人形、心を得る事

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人形、心を得る事

 峰岸家のリビングルーム。峰岸と妻治子がテレビを見ている。  画面の中では、ある記者会見の模様が中継されている。報道陣に向かって挨拶を始めた知的な感じのする中年男性は、ロボット工学の権威、T大学の宇陀川教授である。その隣にはいかにも清楚といった表現がぴったりする美少女が高校の制服に身を包んで座っている。 「本当に可愛いわねえ」  嘆息しながら治子が言った言葉に峰岸も相槌を打つ。 「ああ、信じられないな。これがアンドロイドだなんて……」 「……というわけで、ロボット工学の進歩は素晴らしいものがあります。実際、私の隣にいる”清香”は、御覧のとおり、外見や所作については、もはや殆ど生きた人間と見分けがつきません。心の方も、人工知能の目覚ましい発達によって、今後もどんどん人間に近づいて行くことでしょう。では、私の堅い話はこのぐらいにしまして、本人に語ってもらいます。今日のところは、ご挨拶の内容を私が入力しましたが、真の意味で自分の言葉を話すようになる日もそう遠くないことと思います」  教授の挨拶に続いて、隣に座っていた少女がすらりと立ち上がった。 「皆様、今日は。只今ご紹介に預かりました宇陀川清香と申します。本日はお忙しい中お集まり頂きまして、誠に有り難うございます」  鈴を転がすような可憐な声が、美しい唇から流れてくる。思わず峰岸は聞き惚れてしまう。  (これがアンドロイドが話す声だなんて……) 「一度は命を絶った私がこのような形で皆様の前に戻ってくることができたのも、昨今のロボット工学の目覚ましい進歩、そして何よりも父の深い愛情の賜と考えております。父は自分の記憶に残る私の姿を驚くべき緻密さで再現してくれました……」  淀みの無いスピーチが続いていく。 「あの時は、本当に親不孝を致しました。でも、どうしてもあの辛さから逃れずには居られなかったのです。無視され、友達も一人もできない学校生活。教科書に書かれた心無いいたずら書き……。本当に毎日が苦痛でした。そんな私を、父は多忙の合間を縫って、毎日学校まで迎えに来てくれたのに……」  彼女の眼尻からは一筋の涙が流れた。  一年ほど前、宇陀川教授の一人娘清香は、いじめを苦にして自殺したのである。著名な研究者だったこともあり、再発防止を涙ながらに世間に訴える教授の姿は、頻繁にマスコミにも取り上げられた。  その後、失った娘を何としても取り戻そうとした宇陀川教授は、自らの持つ最先端の知識と技術を総動員した結果、とうとう娘と寸分違わぬアンドロイドを作ってしまった。今日はそのお披露目会見というわけである。 「私のような思いをする人を一人でも減らしたい。それが私の、私達の願いなのです。今後も、私と父でいじめ撲滅の為に活動を続けていきたいと思っておりますの。皆様、何卒宜しくお願い申し上げます」  丁重にお辞儀をする彼女の姿に、満場の拍手が沸き起こった。横で父である教授が涙を拭っている。  一方で、峰岸は少々違和感を感じていた。 (確かに凄く良くできてる。顔だけじゃなく、声にも表情があって、涙さえ流す。今の段階では、勿論まだ“こころ“と呼べるものは無いだろうし、外界から入ってくる情報に対するレスポンスのパターンを何通りもインプットしただけのものだろうが、人工知能の学習効果で、表現力の方も、もっと向上していくんだろう。完璧と言っていいんだろうが、そこが却って気味悪いな……これが“不気味の谷”って奴か……)  その夜。  久しぶりに訪れた先祖に峰岸は彼が感じた違和感の話をしてみた。 「やはり、自分には何か違和感がありまして……」 「ふん……まあ、そうじゃろうな」  先祖は意味ありげな言葉を吐いた。 「あの……何か事情があるんでしょうか?」  不安になった峰岸が疑問を漏らす。 「確かに、あの”からくり人形”は、あの父親の心に残る娘の記憶に従って忠実に再現されたものじゃ」  先祖の表現はあくまでも古風である。 「ええ……本人もそう言ってました」 「娘の記憶……眩い笑顔、鈴を転がすような声」 「本当に愛おしかったでしょうね」 「艶やかな黒髪の匂い、柔らかな手の記憶」 「……はあ……」 「唇の感触、若い乳房の質感……」 「……えっ?……」 「泣き叫ぶ声、流す涙の色……」  先祖の言葉に峰岸は絶句する。 「そんな……まさか!?」 「あの父親は、確かに娘を愛しておった。幼い頃から目に入れても痛くないほどの溺愛ぶりでな。研究に没頭するあまり妻に逃げられてから、一層その愛情は娘へと集中することになった。やがてそれは、娘の成長につれ、邪な愛欲へと変わった。そして、とうとう十四の時に手籠めにしおったのじゃ」  淡々と語られる先祖の言葉を呆然としながら峰岸は聞いていた。 「それ以来ずっと、あの娘は道ならぬ関係を強要され続けてきた。高校に入ってもそれは続き、ある日とうとう忌まわしき命まで孕むこととなってしまった。その呪われた運命に耐えられなくなり、娘は自ら命を絶ったのじゃ」  峰岸の心はどんどん重く沈んでいく。 「娘の自殺に奴は大いに慌てた。自殺の真の理由を詮索されたら、全てが明るみになってしまう。それで、いじめが原因で自殺したという話を急遽でっち上げた。友達がいなかったという話にしても、そもそも以前から友達を作らせぬよう、奴が仕向けていたのじゃ。親しくなった者に自分達の秘密を洩らされることを恐れてな。下校時刻になると毎日迎えに行ってたのも、帰りに友人と話したりする時間を持たせぬためよ。教科書に落書きされたなんぞも、後から奴が自分で書いただけのこと。嘘八百じゃ」  苦り切った顔の先祖が吐き捨てる。 「そして娘の方も自ら他人との交わりを避けていた。自分のような穢れた人間は、普通に友人など作ることは許されない、と諦めていたのじゃ……」  重苦しい声で先祖が告げた真実に峰岸は救われない気持ちになる。 「世の中には、本当にいじめで命を絶ってしまう子供達が後を絶たないのに……そしてそれで心底つらい思いをしている親が沢山いるのに……」 「奴の心にはそれに対する共感なぞ微塵も無い。寧ろ、そういう問題に世間の関心が向いている状況を、自分の作り話に信憑性を持たせる好機ぐらいにしか考えておらん。あれを作った最大の動機は、単に夜伽の相手がいなくなったからじゃ。自分の持てる技術力を総動員して娘と完全に細部まで生き写しの人形を作り、今に至るまで同衾して夜伽をさせておる。まさに鬼畜よ……」  峰岸は気分が悪くなってきた。 「これからどうなるんでしょう……娘の心は」 「そのような経緯で自殺をした心じゃ、当然成仏できずに迷うておる。そして……」  先祖は一旦言葉を切ってから続けた。 「今や、自分そっくりな人形が父の手元に在るのじゃ。遠からず、娘の心はあの人形に宿るのかもしれんな……」  不穏な言葉を残して先祖は去って行った。  それから一週間ほど後。  峰岸と治子はテレビのニュースに釘付けになっている。 「昨夜11時50分頃、N区白百合が丘の宇陀川竜之介さん宅から火が出て、自宅の研究室部分が全焼し、焼け跡から宇陀川さんの焼死体が発見されました。宇陀川さんはロボット工学の権威として知られており、自宅の一部を研究室として使用していましたが、今回、この研究室が火元と見られています。また、遺体の近くに燃え尽きたロボットの残骸が発見されたことから、宇陀川さんがロボットにメンテナンス作業を行っていた際に可燃性の部材に引火した可能性も考えられ、現在、警察と消防で出火原因を調査中です」 「あの可愛い娘も焼けちゃったのねえ……」  黙り込む峰岸の横で、気の毒そうに治子が呟いた……  その数日後。  久しぶりに訪れてきた警視庁の後輩下村課長が、黒表紙の手帳を開いて峰岸に状況報告をしている。 「例の宇陀川教授の焼死事件ですが、今の所、事件事故の両面から捜査を進めてます」 「うん」 峰岸が短く相槌を打つ。 「検死の結果、生きてる間に火に包まれたことは間違いないもようです。勿論メンテ中に何らかの原因で出火したという事故の可能性も有りますが、一つ気になるのは、焼死体の周囲に、着衣の燃えかすが殆ど検出されなかったんです。余程高温だったんでしょうか……まだ詳細は調査中です」 「うん」 「ロボットの残骸については、手脚の関節を折り曲げた形で、教授の焼死体に重なるように転がっていました。いずれにしても、メンテナンス作業中に何らかの原因で出火したか、あるいは何者かの放火によるものか、未だ決定的な証拠は見当たりません。消防と連携して引き続き調査を継続中です」 「うん……まあ、そうだろうね……」 (やはりそうか……娘の怨念がロボットに憑依して、父親に襲いかかって焼き殺したんだな。でも、今この話をしても、流石に信じてくれないだろうな……)  峰岸は、今は黙っておこうと思った。  その晩、峰岸の予想どおりに先祖が現れた。 「お待ちしておりました」 「うむ」  現れた先祖に、峰岸は早速自分の考えを開陳する。 「やはり、あの娘の心が今回の事件を発生させたわけですね。あのロボットに憑依した心が部品を発火させて炎上し、父親もろとも焼死させた……」 「うむ」 「何とも恐ろしく、そして救いの無い事件でしたね」 「うむ」  さっきから「うむ」としか言わない。峰岸には先祖の反応が妙に重たいように思える。 「父親に対する恨みの心が機械に宿って復讐を遂げるなんて……信じられませんが、これが事実なんですね」 「……善衛よ」  先祖が重たい口を開いた。 「はい?」 「お前の言ったことは、確かに十分に恐ろしい話だ。だが、真実はお前の考えてることより、もっと救いが無いと言えるかもしれぬ……」 言葉少なかった先祖が改めて話を切り出す。 「はあ……」  まだこれ以上救いが無いって……峰岸にはもはや想像もつかない。 「機械に宿った娘の”心”が発火を招き、父を焼死させた。その文章は間違いではない……。だが、機械を発火させた”心”とは、お前が思っとるような、恨みでも復讐心でも怒りでも悲しみでもないのだ」  当然、娘の恨みが復讐を遂げたものと思っていた峰岸は先祖の言葉に面食らった。 「は?……では何でしょう?」 「快楽よ」 淡々と先祖は言い放った。 「……は?……」  峰岸には先祖の唐突な言葉が理解できない。 「確かにあの娘はずっと父を恨んでおった。道ならぬ関係を強いて、肉欲の奴隷にした父を憎み続けていた。それは当然のことじゃ。 「じゃが、一方で、父に対する思慕、幼かった時の幸せな思い出も、完全には忘れきれなかったのじゃ。優しかった父。大好きだった父。まだ母もいた頃に三人で祝った誕生日。いつかは真人間に戻ってくれるかもしれないという虚しい希望……それらの想いも心のどこかで捨てきれずにいた。こういう相矛盾する心情が一人の心に併存できるのは、人間だけの特性かもしれぬ。 「だが、機械はそうではない。機械にとって矛盾とは単なる”誤り”で、直ちに解消されるべきものなのだ。娘の心があの人形に宿った時、父への相矛盾する感情、憎しみと思慕の念は“矛盾”として演算処理の中で相殺されて消滅した。残ったのは自己完結的な“本能”、そしてそれに基づく“快楽への欲求”のみが、あれの人工知能の中に複製されて残った…… 「出火したのは保守管理作業の時ではなく、父親があの人形にまさに夜伽をさせていた最中よ。その時、あの人形の中の心には、もはや快楽への欲求しか残っておらなんだ。それだけを際限無く求め続ける人形は暴走、異常に加熱し、ついには父親に手足を絡めたまま引火したというわけじゃ」 100%憎しみだけだったら、娘の心は復讐という本懐を遂げることが出来たのに……なまじ思慕の心が少しだけ残っていたばかりに、あの精巧なアンドロイドは、単に気味の悪い快楽マシンとなり、父の死はいわば単なる”事故”になってしまったということか……  果てしなき快楽に支配され、白目をむき、激しく腰を使いながら、この世の全てを嘲笑するように下品に笑い続ける人間そっくりの“からくり人形”……その悍ましい姿を想像すると峰岸は吐き気がしてきた。 [了]
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