玩具のナイフ付き。)を作り始めた。  海外メディアもこれに大きな興味を示した。もともとロンドンが”発祥の地”であり、百年以上に渡る未解決ミステリーは、常に世界の関心で有り続けていたのである。センセ-ショナリズムの大好きなメディア連が見過ごす筈は無く、様々な見出しで記事を発信した。曰く; 「Nightmare in Tokyo」(東京の悪夢) 「”The Japanese Horror”」(”ジャパニーズホラー”) 「Jap the Ripper」(ジャップ・ザ・リパー) 云々。(某国のアクの強いリーダーは最後のやつを”気の利いたジョークだ”と評し、また顰蹙を買った。)そして、誰もが容易に予想していたキーワードが耳にたこができるまで繰り返されるようになる。即ち…… 「東京の治安はどうなってるんだ?オリンピックは大丈夫なのか?」  そして、それは結局”警察は何をしてるんだ”という声となって国内外、上下左右至る所から集中砲火が浴びせられることになる。慌てた警察は「当面、切り裂きジャックの模倣犯という犯人像を前提として、捜査に全力を傾注します」と幹部による異例の会見を行った。とにかく”ノーアイディアです”ではすまされないのだ。 (結局メディアや政治家への対応に忙殺されてる。下村も捜査どころじゃないだろうな……。)  後輩の苦労を思い、峰岸はため息をついた。  数日後の夜。  眠りに就いた峰岸の枕元を久しぶりに先祖が訪れた。 「これは、ご先祖様」 「何やら最近騒がしいな」  勿論、最近の切り裂きジャック事件のことである。元江戸町奉行だった峰岸の先祖は、現在も東京の治安を見守っており、何が起きているか、ほぼ正確に把握している。現実世界も霊的な世界も、事の真相は全てお見通しなのである。 「で、お前の見立てはどうじゃ」  峰岸はこれが苦手である。事の真相を把握したうえで、先祖は峰岸を試すのである。 「……はあ、それが……まだ皆目見当もつきません。模倣犯である以上、普段から犯罪に興味を示す人間とか。あとは解剖の心得の有る者とかなんでしょうけど、どうやって絞り込んだものやら……。結局警察にも、殆ど意味の無い誹謗中傷じみた情報ばかりが集中しているみたいです。”あいつは普段から猟奇殺人の本ばかり読んでいる”、”職場の同僚が連続殺人に異常な興味を示していた”、”あの人は小説投稿サイトに登録して、嬉々として人殺しの話ばかり書いている”、等々……」 「お前、最近あまり現場に行っておらんじゃろう?」  鋭い指摘に峰岸は慌てる。 「あ、はい。そうでした……。何となく思い至らなくて」 「何故行かんのじゃ。前にも言うたであろうが。現場に行こうと思えばすぐ行けるのに、みすみす手がかりを逃しているようなものじゃぞ。お前も現役時代”現場百回“などと偉そうに……」 「は、はい、では明日にでも早速行ってみます」 「行ってみよ。必ず得るものは有る筈じゃ」 そう言うと、あっさりと消えて行った。  翌日。  とりあえず、峰岸は発端となった荒川区の現場の周辺を歩いてみようと思った。  JRの駅で下車し、とりあえず歩きだした彼は、そこに不思議な空間を見つけた。操車場を持つ大きな駅のすぐそばに、墓地がある。鉄道線路のすぐ脇に墓地と寺院が近接している。ふと興味にかられた峰岸は、そばに行ってみた。大きな地蔵尊が慰霊塔のように建っている。  スマホを取り出して、現在地を調べた結果、峰岸は、ここがどういう場所かを知った。 (そうか、ここは処刑場の跡地なんだ。)  そして、ふと周辺の情報を調べてみた峰岸は、ここから数百メートルばかりのところに、もうひとつの重要な場所を発見した。 (……え?)  微かに聞き覚えのあるその名前は、そこにあるもう一つの寺の名前である。 (この二つがこんなに近い距離にあったのか。知らなかった……。)  早速峰岸はそのもう一つの寺まで歩いてみる。普通のペースで歩いても、すぐに到着できた。10分にも満たない距離である。  境内に入る。本堂の左側、寺の奥の方に昼なお暗い墓地があり、沢山の卒塔婆が並んでいる。  その瞬間、峰岸は自分の考えに確信を持った……。  その夜。  再度訪れた先祖に、早速峰岸は自分の考えを開陳した。 「今回の犯行は、切り裂きジャックとは何の関係も無かったんですね。ジャックの模倣犯というのは完全に見当違いだったんです。犯行の動機と態様は、実は我が国固有の歴史に深く関わるものだったんですね」 「うむ」  峰岸の答えに先祖も頷く。 「投げ込み寺と処刑場が、歩いてすぐの場所に並んでいたなんて……」  投げ込み寺。新吉原にほど近いこの寺には、長きに渡り吉原の娼妓達が埋葬されてきた。17世紀の建立以来、埋葬された遊郭関係者達の遺体は、通算二万五千にも及ぶとも言われている。勿論、投げ込み寺は別名であり、正式には浄閑寺というが、19世紀の安政大地震の際に死亡した大量の娼妓達の遺体が文字通り投げ込むように埋葬されて以来、このように呼ばれるようになったとされている。  当時の衛生状況及び娼妓という職業柄、梅毒等の感染症リスクは、当然高くなる。これらに罹患した娼妓達の末路は、悲惨極まりないものであった。碌な治療も食事も与えられぬまま狭い布団部屋に放りこまれ、逃亡も許されぬまま飼い殺しにされるという、まさに生き地獄である。死した後寺に搬送された遺体は、そのまま地面に穿たれた穴に埋葬されたとも言われている。  そしてそこから歩いてわずか数分程度の所に、もうひとつの慰霊の地が存在する。  小塚原刑場跡。こづかっぱらと言われるこの刑場では、江戸時代、累計二十万人を超える罪人達が処刑されたと言われている。鈴ヶ森、大和田と並ぶ三大刑場として有名であるが、ここ小塚原を特徴づけているのは、この場所で”腑分け”、即ち死体解剖が行われたことである。杉田玄白、前野良沢という著名な医師も、ここで腑分けに立ち会い、蘭書ターヘル・アナトミアの内容を確認したとされている。 「病気に罹って生き地獄に落とされた娼妓達は何を思ったか。世の無情を恨みつつ、”誰か私を殺して。早くこの地獄を終わらせて。”と願い続けていた者もいるでしょう。とうとうそのまま死んでいった者が強力な怨霊と化すのは、至極当然でしょうね。そして、そんな怨霊に取り憑かれた人間はその念に操られてしまう。彼には目の前にいる女性が”早く殺して”と叫んでいるように聞こえ、そして”この人を殺して救済しなければ”という念に支配されてしまう……」 「一方で、小塚原にも刑死した無数の者の怨念が渦巻いておる。その中には、自らの死体を腑分けに使われた者もおる。自分の身体が切り刻まれ、内臓を摘出され、それを何の関係も無い者が興味津々と眺めまわす様を見せつけられたのじゃ。その屈辱的な思いは、一層彼等の怨念を増幅させることになり、より強力な怨霊と化しておる」 「そして、近接する場所に居た二つの強力な怨霊が、立て続けに一人の男に取り憑いてしまった。男は、体を売る女に出会っては、救済と思ってこれを殺害し、その後“腑分け”の場面を繰り返すかのように内臓を摘出してきちんと並べる。これを延々と繰り返していたんですね……」  あまりに重苦しく業の深い真相に、峰岸の心は鉛色の空のように重くなる。 「ついさっき、自宅の部屋で首を括った男がおる。今回の犯人じゃ。医者でもなんでもない、一人の若い店員じゃ。そやつは過去の暗い歴史に思いを馳せるでもなく、死者への慰霊の心も畏敬の念も持たぬまま、面白半分にこれらの場所を巡って遊園地のような感覚ではしゃぎながら自撮り写真を撮りまくった。無遠慮に墓石や卒塔婆を触り、供え物にまで手を出した。こういう態度が眠っていた怨霊達の怒りを呼び覚まし、心身を乗っ取られた揚句に、殺人を繰り返すことになってしまった。そして、このまま怨念に操られるまま罪を重ねる恐ろしさに耐えかねて自ら命を絶ったというわけじゃ」  先祖はその店員の名前と住所を峰岸に教えた。 「それじゃ、とりあえず今回の犯人は自殺したわけですね。分かりました。それでは、早速明朝にでも下村に伝えます」 「早い方が良いと思うぞ。色々な意味でな」  先祖は意味有り気な言葉を残して去って行った。  翌日朝一番で、峰岸は先祖に聞いたとおりの情報を下村に連絡した。  そしてその二日後。  再び訪れてきた下村から、峰岸は経緯を聞いた。 「峰岸さんが教えてくれたアパートの一室で、確かに男性の縊死体が発見されました。周囲の状況から見て、自殺は間違いないと思われます」 「そうか。やっぱり」 「特に遺書めいたものは有りませんでしたし、明白に彼と事件を結び付ける物は発見できませんでした。ですが、私の印象として、峰岸さんのお話が多分真実だという気はします、と申し上げておきます」  そう語る下村の妙に淡々とした表情に、峰岸は微かに違和感を感じる。 「……有難う。お役に立てて嬉しいよ」 「ですが、峰岸さん」  下村は厳しい表情で続けた。 「警察としては、ありのままの事実を発表することは無いでしょう」 「……え?」  峰岸は下村の発言が信じられず、思わず聞き返してしまう。 「考えてもみてください。既に警察としては、切り裂きジャックの模倣犯という線で捜査方針を決定し、これを対外的にも発表してるんです。今更これを誤りとして撤回したら、どうなります?”見当違いの捜査を進めていたのか!”という話で、一層のバッシングが警察を襲う。そもそも”今回は江戸時代の怨霊に憑依された犯人が起こした事件です”、なんて発表をできるでしょうか?峰岸さんも良くお分かりですよね?かく言う私自身も、峰岸さんとは長い付き合いだからこそ、頭から否定はしませんが、もし同じ話を他の人間から聞いたら一笑に付すでしょう」 「……」  峰岸は沈黙する。警察に身を置いていた自分としては、確かにそういう事情も良く分かるのである。 「……しかし、だからと言って……」 「実はですね。今朝もうひとつの状況が発生したんです」  峰岸を遮って下村が続ける。 「先ほど神奈川県警から連絡が入ったんですが、新横浜のホテルで、一人の女性の惨殺死体が発見されました」 「何だって?それじゃ……」 「被害者は30代女性。遺体には執拗な刺し傷が見られ、内臓も摘出されています。犯人は目下逃走中です」 「どういうことだ?」 「ところがですね。今回の犯行は、明らかに違うんです。死体の損傷の方法も、ただ闇雲に何度も胴体に切りつけています。引き出された内臓も、今までのはきちんと並べていたんですが、今回は投げ散らかして放置している。ある種の丁寧さや敬意さえ感じさせた今までのケースと異なる、明らかに粗暴なやり方です」 「……つまり、別人ということか……」 「そうです。要は、ここに、”本物のジャック模倣犯“が現れたと言うことです」  厳しい表情で下村が告げた。 「最早、切り裂きジャックの模倣犯は、現実に誕生してしまった。そうなった以上わざわざ、”但し前の三件は間違いでした”という話をして、警察の威信を失墜させ、今にも増してバッシングを招くようなことをすると思います?峰岸さんも良くお分かりですよね?」  下村が、さっきと同じ言葉を繰り返す。(こいつは念を押しているというより、誰かに縋りたいのかもしれない。こんな状況にはまり込んで、組織と真実の矛盾を自分の中で飲み込まなきゃならない自分を、誰か一人は分かって欲しい……)峰岸にはそう思えた。 「間もなく神奈川県警で事件の記者発表が行われます。当然マスコミは大騒ぎするでしょうが、今回特に新横浜という場所が象徴的な意味を持っているように、私には思えます」 「象徴的?」 「つまり、東京の外で、かつ新幹線の停車駅だということです。”ジャックは東京を離れて日本国内を遊弋し始めた”という印象を与えるように思いませんか?今回の犯人が意図的にそれを狙ったのか、単なる偶然なのかは不明ですが、これでまた、日本中に恐怖と不安の種が広がることになります」  暗い表情で下村が語る予想に、峰岸はもはや言葉も出ない。 (確かにそうだろう。どうせマスコミが、頼まれもしないのに騒ぎ立てるんだろうな。”ジャックは放たれた!”とか。仮に今回の模倣犯が、”最初の三件の殺人は、実は遊女の霊と小塚原の罪人の霊の仕業だったのだ”ということを知らされたとしても、奴にとっては、最早どうでもいいのだ。奴等は只管、切り裂きジャックの真似を楽しみ、笑いながら人を殺し、内臓を掻き出す。”ジャックごっこ”を楽しんで、犯行声明を送りつけ、世間の反応を見て、はしゃぎまわる。”ジャックは東京を離れて日本国内を遊弋し始めた。” まさにそのとおりなのだ。これで日本全国の模倣犯予備軍達が勢いづいて、至る所で本当の“ジャック祭り”を始める……。)  峰岸は眩暈がしてきた。同時に恐ろしい予感が彼の心に影を落とす。 (これが、あの怨霊達の本当の狙いだったのかもしれない……。)  耳元に彼等の哄笑を聞いたような気がして、彼は思わず身震いした。  走行する新幹線の車内。 「あの、少し倒しても宜しいでしょうか」  たった今停車した駅から乗車してきた、清楚な感じのする女性客が、後席に向って笑顔で声をかける。 「どうぞどうぞ、構いませんよ」  後席に座った男性客が、愛想よく返事をする。 「失礼します」  ゆっくりと遠慮がちに倒されたシートの背面を、後席の男性がじっと見つめている……。 [了]
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