第171話『交渉の末』
「辺境伯殿に肩代わりさせた負債はもちろん我々が買い取らせて頂くつもりです。その他にも賠償は可能な限りヒョロイカ辺境伯の提示する条件を飲みましょう。ですが……ハスミ様の拘束を解いて国に連れて帰ることを許して頂きたいのです」
切実な表情で訴えかけてくるエルフの偉い人ことゾーイ。
これはいくら積んでもハスミの身柄だけは確保したいと見受けられる。
「ふむ……」
「どうかなされましたか?」
俺が渋い顔をして返事を保留していると、不安げに瞳を揺れさせてゾーイは俺の顔を覗き込んできた。
キメ細やかな白い肌に整った鼻筋。
長い睫毛と翡翠色の瞳。
芸術のような美しさがある女性である。
まあ、だからといってなにか便宜を図るわけじゃないけど。
見た目で融通を利かせてもらいたければ猫に生まれ変わってから来なさい。
俺は猫になら買ったばかりの新品毛布に二連続でおしっこされてもまだ読んでない本にゲロ吐かれても許すんだ。
「共和国は…………ハスミをそんなに連れて帰りたいんですか?」
特に何も考えてないけれど。
なんか意図がありそうなタメを作り、俺は含みありげな感じで訊ねる。
思考がシンプルだと悟らせないブラフは交渉において大事だからね。
多分だけど。
「はい、ハスミ様を支持する国民の蜂起を防ぐ意図もありますが、彼には勇者としての活動をそろそろ本格的に行なって頂かなければなりませんから」
「奴隷を買い集める道楽を散々許してきたのに今さらそういうことを言うんですね」
ハスミの超理論で迷惑を被ったのだ。
これくらいの嫌味を調子に乗らせた元凶にチクチク言うくらいいいだろう?
「……その点は勇者である彼の意思を尊重しすぎたとわたくしも猛省しております。今後は行きすぎた振る舞いを許さぬよう、国として厳格な管理体制を敷いた上で魔王討伐に専念して頂くつもりです」
「国として厳格な管理体制ね……」
俺は顎を撫でながらふむふむと頷く。
「まだ年若いハスミ様を導くために熟練の戦士であるシルバリオンをあてがったのですが、まさかパーティから追い出してしまうとは思わず……その辺りも大きな誤算でしたので今回はこのわたくし自身が勇者パーティに同行してハスミ様を補佐しようと考えています」
なんと? このえらーいエルフさんが旅をするというのか。
隣にいる髪の薄い外交官が彼女にぎょっとした目線を向けているのを見るに、これは事前の打ち合わせにはない話だったのでは?
国の象徴たる自分が責任を負うというのが共和国の誠意ということか……。
「シルバリオンも辺境伯殿の元でお世話になっていらっしゃるようで、そのことについても礼を述べねばならないと思っておりました。シルバリオン、あなたにも大変な迷惑をかけてしまいましたね」
そう言うと、ゾーイはちらりと俺の背後に控えているシルバリオンを見やった。
「我輩はニコルコの一員として充実した新たな日々を送っております。ゾーイ様もどうか気にせずいてくだされ」
シルバリオンはゾーイのその言葉に対して堂々とした態度で返した。
それは共和国に戻る意思がないと伝える宣言でもあったのかもしれない。
ゾーイはシルバリオンがニコルコにいることを把握してたんだな。
なるほど。
どうやら、ここへ来る前にあらかじめ情報収集はやっていたらしい。
その後、様々な交渉の末にハスミの返還が決定。
まあ、ハスミを返さないと共和国は魔王軍に対する牽制手段がなくて大変だろうしな。
ハスミがやらなきゃ共和国の魔王はいつまでたっても片付かないから俺だって困る。
結局のところ、ハナからハスミの身柄は返還する方向性で決めていたのだ。
向こうに負い目があることと、ジャードの巧みな交渉術で賠償金の支払い額は期待通り、いやそれ以上でまとまった。
また、こちらに有利な交易の条件を数十年先まで取り付けることにも成功したのである。
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