幽魂、捕らえ難き事

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幽魂、捕らえ難き事

「……というわけです」 「なるほどねえ。なんかこう、もやもやした点が残るところが不気味だねえ」 怪談収集を趣味とする元警察官峰岸善衛の自宅の応接間では、久しぶりに訪れて来た警視庁の後輩、下村課長が、たった今新しい怪異談を披露し終えたところである。 「まあ、引き続き情報の収集は続けますけどね。どこまで明らかになるかは、今の段階では何とも言えません」 「分かった。また進展があったら急がないから教えてくれよ。いつもすまないね」 「気にしないでください。峰岸さんには色々お世話になりましたから」 「お世話になってるのはこっちのほうさ。そうだ、たまには、俺の方からネタのひとつも御披露しようか」 珍しく、峰岸の方から切り出した。 「へえ、どんなネタですか?」 「うん、まあ、ネタという程ではないんだが、一応怪談がらみということで……」 そう言うと、峰岸は立ち上がり、傍らに隠してあった細長い木箱を取り出した。 「丁度今朝届いたんだ」 箱を開けると、中から取り出したのは一幅の掛け軸である。峰岸はそれを大事そうにテーブルの上に広げて見せた。 「どう?なかなか趣きがあると思わない?」 広げて見せた掛け軸は、和風の幽霊画である。いかにもといった、ざんばら髪の女の幽霊が、両手をだらんとたらしながら、すうっと立っているという極めてありふれた構図である。脚はお約束通り流れるように消えて行き、添え物のように足元には野ざらしの髑髏が簡単に描かれている。一応色刷りで主に寒色系の色調だが、色使いも単調で、女の顔も殆ど髪に隠れており、全体的に非常にあっさりした印象である。はっきり言うと、いかにもチープな出来上がりだと下村は思った。 「……はあ……その、何ていうか……何となく涼しげですね……」 コメントに困った下村が何とか言葉をひねくりだす。実際、素人目に見ても、安っぽいレプリカなのは明らかであり、とても謂れのあるものには見えない。 「ねえ、なかなか迫力があるだろう」 一人悦に入っている先輩に無碍なことも言えず、下村は絵の内容から話題をそらそうとする。 「どこから入手したんですか?」 「うん、ネットオークションでね。どうも江戸時代のものらしいんだが、作者不詳だそうだ。そこも何となく謎めいてるじゃないか。画面を見た瞬間、何と言うか、びびっと来てね。これは俺の探していたものだ、という感じがして、衝動的に入札しちまったよ」 「……あの……差し支えなければでいいんですが、これ、いくらで落札されました……?」 下村にとっては、絵よりもそっちの答えの方が余程こわい。 「うん、二千円で落札できたよ。安い買い物さ。俺の後には他に入札者も出てこなかったからな」 そりゃそうだろうと思いつつ、とりあえずその程度の金額だったことに、下村は一応安堵した。 「そうですか、なら良かったですね。でも、いい加減な物を送りつけてくる奴も多いですから、くれぐれも騙されないで下さいよ」  楽し気な様子の先輩に、下村が釘を刺す。 「勿論。そこは気を付けてるさ。出品者も、入金早々直ぐに送って来たし。メッセージまで付いてたよ。”万一、本品ご購入後に霊障等の怪奇現象があったとしても、当方は一切責任を負いかねますので、ご了承下さい”だってさ。そういうところも、何やら本物めいているだろう?いかにもって感じでわくわくするじゃないか」 (この人、奇談怪談というと時々周りが見えなくなるんだよなあ……) 下村は昔から心配しているのである。 その晩、掘り出し物を入手して一人悦に入った峰岸は、わざわざ寝室の壁に掛け軸を掛けて寝ることにした。初めて幽霊画というものを手にしたという興奮で、心が踊っている。 ベッドに入って少し距離を置いて眺めてみると、全体の構図がよく分かってくるのも、また楽しい。そのまま妙な高揚感に包まれながらも、だんだんとまどろんで行く。 深夜二時ごろ。 峰岸は妙な感覚を覚えて布団の中で目を覚ました。寝返りを打とうとしたが、身体は動かない。 (また、ご先祖様か……) 部屋の一隅に何やら一つの発光体が現れている。が、よく見るといつもと場所が違う。 掛け軸が発光しているのだ。部屋の闇の中に、ぼうっと光っている。と、見る間にそこから女がすうっ……と抜け出て来た。 (!) 峰岸の身体はピクリとも動かない。絵から抜け出て来た女は、彼の寝ているベッドに向かって近づいてくる。だが、その表情は、昼間見た絵と似ても似つかないものだ。 見開いた両の眼は、殆ど裏返らんばかりに上方を睨んだまま、落ち着きなく左右に振れている。極限まで開かれた口から覗く乱杭歯の隙間を赤い舌がヘラヘラとのたうっている。 女は笑っている。哄笑している。感情も理性も、凡そ人間らしい心のパーツが全て爆破された後に残った焼け跡のような殺伐たる狂気が全開になり、身体全体で笑い続けている。ざんばら髪が嵐のように踊り狂っている。  近づいてきた女が、ぐっと顔を近づける。大きく開けた口からは、ドブのような凄まじい口臭が鼻に、喉に流れ込んで来た。思わずむせかえる峰岸の喉笛に、女の乱杭歯が食い込んでいく……。 「うわあーっ!」 必死の思いで喉から声を振り絞った峰岸は、気がつくと、ベッドの上に半身を起こしていた。 「……夢か……」 峰岸の全身は汗にまみれ、心臓は全力疾走の後のように激しく鼓動している。口を大きく開けて荒い呼吸をしながら、とりあえず今見たものが夢だったことにひとまず安堵する。 と、落ち着く間もなく、自分のすぐ枕元に光る霊体がぼうっと立っている!堪らず峰岸は悲鳴を上げた。 「わあーっ!また出たあ!」 「なんじゃ。騒々しい」 そこに現れていたのは江戸時代に活躍した峰岸の先祖である。要職を歴任し、江戸町奉行まで勤め上げた能吏でありながら、奇談、怪談の収集家としての一面も持つという、幅広い人物である。 「あ、なんだ。ご先祖様ですか……」 「なんだとはご挨拶じゃな。いきなり人の顔を見て騒ぎ出しおって、この無礼者めが」 「これは大変失礼しました。なにしろ、あの女が……。あっ、女と言えば……」 先祖の向こう側には、掛け軸の中でもう一つの発光体が、ぼんやりと光を放ち続けている。 「わあっ!あの女だ!ご先祖様!お助けください!あれ、あ、あの女を追い払ってください!お縄にして下さい!牢屋にぶち込んで下さい!」 「……女じゃと?」 掛け軸を一瞥すると、先祖は言い放った。 「……それは無理じゃな」 「そそ、そんな!後生でございます。あの女幽霊は、私を殺そうとしたのです!殺人未遂の現行犯です!」 「無理なものは無理じゃ」 「ご先祖様、いや、お奉行様!どうぞ御慈悲を!」 「無いものを縛るのは無理じゃ。そこには女なぞおらぬ」 先祖の言葉に、峰岸は我に帰った。 「……は?いない……ですか?」 「よく見てみろ。その絵は光って見えるが、別に女が抜け出てきたわけではない。出てきたように思えたのは、あくまでも、お前の興奮と思い込みが見せた単なる悪夢の中の話じゃ。しっかりせい」 「はあ。申し訳ございません」 「その絵は、昔のものを手本にはしているが、あくまでも現代の紙に現代の画材を使って描かれた、単なる下手くそな写し絵じゃ。当然、怨霊なぞ取り憑いてはおらぬ」 「はあ」 「大方、面白半分の気持ちで手に入れて、悦に入っておったんじゃろう。中途半端な心構えでおると、怖れずとも良いものに怯え、真に怖れるべきものを見落とすことになるぞ、善衞」 「お言葉、身に沁みます」 「……ただ、使用された画材には少々妙なものが混じっておるようじゃな。わしの時代には無かったものじゃ。この世に登場してから、まだ百年ちょっとという感じか」 (二十世紀以降に使われるようになった物……?暗闇で発光している絵……?) 「!」 峰岸は反射的にベッドから飛び出すと、ひったくるようにして掛け軸を外し、乱暴に丸めると箱の中に突っ込んだ。更に先祖の言葉が続く。 「あと、怨霊こそ宿ってはいないものの、その絵には確かに強い悪意が込められておる。生きておる者の悪意じゃ。多分それを送りつけた者か、作った者じゃろう」 (悪意……そう、これは普通の安全な夜光塗料じゃない。毒性の高い強力な放射性物質を塗料と混ぜたものを塗りたくって発光させている、明らかに危険な代物だ。数年前、放射性物質を利用した殺人事件として、多くの人の耳目を集めた海外の事例があった。それに想を得たのか、この日本でネットオークションを利用しながら、こんなとんでもないものをばら撒いている奴がいるということか?夜中に発光するから本物みたいだと興ずる人、はては本物の怨霊が取り憑いた幽霊画だと本気で信じ込む人。いずれにしても、頻繁に箱から出して眺めたり、飾ったりしているうちに、だんだんと蝕まれて行く……。”何かあったとしても、責任は負いかねます ” 悪意に満ち溢れた犯人からの皮肉……) 「お前、恨みを買うような覚えはあるのか?」 「確かに現役時代逮捕した者は何人もいますし、彼等が私を逆恨みする可能性も無しとはしませんが……。しかしそれを言ってたらもっと多くの警察官が、何らかの復讐を受けなければならなくなります」 「確かにその線で絞り込んでも辿り着けんかもしれんな。悪意を持つ者にとっては、誰でも良いのかもしれん」 誰でも良い。誰でも良かった……昨今人を殺傷した者達が、判で押したように口にする言葉。単純明快で、それでいて底知れぬ暗闇が眼前に広がるような絶望感を与える言葉……。 「今回は、これ以上わしの方で動けることは無い。これはお前達の"カンカツ"じゃろう。くれぐれも、仕損じるなよ」 そう言うと、先祖は例によってあっさりと消えて行った。 (有毒で危険な放射性物質を違法に塗り込んだ掛け軸を、次々と無辜の落札者に送りつけるという無差別テロ。ネットオークションに紛れ込んだダーティーボム。放射線発散処罰法違反、場合によっては傷害罪もあるかもしれないが、どうせ口座も住所も、使い捨てにして、とっくに行方をくらましただろう。どこまで追い切れるのか……。何れにしても、明日朝一で下村に連絡して動いて貰おう。惜しいけど掛け軸は証拠品として提出するしかないな。それにしても……) ネット空間の向こう側で、不特定多数の人間を標的に悪意をばら撒き続ける者の正体……。 (やっぱり、そこにいるじゃないか……) 悪夢の中で見た、哄笑し続ける幽霊の狂態を思い出して、峰岸は思わず身震いした。 [了]
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