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人心、測り難き事
とある日の午後。
旧友に会うために、峰岸は外出した。相手も引退を決め込んだ身分なので、日中から暇である。ゆっくり出かけて最寄駅で上り電車を待っていた。
通勤時間帯を外れているので、ホームにはラッシュアワー程の人はいないが、それでも移動中の勤め人とか、学生等々、そこそこ人がいる。
と、その時、向かい側のホームで、何やら短い悲鳴が沸き起こった。そしてそれをかき消すように
「プワァーーーーーーーーン!!」
耳障りな、異常に長い警笛の音が鳴り響く。心臓を締め付けられるような不吉な感覚が呼び覚まされる音。
思わず向かい側のホームに目をやった峰岸の目には、急激に減速しながらも、まだホームの中ほどまで惰性で進み続けている下り電車の姿が見える。
全ての駅員が、走り始めた。その靴音に混じって人の声が飛び交う。
「飛び込み、飛び込み!」
「えっ?マジ?」
「やだ!どこどこ?」
峰岸の立っている場所からは、向かい側ホーム中ほどより少し先で停車した下り電車を斜め後ろから見るような形になる。その先頭車両付近にはたちまち駅員と、そして何名かの野次馬が集まり始めるのが見えた。
「はい、下がってください!!下がってくださーい!!」
声をからして制止する駅員。そして、それを聞こえないかのように近づいて、車両正面やホームの真下を素早く撮影する者。あるいは、少し離れたところから、全景を撮影する者。おっかなびっくり見守る者。
峰岸は、その光景を茫然と見ていた。
(俺にはとても無理だな……)
そこへ運よく上り電車が入線してきたので、峰岸はさっさと飛び乗った。ダイヤも乱れ始めたようだが、とりあえず、この電車は隣の駅までは行ってくれるらしい。丁度その駅で別の線に乗り換える予定だった峰岸にとっては、運が良い。何よりも心理的に、すぐにここから離れたいと思ったのだ。
未だ向かい側ホームでは、人だかりが淀んでいる。一通り撮影が終わると、その場から慌ただしく走り去る者もいる。
(そんなに急いでるなら、撮らなくてもいいだろうに……)
座席に座った峰岸は、スマホを取り出すと、ひょっとしたら各線のダイヤにも影響が出る可能性もあるので、少し遅れるかもしれないと旧友に連絡を入れる。そうこうするうちに、もう、たった今の事故がSNSに載り始めた。既に複数の人間による投稿画像が並んでいる。つい、中味を見てしまわないか怖くなり、峰岸はすぐに画面を切り替えてしまった。
待ち合わせ場所は、先程の乗り換え駅から、K線に乗り越えて、二駅ほど乗ったところである。幸い大きな影響も無く、そこにある昼間から飲める小さな居酒屋で、予定通りに二人は再会を祝し合った。
二時間ほど飲んで、お開きとなり、駅に戻ってみると、少々ダイヤが乱れている。
「K線は、16時7分頃N駅構内で発生しました人身事故の影響で、現在もダイヤに乱れが出ております。お急ぎのところ、大変ご迷惑をお掛けいたします……」
(あれから、K線でも人身事故が有ったのか。今日は、よく人身が起きるなあ。)
一応遅延状況を調べようとしてスマホを出した峰岸は、こちらの事故についても、既に投稿が並んでいるのを見て、またもや怖くなった。
さっさと画面を切り替えようとした時。
(うん?)
何かが気になった。
この感覚。何か既視感のような……。
そうだ。名前だ。
とある投稿者のハンドルネームが、何故か記憶に残っている。
(あれ?どこで俺はこれを見たんだっけ?)
思い出した。一回目、峰岸の遭遇した人身事故の画像投稿者に同じ名前が有ったのだ。
(あれ?でも……)
一回目の事故が、たしか午後3時15分頃だった。二回目の事故は午後4時7分頃。
約50分程度の間に、このハンドルネームの人物は二つの駅を訪れ、”偶然”各々の事故現場に遭遇して、画像を撮影、投稿したのか……?
その二日ほど後。
あれから峰岸は例のハンドルネームの投稿画像を調べてみた。この一カ月足らずの間に、鉄道自殺3件、投身3件、縊死2件、計8件の自殺場面の投稿を行っている。
恐る恐る見てみると、そのいずれもが、巧みなアングルとタイミングで撮影されていた。自殺者がまさに迫り来る電車の直前で線路に飛び込んで行く場面。陸橋から柵を乗り越えて飛び降りる瞬間。山中に揺れる、真新しい縊死体。一方で、血肉が飛び散るような場面が無いのは、敢えてグロの要素は抑えて広く閲覧を誘う意図かもしれない。その代わり自殺者の全身の動きが、鮮明に撮影されている。何れもその映像は、彼等の叫び声が聞こえてくるような、悍ましい臨場感に充たされている。
何よりも、それらの画像には、明確な特徴が有った。鉄道自殺の場合は、電車が入線して来る頃から、もうカメラが回り始めている。どれも、自殺者が最後の行動を起こす”直前もしくは殆ど同時”に、撮影が開始されているのだ。
(一回ぐらいなら偶然居合わせて偶々その方向を撮影していた、ということもあるだろうが、こんなに何度も事前に遭遇するなんて……。自殺者から事前に場所と時間を教えてもらわなきゃ、とても無理だ)
峰岸自身が遭遇した鉄道自殺についてもそうである。二つの駅の距離と位置関係から言って、一件目の事故を見て撮影したら、車かバイクか知らないが、急いで二件目の駅に向けて移動しなければ、間に合わない筈なのだ。まるで二件目の発生場所と時刻を最初から知っていたような動きだ。
投稿画像の評価ポイントは、いずれも物凄い数に達している。何やら恐ろしくなってきた峰岸は、画像を閉じた。
その夜。
久方ぶりに、峰岸を金縛りが襲った。いつも通りに江戸時代に町奉行として活躍した先祖が現れる。
「これは、ご先祖様……」
「少々こっちで調べたい事があってな」
切れ者の役人にして、奇談怪談の収集家の顔も持つ先祖は、年老いても好奇心旺盛で、フットワークも軽い。
「どんなご用でしょう?」
「情報通信の件、とでも言っておくか」
「えっ?ご先祖様がそんな物まで絡むんですか?」
さすがに峰岸も驚いた。
「映像・音響関連設備とか情報通信機器は、霊体の通り道になりやすいのは知っておろう。わしも、こっちで何が起きているか、必要に応じて調べることがある」
「それはご苦労様です……。えっ?じゃあ、ひょっとして私のスマホの内容なんかもご欄になるんですか?」
「案ずるな。そこまで暇ではないわい」
「……ああ良かった。その何と言うか、好色なやつなんかもご覧になるんですか?へへ」
「馬鹿者」
「失礼しました!」
「お前は、そもそも取締まる方の立場じゃろうが。あまりへらへらしておると 知らず知らずのうちに罪穢れが溜まり、思わぬ怪我を招くぞ、善衛よ」
「肝に銘じておきます。そう、映像と言えば……」
峰岸は、二日程前に鉄道自殺の場面に遭遇したこと、そしてそこから例の不思議な投稿画像に行き着いたことを話した。
「その人物は、何時、何処で自殺が起きるか、前もって知ってたみたいなんです」
「然り。知っておったのじゃ」
当たり前のように、先祖は応じる。
「えっ?どうやって知ったんですか?」
「"縊れ鬼"と、つるんだのじゃ」
先祖の答えは耳慣れないものだった。
「くびれおに……?」
「往来を歩く人間に取り憑いて、首をくくらせる妖怪じゃ。こやつに取り憑かれると、何やら死ななければいけないような気持ちになって、自殺してしまう。特に変わった様子も見せず、普通に話していた人間が、その後突然首を吊ってしまうことがある。全てとは言えぬが、こういうのも、縊れ鬼の仕業によることが有るのじゃ」
先祖の言う事は峰岸にとってあまりにも突飛である。
「そんな……現実の人間が妖怪とつるんでるなんて、どうも私には信じられません。そりゃ、アニメの世界ならあり得るでしょうけど、これはあくまでも現実の話なわけですから」
「善衛よ、いかにもこれは現実の話なのだ。漫画にせよ、映画にせよ、おとぎ話にせよ、その世界に行ってみたい、そこにいる様々な人々や生き物と語り、触れ合いながら生きていきたいと本気で願っている人間の如何に多いことか。それはお前もよく知っておろう。人の想いは実現され、願望は具象化される。ずっと昔からそうなって来たのだ。そして当然、それを望む人間が多ければ多いほど、それらの願望はより一層生々しく、そして急速に現実世界の中で具現化していくのじゃ」
「じゃあ、この投稿者は、その妖怪から、奴が自殺を誘発する場所と時間を、実際に前もって教えてもらっていたんですか?」
「そういうことじゃ」
「一体何のために……?」
「無論、絶好の場所から迫力のある映像を撮影するためじゃ。それらを投稿すれば、多くの人の注目を集めることが出来るというわけじゃろう。其奴、縊れ鬼から単に情報を得るだけでなく、煽り立てていた節もある。最近妙に奴の動きが活発だと思って調べを進めておったところじゃ」
峰岸は、唖然とした。自分の投稿画像に注目を集める為に、少しでも生々しい映像を手に入れようとする。その為には自殺を引き起こす妖怪とも手を握り、情報を得て、煽り立てる……。
「単に自分の投稿の評価ポイントを上げる為に、妖怪とも平気で手を結ぶ……その感覚が私には全く理解できません。もはや、何というか言葉を失いますね」
「まったくじゃな。まあ、そ奴も無論、代償は払うわけじゃが……」
何気ない口調で、先祖は続けた。
「代償ですか?」
「妖怪の協力を得るのに、無償というわけにはいかん。縊れ鬼との契約に従って、代償を支払うわけじゃ」
「どんな代償でしょうか?」
「知れたこと。てめえの命よ」
先祖が淡々と言い放つ。
「えっ?自分の命ですか?」
「三カ月の間、縊れ鬼は、自分が自殺を起こす場所の情報を与え続けた。そ奴は、好きなように画像を撮影しては投稿し、世間の注目を集めて悦に入っておったのじゃろう。その代わり、三カ月経ったら自分の命を差し出して自殺することを約しておった。実は昨日がその三カ月目に当たる日だったのじゃ」
「じゃあ、もうそいつの命は……」
「確かに自分の命をどう使うかは、それは自分の決める事じゃな。他人にはどうすることもできぬ。また、これはある意味因果応報とも言える。其奴は、自殺の発生を前もって知っていながら回避させる気持ちは微塵もなく、現場で今か今かと待ち構えながら他人様の死に様を撮影しては、次々と公開していた。更には縊れ鬼を煽り立て、何件も自殺が誘発されるのを面白半分に眺めておった。もはやそのような輩に救いの道は無い。何もかも本人が望んだことじゃ。致し方あるまい」
峰岸の頭は、混迷を極めていた。自分の投稿画像に“いいね!”を集める、ただそれだけのために、妖怪と結託してまで自殺現場の映像を公開し続けた挙句、あっさりと自分の命まで差し出してしまうような心。そんな心の中に、もはや”いのち”の居場所は無いのだろう……。
「まだ、そ奴の死体は発見されていないようじゃ。興味があれば、今からK山に行ってみると良い。山中の杉の大木の辺りで、良い映像が撮れるぞ。目印は道路脇に停めた白い車じゃ」
皮肉な口調で、先祖は言った。
「いえいえ、それはご遠慮致します。とにかく、最近わけのわからない話が多すぎます。現実の犯罪にしても、動機が全く従来の常識とかけ離れているケースが多くなってきてるし……。それにしても、そいつはどうやって縊れ鬼と連絡を取っていたんでしょう。いや、そもそも、どうやって縊れ鬼と知り合ったんでしょうか?いくら何でも、普通の人間がそう簡単に妖怪と知り合えないだろうと思うんですが」
「まあ、その点は、少しお前の方でも調べてみてはどうか。生きておる人間が絡む話なのだから、こちらの方にも手がかりはあるのではないか?……では、また来る」
意味ありげな顔をしながら宿題を出すと、先祖は例によってあっさりと消えて行った。
そうか、誰かブローカーがいるんだ……霊界も現実界も自在に行き来しながら、恨みつらみや妄執に満ち溢れた人の心の闇と、霊や妖怪の怨念を引き合わせ、双方を煽り立てて相乗効果を創り出す者。霊か人か妖怪か、とにかくそいつは最凶最悪の存在であることに間違いは無い。
そいつは、今、何処で何を企んでいるのか……峰岸の心は重く沈んでいた。
[了]
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