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「えーと……あ、そこのアナタ!」
「! は、はい!」
「チョコフォンの機械、パーツが何個か見当たらないから探しといてくれる? ……あ、伝票ですねすみません今行きますー! ゴメン、後はよろしくね!!」
「あ……え……?」
慌しい状況を前に、どうしたらいいのかなんてこれっぽっちも分からない。
ただ、社員らしき人物から急に仕事を課されたということだけは理解できていた。
ちょこ、ふぉん? それは一体なんだ。
なにに使うもので、どんな形のもので、普段はどこにあって、どこにある可能性が高いのでしょうか。そして探して見つけたら、どこに持って行けばいいのですか。大きいの、小さいの? 道具なの、機械なの? まったくもって見当がつかない。
指示するだけしてその場を去った女性の社員さんは、茫然と立ち尽くす私などもう見えていないかのごとく慌しく駆け回っている。他のスタッフに声をかけようにも、皆一様に忙しそうにしていて、大変話しかけにくかった。
……どうしよう。いや、どうもこうもない。誰かに訊いて、なんとか用意しなければ。
「すみません。あの、〝ちょこふぉん〟のパーツを探すように言われたんですが……」
「ゴメン、他の人に聞いて!」
話しかける人話しかける人、軒並み私の問いには答えてくれない。
いつもならナントカ室にあるよ、と説明してくれた人もいたけれど、結局その〝ナントカ室〟がどこにあるのか、新人の私には分からない。応じてくれた人たちも、一度私の質問に答えると、すぐにまた自分の仕事に戻ってしまう。
なに、この冷遇。初日からこれってどうなの。
異常なまでの孤立感に、つい泣きそうになる。
いや、こんなところで泣いている場合ではない。なんとかしなければ。
止まりそうになる足を無理やり動かしたそのとき、特別忙しそうにはしていない、バンケットスタッフの制服姿ではないスタッフさんが視界に入った。
着ているのはスーツらしい。ジャケットは着ておらず、長袖のワイシャツの袖を緩くまくっている。髪はきちんとまとめられていて、ごく普通のサラリーマンみたいに見えた。
何人かのスタッフさんに話しかけられてはにこやかに対応している彼の姿は、精神的に滅入りかけた私の目にひどく眩しく映った。殺伐とした雰囲気の中、その人の周りだけ穏やかな時間が流れている。
業者さんかな、くらいの想像は今でこそできるようになったが、当時の私はそんなことに思い至れるわけなんてなかった。
引き寄せられるように、その人の元まで重い足を動かす。他の誰かと話していない隙をここぞと狙い、私は縋る思いで声をかけた。
「あの、すみません……」
「……ん、俺? わっ、どうしたの泣きそうな顔して!」
「すみません……〝ちょこふぉん〟のパーツ、というのを探しているんですが……」
「ああ、チョコフォン? って明らかに発音が不明瞭だけど、もしかして新人さん?」
「っ、はい。今日から入った者です」
それだよ。
そういう対応、待ってたんだよ。
自分の言葉が通じて、それが正しく受け入れられている。胸を満たしていく安堵感に思わず涙が滲みそうになり、私は慌ててそれを堪えた。
すると突然、目の前の爽やかスーツさんが重い息をついた。
「ったく誰だよ、新人にいきなりそんな指示出したの。あ、その……ごめんね、普段はここまでバタついてないんだけど。頼むから〝こんなバイト嫌だ辞める〟とか言い出さないで……」
「は、はい。大丈夫です」
先刻の溜息が自分に向けられたものかと思い、一瞬ヒヤリとした。
けれど続く言葉から考えるに、どうやらそういうわけではなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「よし、一緒に探そうか。指示したのって誰? 名前は分かる?」
「ええと……あっ、今あそこでハンコを押している方です」
「ああ、なるほど……今日も派手にテンパってるわけね。了解、じゃあ探しに行こう。もしかしたら他の階にあるかもしれないから、おいで」
「は、はい!」
……誰ひとりとして私の問いかけに正面から向き合ってくれない状況で、その爽やかスーツさんがどれだけ神様めいて見えたことか。もはや後光が差していた。
ほどなくして、〝ちょこふぉん〟の器材が見つかった。別階にあった。
実物を目の前にしてようやく、そうか、チョコレートファウンテンの機械のことだったのかと納得した。以前友達と行ったバイキングレストランで見た、液状のチョコレートが滝みたいに流れ出るアレだった。〝ちょこふぉん〟という名称は、どうやら〝チョコレートフォンデュ〟から来ているらしい。
パーツと言われたのですが、と爽やかスーツさんに伝えると、彼はうーんと唸りながらも、「どのパーツのことか分からないから一式持ってっちゃおう」と言った。重そうなそれを私に押しつけるでもなく、彼はそれを軽々と抱え上げ、にっこりと微笑んだ。
拝みたくなるくらいに完璧な神様だ。彼に続き、私は無事に元のフロアに戻ったのだった。
「ホラ新崎さん、チョコフォン! 新人にあんまり無茶な指示出さないでやってくださいよ、また辞められちゃうでしょ」
「あっ、ありがと都築ー! ね、今日って都築もヘルプ入ってくれんの?」
「らしいッス。けど最後まではいないよ、十時過ぎから打ち合わせあるから格好もこのままだし」
「格好なんか正直どうでもいいわーめっちゃ助かる! よーしみんな、今度は引出物つけるよー!」
私に最初に指示を出した女の人は〝ニイザキさん〟、そして爽やかスーツの神様は〝ツヅキさん〟とおっしゃるようだ。
多分、都築さんがいなかったら私は早々にバイトを辞めていた。どれほど時給が高いバイトだろうと、序盤で感じた冷遇っぷりというか、取り残された感によるダメージは尋常ではなかった。
気がつくと、新崎さんと話していた都築さんは足早に会場内に向かっていた。
まだお礼も言ってない。焦った私は、まだ混乱の残る頭で目標の人物に頭を下げた。
「あ、あのっ! さっきは本当にありがとうございました!」
「ん? ああ、いいのいいの。指示がちゃんと出なかったら、社員がどれだけ忙しそうにしてても無理やり声かけていいからね」
「は、はい……!」
にっこり微笑んだ神様は、手を振りながら会場内に入っていってしまった。
その笑顔が、初めての仕事というものに対して抱えていた私の不安や焦燥、その手のものの大部分を取り払ってくれたみたいに思えた。
神様って、実在するんだな。
都築さんの後ろ姿を見送りつつ、その場に残った私はぼんやりとそんなことを考えていた。
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