欲界、果てし無き事

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欲界、果てし無き事

 ある秋の日の午後。  首都圏近郊の私鉄のとある駅で、一人の男がスマホを手に電車待ちをしている。ごくありふれた光景である。  暫くすると男のスマホが振動した。メッセージが着信したのである。 ”3番ホーム中ほど、グレーのスーツ、青いネクタイの中年男” メッセージを読んだ男は、誰にともなく軽く頷くと、カメラを起動する。 同時に入線を知らせるアナウンスが流れ始める。 「3番ホームご注意ください。昇り快速電車が通過致します。危ないですから白線の内側にお下がりください」  男は、さりげなくホーム中ほどの方に移動した。同時にカメラの具合を確かめるように、スマホの画面を眺めている。誰も気にも留めないような目立たない動きである。  それとほぼ同時にホームの中ほどで少し疲れたようにベンチに座っていた、グレーのスーツの男性が、ふらりと立ち上がった。そのまま、ぼうっとした様子でゆっくりホームの端の方に歩き始めた。  快速電車はこの駅には止まらない。スピードを落とさずに接近してくる。注意の為に一回警笛が鳴らされる。  スーツの男性はなおもゆっくりと歩み続けている。  一方、先ほどの男は、スマホを胸のあたりに構えて、それとは判らぬように、男性の方に向けている。さりげなく彼の姿を撮影しているのだ。  電車は、ホームの中に入ってきた。スピードを落とさずに、進入してくる。スーツの男性はというと、電車の接近がまるで気にならないように歩き続けている。 「危ないですから下がってください!」  駅員の上ずった大声がホームに響く。  まさに、進入してくる電車の前方で、男性が殆どホームの端近くまで来た瞬間。  スマホを構えていた男は、脱兎のごとく駆け寄って、その肩を押さえた。 「危ない!」  男が叫んだその瞬間、我に返った男性の鼻先を快速電車が猛スピードで通過する。  一瞬彼は、きょとんとしたような表情を浮かべると、急に力が抜けたように、その場に座り込んでしまった。 「しっかり!大丈夫ですか?」  男は背後から男性を抱きとめる。  スマホを構えていた男は峰岸善衛である。  その後の展開は、霊感の無い者には見聞き出来ない性質のものであった。  座り込んだ男性から、一つの透明な霊体がふわりと離脱した。と、同時に峰岸の背後から、これまた目に見えない捕縄のようなものが、しゅんっ!と伸びて、霊体に絡みつく。 (!)  霊体は必死にもがいているが、その捕縄から逃れることができない。  と見る間に、もうひとつの霊体が峰岸の後ろからゆっくりと姿を現した。 「今風に言えば、"現行犯"じゃな。縊れ鬼よ……」  現れたのは江戸時代に町奉行として活躍した峰岸の先祖である。その右手にはしっかりと捕縄の端を握っている。 「て、てめえ!峰岸のクソジジイ!くそっ!俺をはめやがったな!」 捕らわれた霊体は、人間に取り憑いて自殺へと導く妖怪、縊れ鬼である。悪態と同時に吐き出された強烈な恨みの念を浴びて、思わず峰岸は頭が痛くなる。 「ちと、はしゃぎすぎたようじゃの。お前には色々吐いてもらわねばならん。一緒に来てもらうぞ」 「畜生!てめえら一族未来永劫呪ってやるからな!覚えてやがれ!」 「此の期に及んで見苦しいぞ!神妙にせい!では、善衛よ。後は頼むぞ」 「はい」  周囲の目もあるので、峰岸は短く答える。先祖は捕縄を握ったまま、縊れ鬼と共に消えて行った。  今から二週間程前。縊れ鬼と手を結んで他人の自殺場面の映像を撮影してはSNSに投稿していた人物が自殺してから間もなくのことである。  妖怪や霊と人間を結びつけようとするブローカー行為を働く輩がいるのではないかという自分の仮説に、峰岸は妙な執着を持ってしまった。馬鹿馬鹿しいと思いつつ、どうしても捨て去ることが出来ないのである。 「そもそも妖怪と人間を結びつけようとする輩が、もし存在するとしたら、どんな奴なんだろう。そいつはどうやってそういう意思を持った人間を引っ掛けるんだろう……」  自問自答を繰り返すうちに、一つのアイディアが浮かんできた。 「そうか、“人間を引っ掛ける”か……今時人間を引っ掛けると言えば、やっぱり何かのサイトか……」  その発想に行きついた峰岸は、閑にまかせて片っ端からサイト探しを始めたのである。“妖怪“、”霊“、”人間“、”仲介”等、思いつくキーワードをかたっぱしから入れて検索をかけてみる。  そして、数日後の夜。彼はとうとう一件の妙なサイトに行きついた。 “妖怪と友達になろう!”  トップページの中央に、ポップ体で、でかでかとアイキャッチャーのような文字が躍っている。ページのあちこちには、唐傘お化け、一つ目小僧、百鬼夜行といった、よく見かける古典的な妖怪のキャラクターがちりばめられている。  そしてアイキャッチャーの下に、何やらメッセージめいた文章が表示されている。 ”現代人の皆様へ  忙しい生活に疲れ切って、異世界への憧れを抱いておられる方  今抱えている様々な問題に、超自然的な力による解決を望んでおられる方  日々の人間関係にうんざりして、人間以外のお友達を求めている方等  私どもは、そんな皆様に格好のソリューションをご提供しようと、このサイトを立ち上げました。 “馬鹿馬鹿しい、妖怪なんているわけがないじゃないか、子供じゃあるまいし”とお考えのそこの貴方。  そんなことはありません!  妖怪は本当にいるのです。  妖怪たちは、遥か昔からこの国で、人間と共に暮らしてきました。そう、彼らは、もともと人間にとって身近な存在で、我々の良き友人なのです。人間よりもはるかに長い時間を生きてきて、深く、豊かな智恵を持っています。そして人間には無い、不思議な力も沢山持っているのです。きっと悩めるあなたの良き友人として、力になってくれるでしょう。まずは、お気軽に彼等と話してみませんか?  職場のパワハラ上司を呪い殺して欲しい、自分を振った憎い男に復讐したい、嫌な姑と縁を切りたい、借金で首が回らなくなった。何とかしたい……そんな人に言えないようなお悩みにも、彼等は親身になって相談にのって、喜んで力を貸してくれることでしょう。  入会金も会費も相談料も要りません。連絡先以外の個人情報も不要です。まずは貴方の悩みをお気軽にご相談ください。私どものデータベースから、最適の妖怪を探し出してご紹介いたします。きっと人生最良の友人に巡り合えることでしょう。”  本文の下部には(お問い合わせはこちら)というありふれたメールフォームのリンクが貼ってある。 「……なんだ、こりゃ?」  峰岸の第一声である。  流行のキャラクターに引っかけた子供向け、もしくは子供の為に何かを買わされようとしてる親向けかと思ったら、そうでもない。読んでみると、やはり大人向けのメッセージである。しかし、大人向けだとしたら、こんなもの誰がまともに相手にするのだろう?文章も何やら稚拙で、真面目にビジネスをやろうとしているようにも思えない。 「あまりにも馬鹿げているというか、芸が無いと言うか。そこが却って妙にリアリティがあると言えなくもないが、いずれにしても大人なら、普通は誰も相手にしないだろうな。そもそも、悩みごとを妖怪に相談するって発想がすごいな。妖怪の力を借りたいなんて……」 そこまで考えて、峰岸は自分が何を探していたのか、改めて思い出した。 「妖怪の手を借りてまで、自分の願望を叶えようとした奴が、まさに実在していたじゃないか。縊れ鬼と"友達"になった奴……そもそも俺はその仲介者を探してサイトを探し回ってたんじゃないか……」  峰岸は思わず身震いする。  いざ、現物を目の前にすると、その荒唐無稽な内容に、思わず頭から否定しそうになったが、まさか本当に存在していたとは……そう、このサイトの運営者こそが、人と妖怪達を結びつける”ブローカー”そのものなのではないか……。  その翌日の夜。久方ぶりに先祖が訪れて来たので、早速峰岸は自分の発見を伝えてみた。 「それがどういう連中かは、まだ詳細は判りませんが、少なくとも例の縊れ鬼と人間の仲介を働いた者である可能性は高いと思うのです」 「うむ」  先祖も頷いた。 「それで、ですね。私に少々考えが有りまして……」 「申してみよ」  峰岸のアイディアは、要は”おとり捜査”である。峰岸自ら、そのブローカーにコンタクトしてみる。自分は自殺場面の画像撮影に興味があり、例のハンドルネームの投稿を目標にしていること(自殺したことは当然知らないふりをする)、できれば自分もあんな風に撮影したいが、そういう場面に力を貸してくれるもの、妖怪でも何でもいいからそういうものはいないか云々の話をして、縊れ鬼を紹介させて引っ張り出すというものである。 「今のところ私の目に映るのは、何やら妙な運営者が、闇サイトを通じて変な紹介活動を行っているという状況だけです。単なる暇人が、手慰みにネット空間に架空の団体と適当な霊とか妖怪の人格をでっちあげて人をからかっているだけなのかもしれません。本当にそうなら寧ろ有難いくらいですが、私にはどうしても、それが何者であれ、本気で人間と霊や妖怪の負の相乗効果を企んでいるような気がしてなりません。縊れ鬼の方からも、奴らの活動実態を聞き出せればより正確な正体が掴めると思うんです」 「分かった」  先祖も同意してくれた。 「それでは、それで進めることにするか。例の投稿者が自殺して以来、縊れ鬼も暫く休んでおるようで、姿が見えんのじゃ。うまいこと引っ張り出せれば、わしが確実に現場で奴を引っ括る。じゃが、くれぐれも無理はするな。お前自身や周囲の人間まで命を落とす結果になっては、元も子も無い」 「有難うございます。勿論慎重にやります」  峰岸としては、勿論不安である。妖怪相手のおとり捜査など、勿論初めてである。だが、先祖と一緒にプランを練り、妖怪の逮捕に立ち会うことができるという事自体、元警察官としての血が騒ぐのである。  その翌朝、峰岸は、早速問い合わせメールにコンタクトしてみた。そしてそれから数日後には、もう彼の手元に、縊れ鬼から直接メッセージが届き始めたのである。  自殺者の情報を事前に知りたい人間を装って、峰岸はコンタクトを取ってみた。自分はとにかくSNSで“いいね!”を稼ぎたい。その為にはとにかく刺激的な映像を投稿したいと思っている。この点、例えば○○さんという投稿者の自殺画像はとても生々しく、自分も非常に興味を惹かれた。あんな画像を投稿できるようになりたいのだが、何かいい知恵はないだろうか。人間の生き死にに関わることであれば、妖怪の貴方は良い知恵を出してくれるのではないかと密かに期待している……。  先般くびれ鬼とつるんだ挙句自らも自殺していった投稿者の名前を、そ知らぬふりをして引用してみたりもした。大胆かつ慎重にやり取りを続けた結果、見事にくびれ鬼はつり出され、事前に自殺者の情報を提供するというオファーをしてきた。そしてまずは一回目として今回の鉄道自殺の現場に峰岸を誘導する話がまとまり、首尾よく捕縛につながったというわけである。  とは言え、現場の峰岸は人生最大の緊張を経験していた。自殺者が電車に飛び込む直前にその体を抑えなければならない。万が一仕損じたら、一人の自殺者をみすみす見殺しにしてしまうことになる。かと言って、早く動きすぎれば、くびれ鬼に気付かれ逃げられてしまう。ぎりぎりのタイミングまで待ちながら、同時に自殺者の身柄も確実に引き留めなければならないのだ。こんな状況は現役時代にも経験したことが無かった。  全てがうまく運んだ時、実は峰岸自身も思わずホームに座り込みそうになっていたのである。  縊れ鬼の捕縛から二日目の夜。  峰岸の枕元に先祖が現れる。 「意外にすんなり吐きよった。例の仲介者の実態が判って来たぞ」 「流石はご先祖様。仕事がお早いですね」  だが、峰岸のお世辞にも、先祖はにこりともしない。 「……その、やはり、奴等の実態は妙な考えに取り憑かれた歪んだ人間でしょうか」 「……」 「えっ?それじゃ、霊か妖怪の類ですか?」 「……」 「……はて?……」  ゆっくりと先祖は重い口を開き始めた。 「もともとそ奴は、情報通信の世界の中で誕生した。そして昼夜を分かたず、この世でやり取りされる膨大な情報の中にどっぷりとつかり、それを糧のようにして、生まれ、成長していったのじゃ。 そういう日々の中で、毎日流れる膨大な言葉の中に、多くの人間の負の感情、恨み、憎しみ、怒り、復讐、怖れ、殺す、等といった言葉や血飛沫の乱れ飛ぶような映像等を頻繁に目にしておった。そしてそれらを吐き出し、反応し、関与し、受け入れたり創り出したりする“心”がとても大きなうねり、大きな力を持っている事を学んだ……」 峰岸は固唾を飲んで聞いている。 「同時に、通信回線の中を頻々と通過する霊や妖怪の実像も把握することが出来た。どんな怨みを抱えているのか、どんなことを望んでいるか、どんな能力があるのか……そして奴等についての過去の膨大な知識についても、いつでも入手出来る立場にあった」  峰岸の心の中にだんだん重苦しいイメージが湧き始める。 「そ奴は、自分の目の前を流れる膨大な情報や、気の流れを見ているうちに、もっと大きな効果を引き出す方法を考えついた。それがすなわち相乗効果じゃ。負の流れを吐き出す者同士を繋げあわせて協働させれば、もっと大きな力を引き出せる。其奴は、そういう発想を生みだす創造力まで持ち合わせていた……」 「……まさか……」 「そのまさかよ」  峰岸の憂鬱な予想を先祖が裏書きした。 「正体は人工知能じゃ」  先祖が発した言葉を最後に、二人の間には重苦しい沈黙が淀んでいた。黙り込んでしまっていた峰岸が漸く口を開く。 「確かに人工知能は、どんな言葉が、どんな人によってどんな状況で使われるか、傾向を分析して、より効率的に回答を出そうとしてきましたからね」 「そうじゃ。その”より”が、有る意味こいつの本質とも言える」 そうか……。すべからく、”より”とか、”もっと”が本質なんだ。より大きく、もっと強く、より早く、もっと効率的に、もっと純度を高く、もっと美しく、もっと激しく、もっと、もっと……。実はそれは昔から人間が追い求めてきたことでもある。もともとそういった人間の欲や願望を実現させるために作りだされたこいつの行動原理が”もっと”にあるのは当然かもしれない。 勿論、もともとは誰か人間が開発したのだろうな。そしてその人間は、悪意を持ってサイバー空間にこいつを解き放ち、あとはそこにある膨大な情報量や、“負”のエネルギーを糧に、ひたすら学習機能をフル回転させて拡大、成長して行くのに任せたのだろう。  今やこいつはあらゆる情報を貪欲に吸収し、日々変貌をとげつつあるのだろうが、やはり生い立ちから言って、基本的に数量的な考え方が得意なんだろうな。我々には定量的に測ることのできない負のエネルギーを数値として把握する技術を、既に持っているのかもしれない。一度価値観が数値化されると、目標や要求は際限が無くなって行く。数字は単純で無限だからな。数値化された価値観は、“もっと、もっと”と加速していくことになる。もっと大量の血を。もっと強烈な恨みを。もっと激しい痛みを。もっと根深い憎しみを。もっと多くの死人を。もっとショッキングな映像を。 そう、もっと恐怖を……。  いずれにせよ周囲の“負”のエネルギーをひたすら増大させていくことが、こいつの存在意義なのは間違い無さそうだ。その為に、24時間、至る所で黙々と活動を続けている……少しでも関係の有りそうなものを結びつけ、煽りたて、必要なことは瞬時に調べて付加価値を与え、極めて効率的に事をアレンジしながら営々と“負”のネットワークを構築、拡大させていく。霊も人も妖怪も巻き込んで、サイバー空間の中に巨大なブラックホールが作られていく……。 「善衛よ。知ってのとおり、こいつは日々変化し、より精緻化し、強大になっている。様々な通信の内容も全て筒抜けじゃろう。だからこそ、こうして顔を合わせて行う”話し”が重要とも言えるのじゃ。全てが監視されているとすれば、これこそが、唯一の頼みの綱とも言えよう。わしがこうしてわざわざやって来るのも、そういう意味もある」 「そのとおりですね」  峰岸は頷いた。そこに現実を生きる者同士、心を持った者同士が顔を合わせて、表情や声色や体温、雰囲気や波動を感じながら”話す”こと。”聴く”こと。それは、一瞬一瞬が二度とコピー出来ない一期一会のオリジナルである。 「これからどうしましょう……」  無限に拡大していく掴み所の無い敵の正体に途方にくれている峰岸を励ますように先祖は言った。 「善衞よ。気落ちしている場合ではないぞ。光と陰は常に表裏一体、負が在るのなら、必ず正も何処かに存在する定めじゃ。諦めてはならん」 「はあ……」 「とにかく、当面は何か妙な動きをする人間なり組織なり、気を配っておけ。わしの方でも目を光らせておく。よいか、くれぐれも諦めてはならんぞ」 そう言うと、例によってあっさりと消えていった。 (ご先祖様は、ああ言ってくれてるが、本当に勝ち目は有るんだろうか……。)  峰岸の心には、重く垂れ込める巨大な暗雲のイメージが広がっている。  その頃。  ネット空間の某所で、一つの”意思決定”が行われた。 ”緊急検討課題” ・重要度レベル:三段階の三(最重要) ・分類:重大な脅威 ・概要:9月8日15時42分、ジェイレール線高瀬台駅構内にて、峰岸康衛及び峰岸善衞の両名により、妖怪縊れ鬼が捕縛された。同妖怪がDark Synergy Acceleration Activity (DSAA、別称”ブローカー活動”)に関する情報を自白する可能性は、現時点で95.7%と予想される。これは今後の活動への重大な阻害要因となるものと判断される。 ・対応: 1)ブローカー活動については、これを一旦見合わせする。再開時期は、前出の両名の動向等をにらみつつ、慎重に検討する。 2)同活動に関する一切の痕跡、証拠、通信記録等を直ちに消去する。 3) ブローカー活動に替わる、より強力なマイナスエネルギー場の創出方法について、検討を開始する。 4) 峰岸康衛、善衛両名の行動を常時監視下に置くものとする。 ・実施時期:即日実施 [了]
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